雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

北海道川重建機-1

2007-10-17 05:31:24 | 北海道&建機
サラリーマン生活の最後の2年間を北海道川重建機でお世話になった。
川重建機と称しているが、川重の子会社ではない自前の優良会社である。

ずっと遡って、東北の仙台にいた40年も前の話だが、
その頃には、地方の二輪デーラーもメーカーの直販会社ではない自前の資本の販社が存在していた。
今はそんな性格の会社は殆どなくなって、メーカーの部下のような直販販社ばかりになってしまった。

歴史を振り返ってみると、直販会社になっていく過程は、
「経営不振ー資金援助ーメーカー出資」となって最後全額メーカー資本というのが、大体の流れである。

北海道川重建機はそんなことにならなかった優良会社であったのだが、
オーナー社長さんが亡くなったりして、適当な経営者が居られなかったのか。
2年のお約束で経営を担当することになった。


これは私にとって非常に面白い経験だった。
興味もあったし川重とは関係のない現地籍の人たちと一緒に仕事をするのは、
生まれつきの太平楽な性格で、特に興味があった。
個性の強いうるさい人もいたが、そんな方とのお付き合いは遣り甲斐があった。
心配しなくとも必ず上手く行くであろうという自信みたいなものもあったし、結果もまあまあ上手くいった。

今まで経験した二輪とかジェットスキーとは性格が全然異なる商品だから、
今更商品など覚えてみても仕方がないと、一切商品の名前なども覚えないように務めた。

その代わり、
そこに勤めている人と仲良くなること、
経営数値の内容は、社内で一番詳しくなるようにと新しい管理方式を導入して、
この二つだけの課題にしぼった経営に心掛けた。

これは直ぐ、出来た。
この二つだけで、2年間まあ上手く行ったと思っている。
私自身も、結構楽しかったし、少なくとも現地の人に煙たがられたりはしなかった。
はじめて経験する事業であったが、二輪の経験は意外に役に立った。

それは、二輪事業はある意味昔から 「世界の常識で進められていた」 からだと思う。
この時期あたりから、日本の社会がどちらかと言うと世界の流れへの追随であったために、
二輪事業の考え方は、日本の社会の新しい考え方に合致する部分が非常に多かったのである。

具体的な営業活動など、みんな任せて一切しなかった。
それでも、取引先の重要な方たちとは商売の話はしなかったが、
間違いなく仲良くはなれたし、ちゃんと話は出来た。
官公庁も銀行も業界も、私のスタイルで大丈夫であった。
あんまりぺこぺこアタマを下げることだけはしたくなかったし、しなかった。



なぜ、急に思い出したようにこんなことを書いているのかと言うと、

先日、息子と標津の忠類川に鮭つりに行ったとき、
中標津で北海道川重建機の営業所を見つけて、休みであったがメモだけ置いてきたのである。

直ぐ、「北海道川重、佐藤です」 と佐藤敏行君からメールが届いた。
「北海道に来ておられたのですね。雑感日記、ブログ読んでます。これからも読みますが、もう少し北海道のことを書いて欲しい」と注文がついたのである。

営業所に置いてきたメモで、或いはブログで、北海道に遊びにいったことを知ったのか解らないが、
このブログにも、北海道のことを書くべく「北海道&建機」というカテゴリーまで設けているのだが、なかなか手が廻らずにいる。


そんなことで、少し纏めて書いてみるかと思ったのである。

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