雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

山本隆 逝ってしまった

2023-10-18 14:12:15 | 発想$感想

★ つい先日のことだが、山本隆が入院したというニュースが流れたのだが、
 すぐに元気に退院するだろうと思っていたのに、帰らぬ人となってしまった。

 人生ではいろんな人との出会いがあるのだが、
 私にとっては、山本隆とのお付き合いが一番長かったと思うし、
 その中身も濃いかったのである。
 
 彼がまだ20歳ぐらいの頃にカワサキとライダー契約を結んだのだが、
 その翌年に山本・歳森のBSとの仮契約事件があって、
 その対策に私は駆り出されて、レースの世界に入ることになったのである。

 そういう意味では、今でも何かと関係のあるレースの世界に私を
 導いてくれたのが山本隆なのである。
 そのお陰で、私の人生は非常に豊かなものになったと思っている。

★ その翌年、1966年1月26日に突然、山本隆から仲人を頼まれるのである。
  私自身が結婚したばかりの32歳の頃で、とても仲人などと思ったのだが、
  彼がどうしてもと言うものだから、仲人役を引き受けてしまったのである。
  結婚式は2月27日に明石市の公民館で行われ何とか仲人役も無事果たせて、ホッとしたのを覚えている。
  その頃は、山本隆もまだレース界にデヴューしたばかりの若手ライダーの一人だったのだが、
  その後の活躍は素晴らしく、3年連続全日本チャンピオンの栄にも輝いて、
  ごく最近だがMFJのモーターサイクルスポーツ殿堂入りに輝いたりしたのである。


  


★カワサキでも10年以上の長きに亘って、契約ライダーとして活躍したし、
 引退直後に加古川に『山本レーシング』を開店した時は
 私はたまたま国内担当だったので、その開店にはいろいろと面倒をみたのである。
 彼はMFJのトライアル委員長を永く務めたので、後年大阪で毎年開催されていたイベントには、私と一緒に出席したりしていたのだが、
 私が退職して、NPO法人 The Good Times を立ち上げる際には理事としていろいろと手伝ってくれたりしたのである。

  

 
  その頃のNPO法人の事務所での理事さんたちで、
  私の理事長の後、2代目理事長を引き受けてくれて、
  今年がその最後の年だったのだが、本当に残念なのである。
  

★ 彼は植物に興味・関心があって、
  若しレースの世界に入らなかったら、
  多分、農業関連の仕事をしたと思う。

  これは我が家にある無花果だが、
  昨年、山本隆がその苗を届けてくれて2年目なのである。
  もういなくなってしまったので、
  この無花果を山本隆だと思って大事に育てたいと思っている。
 
  
   
 

★ 今日は18時からお通夜である。
  それまでの時間にこのブログを書いている。

  彼は私よりちょうど10歳若くて、
  今年、まだ80歳のはずである。

  これは昨年11月、カワサキZ50周年記念祭の時の写真だが、
  これが彼の最後の公式行事になってしまった。
  みんな立派になられたカワサキの仲間たちである。


  


  
  この時も元気いっぱいだが、
  私はこの写真が、山本隆らしくて好きである。

  
   



  

  山本隆さん、
  本当にいろいろとありがとうございました。
  安らかにお眠りください。

  18時からのお通夜でお会いしましょう。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FMみっきいのラジオ番組に出演

2023-10-18 05:15:08 | 発想$感想

★ 昨日は7時から三木のFMみっきいのラジオ番組に出演してきた。
 FMみっきいは、三木市役所の建物の中にある、こんな放送局である。
 
 


  テーマは『粟生線の未来を考える市民の会』の
  発足当時の経緯などについて話して欲しいというご依頼だった。

  粟生線というのは神戸電鉄の支線で、
  三木を通って粟生まで行っているのだが、
  ちょっと旧い話だが、2011年ごろに経営難でその廃線が検討されたことがあったのである。


  


 その当時に、三木の市会議員の板東しょうごさんに誘われて、
 『粟生線を残す』ような運動を展開しようとお誘いを受けたのである。
 そんな会合に出席してその後の展開を考えたのだが、
 『残そう会』などにすると賛成する人も勿論いるが、
 逆に廃線賛成の方も出てくるので、
 『粟生線問題を考える会』ということでスタートしメンバーを集めることとして
 その会長に山本篤先生を推したのである。
 すぐに快諾して頂いたのだが、その時、ネーミングを
 『粟生線の未来を考える市民の会』と決められたのだが、
 昨夜はそのことをご本人はすっかり忘れておられたようだった。

★ そのFMみっきいの番組は、私がゲストで、こんなメンバーでスタートした。

 ジーン景虎さんが総合司会で、
 山本篤先生といい音楽@みきのリーダー小巻健さんが質問役で

 私がそれに答えるという30分番組だったのである。

  

  
★番組の間には私の推薦曲・石原裕次郎の『勇者たち』が流れたりした。

 
  

  『なぜこの曲を』というご質問もあったのだが、
  石原慎太郎が私の1つ上、裕次郎が一つ下で、
  私の大学時代のデビュウーなのだが、そんな同じ年代だったので、
  何となく推薦曲としたのである。
  
  
★ 何の予行演習もなく、ぶっつけ本番だったのだが、
 私は、こんなことには結構慣れていて、
 何の問題もなくあっという間の30分だったのである。

 話の中心は『粟生線の未来を考える市民の会』がどんな経緯でスタートしたのか、ということだったのだが、
 2011年当時の日記で一応は調べていたので、
 先ずは、間違いない話が出来て
 『バッチリでした』と言って頂いたのである。

 ほんとは板東しょうごさんがこの話の発起人なのだが、
 市会議員という立場なので、出演がムツカシイのかなと思ったりした。

 2011年当時は私も結構三木市のいろんなことに関わっていて、
 板東さんも、小巻さんもその頃の仲間だったし、井上省二さんなども顔をだされていた。

 『粟生線の未来を考える市民の会』の新年会が翌2012年の1月に
 開催されているのだが、こんな写真が残っている。


  


  15名のメンバーが集まるのだが、

 



  勿論、私も参加させていただいた。


 


 あれからもう10年以上の歳月が流れているのである。
 ブログも重宝で、こんな写真が直ぐに現れるのである。
 私にとってもなかなかいい30分だったのである。

★ところでこの放送、昨夜のうちに流れてしまったのかと思ったら
 放送は11月3日夜7時が本放送。
  再放送は11月5日の夕方5時だそうで、まだ先のことのようである。
 それなら私も聞けそうだから、その日に合せてもう一度アップすることにしたい。
 FMみっきい、どの地域まで聞けるのだろうか?

 三木周辺の方は是非お聞きになってみて下さい。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする