雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

いい時計を欲しがる心理??

2017-05-06 05:47:50 | 発想$感想

★こんな記事が、二つも載っていた。

 

   

 

 

   

 

 

セイコ― も シチズン も銀座に直営店を出したらしい。

こんな記事の内容である。

シチズン時計は、銀座6丁目にできた商業施設「GINZA SIX」(ギンザ・シックス)に、世界初となるグループの直営店をオープンした。4月20日の開業日に早朝から並んだお客の目当ては、世界で最も薄い光発電時計「エコ・ドライブ ワン」の限定セット(税抜き75万円)。

 

★世の中の高級品、例えば車などと違って、時計の機能は『幾ら高くても、全く同じ』なのである。

今の世の中、時計はいたるところにあるし、スマホにも表示されるし、『時間を知る』ということでは、時計など持たなくても不自由しない時代になっている。

仮に、持ったとしても、その機能は特別のものではない。

 

それなのに、人々は『いい時計』を持ちたがる。

これは、『なぜかな??』と思うが、自分でもよく解らない。

 

★かくいう私も、時計に非常に関心を持った時期が、人生で2度あった。

一度目は、大学に入ったころで、確かには覚えていないが、腕時計を持っていなくて、(その頃はそんな時代だった)兎に角『欲しかったのである』 その時代時計は贅沢品で、今のように1000円、2000円の物はなくて桁は一つ多い1万円台が多かった。

不思議だが1960年代のまずしい時代、1000円や2000円の時計や靴はなくて、結構高かったのである。50年経って給料は何十倍にもなっているのに、時計や靴は当時よりも安いものも買える時代になった。

就職して、『やっと時計が買えた』初任給は12000円だった。

 

もう一度は、ずっと後になって、一度目の退職金も貰い、子どもたちが就職して、ちょっと懐に余裕が出来た時代、『なぜか時計に凝って』何十万円のものは買えなかったが、10万円前後のものを、何個も買いあさった時期がある。

その時も、なぜそんなに『時計に魅力』を感じたのか?と自問自答してみても、答えが見つからないのである。理由はよく解らないが、兎に角欲しかったのは事実である。

今現在は、腕時計は殆ど使わない。神戸などに外出するときだけ使っているが、その時も2000円ほどの時計をすることの方が多い。腕に付けても『軽いから』がその理由だろう。1個だけ『オメガ』の時計が動いているが、1年に使う頻度は間違いなく10回以下である。

その他の時計は、みんな眠っていて、電池が切れているが、電池を入れる気がしない。

 

 

  

 

 このグラフを見る限り、ホントにどんどん伸びているのである。

 幾ら、考えても『なぜなのか?』 その理由はよく解らないのだが・・・・

 二つの記事、並べておきますので、関心のある方は読んでみてください。

 

  http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278209/050200036/?rt=nocnt

 

  http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278209/050200036/?rt=nocnt

 

★ 人間不意議なもので、『欲しい』時は、その理由などないのかも知れない。

女の人の『バッグ』などもその一種かも知れない。

家内も、何故か『バッグ』を買いたがる。最近は高価ななものではないのだが、兎に角『買いたい』ようである。

つい先日も『しょうもない、安物の小さいバッグ』をコープで買っていた。

それにしても、何百万もするようなものを『欲しがる心理』は何かなと思う。

 

ゴールデンウイーク 暇だから、そんなことを考えながら過ごしている。

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★ 今年4月に始めた Instagram です

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★58万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田崎さんからの メール と写真

2017-05-05 07:00:28 | カワサキ単車の昔話

 

★ 田崎雅元さん、元川崎重工業の社長さんで、エライ人なんだが、私にとっては、若い時からいろいろと一緒にいろんなことをやった仲間だし、今でも昔の儘に気安く話せる『オトモダチ』なのである。

