雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

山本隆さんへの弔辞

2023-10-26 18:04:27 | カワサキワールド

★ 山本隆さんが突然亡くなってしまった。
  公式には昨年11月のZ50周年記念にこんなに元気に
  出席していたのだがそれが最後になってしまった。

  

 
  彼が21歳の頃(1963)からのお付き合いなのだが、
  私が一生に出会った人の中で
  ひょっとしたら、彼が一番長く密接にお付き合いがあった人かも知れない。
  現役時代は勿論退職後もずっと密接に繋がっていたのである。

  若い時はレースで繋がっていて、
  私がレースの世界に入ったのも、
  その原因を創ってくれたのは、山本・歳森のBSとの仮契約問題だったのである。
  この事件は神戸木の実クラブの片山義美さんの一喝で、無事元のさやに納まるのだが、
  そのことから私はレースの世界に足を踏み入れたのである。


★ それ以来の継続したお付き合いだから、
  山本隆の写真も手元にいっぱいある。
  旧いと思われる順番に並べてご紹介してみたい。


  先ずは現役時代、カワサキがはじめてライダー契約をした当時で
  左から岡部・歳森・山本・三橋・梅津だが、
  岡部・歳森はすでに逝ってしまって、山本も続いてしまった。
  三橋・梅津は音信不通である。



  


 これが伊豆丸の山高原で行われた、MCFAJ全日本モトクロスで、
 山本隆は当時の久保・荒井の両雄を下しての優勝だった。
 この優勝でカワサキのモトクロスが一人前だとレース界認められた優勝なのである。
 東京オリンピックの開催式当日のことである。


 


 1955年5月には、カワサキのライダーではじめて鈴鹿サーキットに出場し
 ホンダに次いで3位入賞、
 『ヤマ3、シオ8、セイコウ、カワ』の電報が川合さんから送られてきた。
 そんなことからカワサキはロードの世界にも進出し、
 金谷秀夫との契約もスタートしたのである。
 そう言う意味でカワサキのロードレースの祖でもある。
 
  


  現役時代は文字通りカワサキのエースライダーとして活躍し、
 3年連続・全日本チャンピオンの栄にも輝いたのである。

  
 




 これは僚友、歳森康師とモトクロスのお弟子さん星野一義とのスリーショットだが、加古川の河原での練習風景である。

  
  

  これがF21Mが出た時の青森での全日本の時の写真で、
  1966年の年である。

 


 モトクロスライダーとしては、1973年ごろまで現役ライダーで活躍し、
 華麗なライデイングを披露した。

 
  
   


その後、トライアルにも出場したりしたしたが、

 
  


 

 自ら『60おじさん』と称してモトクロスにも長く出場した。

 
   



 これは荒井市次70歳・山本隆63歳の時だが、
 三木アネックスパークで、二人は昔同様の見事な走りを見せたのである。




   
  
 当時も現役時代と同じような見事なライデングで、

 


 若いアマチュア諸氏などは寄せ付けない、
 見事なライデングだったのである。






 そんな山本隆だが
 晩年は、私の後のNPO法人The Good Times の理事長も引き受けてくれていたし、

 

  
 これは私と一緒に東京に行った時の写真だが、
 星野一義がかってのお師匠さんにご馳走してくれた時の写真で
 シャッターを切ったのが私である。

 岡部能夫金子豊もこの時が最後になってしまった。

  
 

  これはマウンテンライダースの50周年記念パーテー
  京都に金谷・清原とも一緒に出掛けた時の写真だが、
  安良岡も金谷もこの日が最後になってしまった。





 同じ日に北川とも太一ちゃんとも一緒に、
 私の80歳の誕生日だったので、いまから10年も前である。
 ところで、山本隆は私よりちょうど10歳若いのでこの時は
 70歳だったはずである。





 これは神戸木の実クラブの記念祭だが、
 片山義美もまだ健在だった。
 彼とはいろいろ繋がっていて、私がライダーと一番初めに言葉を交わしたのは片山義美なのである。
 何故か何となく気が合って、その後もいろんな形で繋がっていたのである。




 これはその片山義美を偲ぶ会での山本隆である。





 そしてこれが昨年の11月だが、
 これが最後になってしまった。
 全く元気そうな山本隆である。

 



★彼は若しライダーにならなかったら、植物の世界に入っていただろう。
 植物が好きで、これは昨年彼が我が家に届けてくれたイチジクである。
 今年はここまで大きくなった。

  


 山本隆の想い出として大事に育てたいと思う。







  山本隆の写真はいっぱいあるのだが
  これが一番山本らしさが出ているなと思っている。


  



  それとこれは彼がただ一度だけ
  鈴鹿を走った時の3位入賞のトロフィーである。


  


 カワサキのロードレースの道を最初に拓いたのは
 モトクロスライダーの山本隆だったのである。

 いろいろと長いお付き合いだったがほんとに有難うございました。
 安らかにお眠りください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする