雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話  24     大庭浩本部長

2023-10-06 06:18:28 | カワサキ単車の昔話

★ カワサキが二輪事業をスタートさせた時から現役引退の時まで
 カワサキの二輪事業とともに歩いた人生だったと言っていい。
 
 そんなカワサキの二輪事業にも事業撤退をしなければならないと
 その当時のTOPが思ったほどの危機的な時代があったのである。

 当時の川崎重工の副社長山田熙明さんから
 1982年7月1日の朝、突然自宅に電話があって
 『本社に来るように』という指示なのである。
 何事かと思ったら、当時毎年100億円もの赤字が続いていた
 アメリカのKMCの赤字が止まると思うか?
 というのがご質問なのである。
 『そんなのは直ぐ止まります』と答えたら
 『それならお前が企画に戻ってやれ』ということになったのである。


 これが、そのあと直ぐ頂いた山田熙明さんからの手紙
 9月1日付で企画に戻すから、それまでは他言せぬようにと
 書かれている。


  
  


★ そんなことで私は10月1日から事業本部の企画に戻ることになったのだが、
 山田さんにお願いした条件が一つあって、
 「高橋鐵郎さんをアメリカの社長から戻して欲しい
 とお願いしたのである。

 世界の販社の販売計画や黒字化は、
 本部で全体を考えたバランスの取れた計画を組めば、即達成されるのは間違いないのだが、
 そんな指示を世界の全軍に指揮するには新米部長の私には荷が重くて、 
 高橋鐵郎さんのお力をお借りしたかったのである。

 この時期の単車事業部の赤字は川崎重工にとっても大問題で、
 『単車再建』は当時の川重の第一優先課題だったのでもある。
 そんなことで翌年春ごろからは『再建屋』と言われていた大庭浩常務を本部長に送り込むと言われたりしていた。

 それが7月1日に実現するのだが、
 大庭さんにとっても初めての経験だから、若し大庭さんが最初からおやりになるとすると大変だったと思うのだが、
 幸いにして大庭さんが来られた7月1日には既に新事業計画も完成していて、それに従って順調に推移していた時期なのである。


★ 人には『ツキ』があると思うが
 大庭浩さんはそんないい「ツキや運」を持っておられたと思う。
 現在の神戸にある立派な川重本社は大庭浩社長の時に建てられたもので、ちょうどそんな時期の社長だったし、
 1996年の川崎重工創立100周年時の社長で、
 その年の10月14日には英国のサッチャー元首相の記念講演会が実施されるのだが、

  

 サッチャー首相との結び付は、大庭さんが単車事業本部長時代に
 ヨーロッパ出張時に始まっているのである。
 


       


大庭浩さんは、川重の中でも『怖い・うるさい』などのイメージが強いのだが、
 単車のメンバーはみんな上に強くて、
 大庭さんに対しても自らの意見をはっきりという人ばかりなのである。
そんな単車事業部の雰囲気を大庭さんは大いに気に入って頂いて、
私の進言など一番聞いて頂いたのは『大庭浩』さんで、
私にとっては信頼して頂いた最高の上司だったのである。

大庭さんの単車事業本部長はそんなに長くはなかったが
結果的には『単車再建』を達成されて、川重副社長で本社に戻られたのである。
 それまでの川重の中における単車事業は造船などの受注産業の中での異色の事業だったのだが、
 大庭さんの社長時代に川重の中でも中枢の事業本部に位置付けられるようになったのである。
 そんな大庭さんの社長時代に川重の全役員を集めた席上で、
 『単車事業についての説明』を私にするように依頼があり、1時間ほどお話したのだが、
 非常に好評で『よく解かった』と多数の方からお褒めを頂いたのである。

★そんな大庭浩さんの単車本部長時代に大庭さんの番頭役を務めたのが私で、
絶大の信頼を頂いて特に目を掛けて頂いたのである。
 
 私の最後の職務は国内販社の担当だったが、
 それは大庭さんが打ち上げられた国内7万台販売というとてつもない目標達成なのである。
 ZEPHYRという商品にも恵まれて、
 高橋鐵郎さんとのコンビで、
 7万台目標が達成されたことは大満足なのである。

  
 
 
 この記録は多分今後も破られることはないのだろう。


★ところで、私の川崎重工での最後の職位は『技監』なのだが、
 これは文字通り技術屋さんの博士号などを取られた方や
 国からの来られる技術屋さんなどに与えられる取締役待遇の職位なのである。
 その『技監』という職位を事務屋ではじめて頂いたのが私で、 
 それは大庭浩社長自らのご指名だったのである。

 大庭さんは技術屋さんで何事もその根拠が必要なのだが、
 『お前はマーケッテング分野では博士号に値する』と言って頂いての『技監』だったので、大満足しているのである。
 
 大庭さんに一番づけづけとモノを言ったのは間違いなく私だと思う。
 そんな大好きな大庭浩さんだったのだが、早く逝ってしまわれたのである。

 

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