そんな田崎さん、いま私が毎週綴っている『カワサキ二輪事業と私』に興味を持っていただいて、いろんなデーターなど送ってくれるのである。

このシリーズも段々と佳境に入って、愈々次回からはそれこそ田崎さんと協働した『KMC対策時代』に入っていくのだが、私はいろんな記録は持っているのだが、当時の写真がないので、『田崎さん、持ってませんか?』とメールしたら、こんな貴重な写真を、自ら書かれたメッセージと共に送って頂いたのである。

次回の『カワサキ二輪事業と私』にもご紹介しようと思うのだが、折角懐かしいこんな写真も送って頂いたので、ちょっと私なりの感想を・・・

 

     

 

左から、安藤佶郎さん、青野格事業本部長、高橋鐵郎さん、田崎さん、そして高田信昭さん、当たり前だが、みんな若いな。

髙橋さん、安藤さん、田崎さんとは、カワサキのファクトリーチームスタート時のレース仲間でもある。

高田信昭さんは、当時の本社企画課長という一番のいい出世コースを投げ出して、KMCに身を投じたちょっと珍しい人である。KMC帰国後は、カワ販の東京など東日本販売の専務なども手伝ってくれて、私が現役最後に務めた北海道川重建機の社長は高田さんが引き継いでくれたのである。

 

    

 

安藤さんがこの時、KMCの役員やられてたのは記憶になかった。私は1983年の10月からは、企画に戻ってKMCを援ける立場になるのだが、その時はもう明石の技術本部長をやられていて、いろいろと手伝って頂いたのである。

 安藤さんの雰囲気がよく出てる写真だなと思う。

 

 KMCに異動された田崎さんの挨拶状も貼付されていた。

 

      

 

 

7月初めには田崎さんのアメリカ行きは正式に決まって、当時川重の公認会計士をされていた大谷先生田崎さんを紹介すべく、大谷、坂口、古谷の大学同窓生と田崎さんとのゴルフをやったのを思いだす。

大谷先生には、その後大変だった事業部やKMCのことでホントにいろいろお世話になったのだが、気さくな先生で、田崎さんも私もずっとよく面倒を見て頂いたのである。

 

 

★田崎さんが、こんな一文をメールで送ってくれた。

     

古谷さん

貴方のお蔭で昔の話を思い出すチャンスを頂き有難うございます。

私は、1981年(昭和56年)4月1日付で部長職に昇格となった。 名刺は、発動機事業本部単車営業本部管理部 部長となっている。今思えば、当時危機的な状況に直面していた米国KMCに派遣されるという道筋が何となく出来ていたようだ。

のあたりは、古谷さんのほうが裏情報を持っているかもしれない。

KHI本社では、明石に数人いた取締役から誰かをKMCに出向させるべきだという声が上がっており、落としどころとして高橋鉄郎理事がKMC出向することになったと聞いている。6月頃だったか、ある日高橋さんから「8月からKMCに出向することになった、君も一緒に行ってもらう、僕は会長、君は社長をやってくれ!」

「ただし僕は短期1年くらいで帰国することになるだろう」と言われた。 大きな不安も感慨もなく、骨は高橋さんが拾ってくれる、と自然体で受け止めたように思う。8月に青野取締役本部長、高橋理事と共に渡米、直ちにKMCの臨時取締役会を開催、高橋さんは会長、私は社長に就任した。

その後KMCの再建のため、構造改革、特に財務内容の抜本的な改革のためKHI本社を巻き込んで増減資を含め日本サイドに販売に係るコスト、費用を大幅に移転する事になり、親会社KHIを無配に追い込んだKMCの社長、という不名誉を背負い、親戚からお前はKHIを首になるのではと心配された。

とにかく、日本車全体の過剰在庫、為替レート、250円/ドル 金利20%という市場環境、銀行からはサブスタンダードと評価され、借入には親会社KHIの保証が必要という状況の中でのキックオフであった。

緊急対策としては、増減資、リンカーン工場のKHIへの譲渡、明石からの製品、部品の輸出条件の変更(L/Cアットサイトから180日サイトへ)P/Lコストの明石負担、KMCサイドは、スノーモービル事業からの撤退、人員削減、部品倉庫の集約、対ディーラーの販売条件(フロアリングと称する掛け売り)の変更、等悩んでいる暇は全く無かった。

今思えば、当初の2年間は、もともと技術職として、品質管理、補給システムのプロとして活動してきた私にとって、未経験な分野を学びながら常識を信じて走り続ける毎日だったが、「俺が一番に困るのは何かおかしい、俺よりも困る経営幹部が必ずいる筈だ」と腹をくくっていたのでさほど悩んだという記憶はない。

KHI本社の若い人達にもいろいろ助けて貰ったが、その殆どが後に日の当たるサラリーマン人生を歩んでいる事を嬉しく思っている。

一連のKMC対策について、古谷さんには、私の明石サイドのキャッチャー役を務めて貰い、帰国後の高橋さんと共に本社との間で、随分とご苦労を頂いた。

 後に、この経験から「子会社を赤字にしてはならない!が私の経営理念の一つになった。

*************************
田﨑雅元

 

 

★この年、当初からKMC問題は、大変だったのである。

のあたりは、古谷さんのほうが裏情報を持っているかもしれない。 と田崎さんは書かれているが、当時カワ販を担当していて、毎月本社大西常務のところに月次報告に行っていたし、このプロジェクトの直接責任者であった山田熙明(当時専務)さんはかってレースを一緒にやたこともあり、神戸一中の後輩ということで特に面倒を見て頂いたので、いろんなこと特に人事問題はいろいろと聞こえてきたのである。『私の名前』も、頻繁に特に本社筋からでて、特に財務筋からはいろいろとあったのである。

田崎さんは、ご自身が書かれているように『販社経営』については当時は未経験な分野だったし、特に当時のKMCの状況が、営業損益までの分野よりは『営業外』のバランスシートに関する分野の対策が中心だったので、そんな関係で『本社財務』が関与したのだし、高橋さんと田崎さんに資金繰りやバランスシートの重要性を説いたのは、私なのである。

そんなKMCの営業外対策の実務運営のために、当時の国内カワ販から『富永・日野』というカワ販最優秀のコンビをKMCに逆出向させたりしたのだが、この辺りのことは、当時カワ販の副社長もして頂いた高橋さんが非常に理解が早かったのである。

田崎さんに、『KMC対策は営業外だから』と言ったが、最初は 『???』こんな感じだったが、技術屋さんがバランスシートに興味を持ったりすると、どんどん詳しくなって田崎さんのこの辺りの資金対策を含めた知識は本格的で、相当なレベルなのである。

『子会社を赤字にしてはならない!』と言われているが、その通りなのである。

 

● 髙橋さん田崎さんが、アメリカに行かれたのが、    昭和56年8月(1981)

● 私が企画に戻り高橋さんも企画室長で戻られたのが、  昭和57年10月(1982)

● 大庭浩本部長が再建屋として単車事業部来られたのが、 昭和58年7月(1983

● 単車事業再建なって大庭副社長で本社に戻られたのが、 昭和61年6月(1986)

そして髙橋本部長となって、翌昭和62年度には、田崎さんもアメリカから戻り、私は企画から営業に、KMC社長には百合草三佐雄さんが引き継ぐことになるのである。

 そして一時38百万ドル(当時の日本円換算約100億円)もあったKMCの累損は、田崎ー百合草社長時代の対策で、1989年に完全に消去されて、文字通りの『KMC 再建』が果たされることになるのである。

 

★『カワサキ二輪事業と私』は次回から、高橋・田崎さんがアメリカに渡られた、1981年度になるのだが、その予告編みたいなものである。

田崎雅元さんという強力な助っ人が現れたので、これから続く、現役最後の1999年まで、いろいろと援けて貰えることになりそうで、この後もずっと、高橋・田崎さんと私との密接な関係は最後まで続くのである。

若し『カワサキ二輪事業と私』が田崎雅元さんとの二人三脚で書けたらいいなと思っている。

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★ 今年4月に始めた Instagram です

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★58万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールデンウイークの三木総合防災公園

2017-05-04 06:31:16 | みっきぃふるさとふれあい公園

 ★5月3日、憲法記念日、ゴールデンウイークの後半が始まった。

高速道路や新幹線はいつもの通り、混雑のニュースが流れているが、三木も公園あたりは、そんなに多くの人出もないように思う。

中でも穴場は、三木総合防災公園だと思う。

朝、10時、ちょっと早かったが様子を見に出かけてみた。

 

広いので、ずらーと見て回るのに1時間以上掛ったが、動画に撮って3分に纏めている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=XxV6ZnZ-FFw

 

 やはり『ゴ―ルデンウイーク』でいつもよりは、駐車場のクルマも多いが、流石にサッカー場は、私が入る時は大丈夫だったが、出るころには、満車になっていた。

 

 

  広大なゲートボール場は、未だ人もまばら。

  

 

  ビーンズ・ドームに渡る橋の南北は、5月の緑がいっぱい。

  こちらが南側。

  

   

  こちらが北側。

  

 

  広場の藤が盛りである。

  

 

  5面あるサッカー場は、子どもたちや女子サッカーをやっていた。

  動画にはその得点シーンも写っている。

 

  

 

  野球場も試合をやっていた。

  

 

  関西の方で、未だ予定のない方にはぜひお勧めである。

  入場料も、駐車料も無料だから、お子様連れに弁当持ってこられたら最高だと思う。

  

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★ 今年4月に始めた Instagram です

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★58万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキの二輪事業と私 その51 昭和55年(1980)

2017-05-03 06:24:59 | 自分史

昭和55年、1980年代に入って、この年には こんなニュースが並んでいる。

  • ■第1回の全国規模のホワイトデー開催
  • ■日本の自動車生産台数が世界第1位
  • ■巨人の長嶋監督が辞任、王選手引退
  • ■モスクワオリンピックが開幕(日本はボイコット)

 80年代『バブルの時代』と言われる好景気の時代だったが、カワサキの二輪事業はこの年あたりからさらに深刻さを増す状況に入っていくのである。

前年末に高橋鐵郎さんは理事に昇格されたし、私は川崎航空機入社の同期の中で、ただ独り『部長昇格』となって、評価して頂いたのはいいのだが、『ただ独り』というのは何となく『いやな気分』だったのである。

ずっとカワ販に永く出向していたこともあって、『部長』などと呼ばれたのはもう5年以上も前の話だし、前年からは『常務』と呼ばれていて、今更『川崎重工業の部長』と言われてみても、そんなに嬉しくもない心境で、ホントに職位などには全然興味がなかったのである。

この年の1月には、川崎重工業の『関係会社社長会』にも出席しているのだが、当時の川重の関係会社の社長会の出席者と言えば、今とは全く違って元川重の副社長・専務・常務など役員経験者というお歴々ばかりなのだが、カワ販社長が現役常務の塚本さんであったことから私が出席したのだが、お歴々の中でただ一人若いのがいるそんな状況だったが、それまでに本田宗一郎さんと同じ会議にも何度か出席したりした経験もあって、『ビビったり』することは殆どなかったのである。

二輪事業が大変な時期に、FXのお蔭で国内だけが順調だったものだから、事業部というより本社筋での評価がよかったのと、現実に国内グループの常務をしていたので、そんな結果になったのだろう。

 

話のついでに、

部長昇格したので、2月初めに『新任部長研修会』なるものが行われ、川重の副社長を務められ、今は髙橋鐵郎さんのあと、相信会会長をされてる同期の小野靖彦さんなどと同じグループでグループ討議など行ったのだが、その討議のグループ発表テーマをお前の話はオモシロいからと『単車事業』にされてしまったのである。

討議はともかく、その発表資料は私一人が纏めざるを得なくて、他の6人の人たちは何もしなかったのだが、その代り私は研修中の酒代の負担はなく『タダ酒』を飲ませて頂いたのである。

その時の資料が残っているのだが、以下のように書かれている。

『与えられたテーマの纏め方としては、幾つかの纏め方が考えられたが、次の理由により古谷部長の説明された『単車事業』とすることに決め同部長より発表することにすることにした。

単車事業は製品企画・開発・生産・販売の各分野が同等のウエイトで重要性を持ち、経営全般にソフト思考で研究する好材料と思われたこと。単車事業は当社の中で大きなウエイトを持つ一方でかなり異質的で、この機会に他班のメンバーに説明することが有意義であると思われたこと。』 などとグループの人たちがうまく理屈をつけて、私一人での発表となったのである。

確かに、単車を除いては、川重はすべて受注事業だから『単車の話』は異質で経験のない分野だからなかなかオモシロいのである。

単車事業を担当している人たちが、開発・生産の専門分野はともかく、販売分野を含めた『二輪事業全般』について喋れるメンバーは、当時は『限られていた』ので、このような全体の話を聞く機会などはなかったのは間違いないのである。

私が喋ることができたたのは、『10年間のカワ販への国内販社出向』という経験があったからなのである。

 

 

★ 単車事業 とは、その冒頭の資料がコレである。

 

    

 

 ご覧頂いたらお分かりのように、

40年も前のことなのだが、最近、Facebook やブログなどで私が言ってる『仕組み』や『仲間づくり』や『社会との繋がり』はこの時点でも既に言っていて、『単車事業とは』私なりに このようなものだと思っていたのである。

この発表時は本社人事・企画・財務などの役員さんもおられて、大西常務からは『非常によく解った』とお褒めのお言葉を頂いたのだが、同時に『ほかのメンバーは何をしてたのか?』との質問もあったのである。

この発表は、単車事業が注目を浴びていた時期でもあり、結構話題になったようで単車事業のトップにも話が伝わり、その説明をさせて頂いたこともあって、その資料が残っていたりするのである。

 

二輪事業を1枚の表に纏めているのだが、これは私の恩師、小野田滋郎さんからの教えで、きっちりと理解していることは『図示説明』できるはずだと仰るのである。

いい加減なことを言うと直ぐ『お前の言ってることを図示説明してみろ』と言われてしまうのである。そんな陸軍士官学校出身小野田滋郎さんの厳しい指導がこんな時に役に立ったと思っている。(小野田滋郎さんはあのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さんである) われながらなかなかよくできたと思っている。

 

★ この年の3月末の常務会にはこのような CMC計画 が上程されていて、事業部内ではまだ検討が続けられていたのである。

これは Compact Mortor Cycle 小型車プロジェクトで、もう数年前から吉田専務を中心に検討されていたのだが、アメリア中心・大型車中心の事業展開を進めてきたが、その肝心のアメリカが不調で、将来もっと量が見込める『小型車の分野』への進出を目指していたのである。

 

ただ当時の私の本音を言うと、小型車の完成車プロジェクトなど、カワサキの販売体質では既に中大型車向きの販売網となっている先進国市場では『大きな事業利益』などになったりはしないと思っていて、若し小型車をやるなら、CKDで「新しい市場」に新しい販売網」をセットする『開発途上国』でなら何とか競争になると思っていたので、5年前、私が企画の時に、『開発途上国市場のCKD事業』を提案し、結局は高橋さんと一緒にこのプロジェクトを担当推進することになったのである。

東南アジアでは既にGTOなどのヒット商品も世に出て、事業も好調に推移していたのだが、その他の完成車市場では『小型車』はまだ、陽の目を見ていなかったが、この年の9月には翌年発売されたAR50・80の試乗会が中山サーキットで行われたりしたのである。

ただ、この車も格好も性能もよかったのだが、眼を見張るほどの販売実績には繋がらなかったのである。

 

 

   

 

 

★ この年の大きな問題はやはりKMC対策で、KMC自体の損益も芳しくなかったのだが、その影響が事業本部にも及ぶような状況になっていたのである。

当時は発動機出身の山田社長が浜脇さんのあとを引き継がれたのだが、単車部門としては単車出身のメンバーでの対応がMUSTということで、『私の名前』などもいろんなところで上がっていて、特に本社筋では国内のカワ販が堅調なのでいろんな方から打診があったり、アメリカ担当の田崎さんなどからも、いろいろと相談があったりして、騒がしかったのである。

私自身は、現役時代自分自身の異動については、自然の流れのまま、与えられた職務をただこなしていただけで、それは常に『自分流』に思う通りにやれたのだが、進路の希望などは一切言わないことにしていたのである。

いろいろあった問題だが、この年の末あたりには、この問題は高橋鐵郎さんと田崎さんコンビで担当する方向となるのである。

 

★この年も未だ、Z400FXが好調でカワ販の経営も前年に続き好調だったのだが、10月に ヤマハXJ400 が出た途端に首位を奪われてしまうのだが、2年間は何とか安泰であったのである。

 

  

 

そして翌年4月にはホンダが CB400 を発売し、400㏄市場は激戦区となっていくのだが、カワサキは運よくこの2年間を切り抜けることができたのである。

二輪業界の競争の熾烈さは、本当にすさまじくすぐ追いついてくるのである

   

   

 

  この当時は、すでに国内の50ccのモペット分野では 『HY戦争』は、始まっていたのだが、50ccのないカワサキは『関係ない』と安閑としていたのだが、この『HY戦争』が、翌年あたりにはアメリカ市場にまで広がって、その煽りも受けてカワサキの二輪事業は大変なことになっていくのである。

 

★たまたま今日、当時直接『ハーレーダンピング』を担当していた田崎雅元さんから、こんなメッセージが届いたので、ご紹介することにする。

 

カワ販の組織改編の引き金となったハーレーのダンピング訴訟について、私の記録を調べてみました。 ご参考までに!

アメリカ大使館、経産省経由で訴状、質問状を受け取ったのが1977年6~7月、資料提出が1978年3月、ワシントンでのヒヤリングが9月。

結果的にはカワサキのリンカーン工場が米国産業と認められ、ハーレイと共に、日本企業による米国企業の被害は無いということで原告のハーレイが敗訴、ダンピング課税は無しという事で落ち着きました。

カワサキの立場は微妙で、ワシントンのヒアリングでも座席は、原告ハーレイとインデアン(日本車のダンピングで事業から撤退させられたと主張)、被告の日本3社に対して「その中央に設定され」、初頭からハーレイの「リンカーン工場はエンジンアセンブリイを日本から輸入している日本企業である」という主張と戦うことになりました。 

日本3社はカワサキに「リンカーン工場は米国産業で、ダンピングによる被害を受けている」と証言される事をとても気にしていましたので、過剰在庫の安売り合戦に歯止めをかけるために少し心配させるという戦術もとりました。

 

当時の『カワサキのリンカーン工場』は、田崎さんの記述にもあるように、非常に『微妙な立場』だったのだが、最終的には米国企業と認められ、そのリンカーン工場が『被害を受けていない』と証言したので『ハーレーのダンピング訴訟』は成立しなかったのだが、アメリカという国は、リンカーン工場をアメリカ企業と認めるなど『非常にフェア』だなと思ったのを思いだすのである。

他社3社が『カワサキがどのように証言するかを気にしている』とは私は当時の田崎さんから直接聞いていてよく覚えている。

いよいよ、翌81年からは、高橋・田崎さんがアメリカに渡ってのKMC対策時代に入っていくのである。

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

★ https://www.facebook.com/1126074024157186

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプさんの100日間の評価

2017-05-02 06:23:22 | 発想$感想

★ 政権発足100日が経過し、アメリカ大統領 トランプさんの政治をどう評価するのか?

 

 

     

 

 

 Yahooの意識調査は、スタートしたばかりだが、こんな状況で、結構高い評価だなと思った。

 

    

 

★ 私自身の意見を聞かれたら、『高く評価したいが、100日では解らない。』というのが本音かなと思う。

今までにない、ユニークな大統領であることは間違いない。

オバマさんなどと比べて、やることがはっきりしていて『オモシロい』ということは間違いないのだが、問題がそれぞれ難しすぎて、トランプさんの対応が『よかったのか?悪かったのか?』が正直解らないのである。

その結果は、もう半年ぐらい経ったら、具体的な成果として現れるのではなかろうか?

 

いま持っている感想としては、

● 中国の習さんとの対談は、予想外ではあったが、これは『評価できる』と思う。オバマさんとはこうはいかなかった。そういう意味では、やはり実業家としてのトランプさんのほうが、従来の政治家よりは交渉力などは上のような気がする。

● シリアの『爆撃』はびっくりしたが、これもよかったのではないかと思う。何もしないよりは、何かをすることで、次の段階に進む方向が見える。

●一番大きいのは『北朝鮮問題』だが、確かにこの10年北朝鮮に勝手に動かれて、結果は『核保有国』になってしまった。これから先、中國・ロシヤも含めて、この問題はどのように進むのか? この結果が出ない限り、トランプさんの100日を評価する、しないは時期尚早だと思う。

● アメリカの内政問題は、よく解らない。

 

 『トランプさんの100日の評価』 と検索すると

こんな風に現れる。

 https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%90%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%A9%95%E4%BE%A1&spf=550

 

 大体『識者』や報道関係者の評価が『低い』のは解る気がするが、『従来の政治手法』を変革しようという意欲を評価したい。

 

 こんな調査もあって、数は少ないが、ほぼ同じような傾向である。

 

    

 

 大体 40%の人が『評価している』がこれはある意味『非常に高いな』と思った。

 

★ 『北朝鮮問題』あと1か月後にどうなっているのだろうか?

 北朝鮮が『核を放棄』するとも思えないが、戦争にならずに、解決の方向が見えたら『大成功』なのだが、従来の大国だけが『核を持てる』という論理ももう一つである。

インドなども核保有国だが、特に大きな問題にもなっていないのだが、北朝鮮が問題になるのは、あの金正恩の独裁体制が問題なのかなと思って、『北朝鮮のトップ』と検索すると、

 https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97&spf=555

 こんな思いもよらないような話がいっぱいで、『金正恩は日本人の血統だ』などといろいろ載っていてびっくりした。

 

 ★それはともかく、トランプさんとは、Instagram も Twitter も Facebook も、繋がっていて、毎日でも、お会いできるので、何となく『親しみ』が湧くのである。

 

 ● Instagram    https://www.instagram.com/realdonaldtrump/?hl=ja

 ● Twitter           https://twitter.com/realDonaldTrump

 ● Facebook         https://www.instagram.com/realdonaldtrump/?hl=ja

 

 この辺りは、橋下徹さんや、小池百合子さんと通じるところがある。

 『トランプさんの今後に期待したい』と思っている。

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★ 今年4月に始めた Instagram です

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★58万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モリワキ製の 鉄モナカ マフラー

2017-05-01 05:38:15 | 発想$感想

 ★  久しぶりに登山道夫さんのGood Times Plaza に遊びに行った。

休みの日はいつも、バイクファンでいっぱいなのだが、珍しく人が少なくてひっそりとしていたのだが、何か『モリワキ製の 鉄モナカ マフラー』が人気で、忙しいらしい。

二輪事業には長年携わったが、その技術的なことなど、何にも解っていないのにいろいろ聞いていたら、登山さんの講釈にはまってしまって、出来たら、ブログで紹介して欲しいと仰るのである

 

       

 

 そのマフラーのついた、登山さんの『KZ1000 MARKⅡ』と そのマフラーの入った箱と

 

  

 

そのマフラーの写真は撮ってきたが、それが、どのくらい『いいものか』はさっぱり解らないのである

そんなマフラーが 148000円もして、限定販売なのだが、第1回目が直ぐ売れ切れてしまったので、いま第2回目の限定販売を実施中だそうである。

 

 

   

 

 ★登山道夫さんとは、この10年のお付き合いで、ずっと昔から知っていたわけではないのである。

カワサキに『岩崎茂樹』くんという博学のオモシロい人がいて、私のあとのファクトリーチームのマネージメントなども担当してくれたのだが、彼は残念ながら早く逝ってしまって、『岩崎茂樹くんのこと』というこんなブログをアップしたら、コメントがいっぱい来て、その中に登山さんからのこんなコメントもあったのである。

  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/cb3b1d385dd20b2ef0deacc4d4f7605d#comment-list

 

   

 2007年のことだから、もう10年も前の話なのである。

登山さんは、たまたま私が住んでいる三木の緑が丘にお住まいだったので、それからお付き合いが始まって、

8年前にNPO The Good Times を立ち上げた時、事務局長も引き受けて頂いたし、登山さんの『seaz company』の事務所をお借りしているのである。

カワサキのZの猛烈なファンで、こんな KAWASAKI Z1 FAN CLUB というファンクラブを立ち上げて、その代表にはカワ販の定期採用第1期生の渡部達也、メンバーには、濱脇洋二・アランマセック・大槻幸雄・稲村暁一・田崎雅元・等々カワサキZの真打したちが、その名を連ねている由緒正しいクラブで、日本人だけでなく海外の世界的に有名なライダーらたちもいっぱいメンバーなのである。

 

  

 

そんなカワサキのファンたちに対する、いろいろな催しや用品なども提供しているのだが、このマフラーもそんな一環なのである

 

 

★私が間違ったことを紹介してもいけないので、登山さんご自身が書かれている、ネット情報の中から選択してご紹介をしておこう。

 

 

d0246961_10551427.jpg



 
d0246961_1120483.jpg


 
『KAWASAKI Z1 FAN CLUB の 会員さんだけの対象かな』と思ったらそうでもないようで、こんな記事が載っていた。
 
  
さて、今回のMORIWAKI G LEGEND MONSTERですが、
前回のLEGEND MONSTERをクラブメンバーのみ購入可能にした所、業界の方から、思いもしなかったご批判を複数頂戴したりしました。

そこで今回は、KAWASAKI Z1 FAN CLUBメンバー以外の方でも、このマフラーをご購入出来る様に致しました。
しかし、限定製作商品で有る事には、変りありませんので、いつまでも販売出来る訳ではございません。
よって、売り切れによる販売終了の際には、どうぞご容赦下さいませ。』

 

それで、『現行のモナカと何処が違うの? 』 と聞いたら 『ハイ‼︎ 全てが違います♪』という答えが返ってきて、いろいろと講釈されるのだが、私にはもう一つ解らないので、その詳細が登山さんのブログに載っているので、ご関心のある方はご一読を!
 
  http://seaz.exblog.jp/23532657/

 

d0246961_13203664.jpg
 
d0246961_13591555.jpg

 

 ★ モリワキさんは、NPO The Good Times の団体会員にも、ご入会されていて、登山さんとは親交があります。

 

          http://www.moriwaki.co.jp/

 

 つい最近も、KAWASAKI Z1FAN CLUB のメンバーたちとの合同イベントがあったようである。

Z1の40周年を記念して、2013年7月に開催された 『KAWASAKI Z1 FAN CLUB 主催のこんなパーティー』には、錚々たるメンバーが集まって、その中にはモリワキさんご夫婦も参加されたのである。

   https://www.youtube.com/watch?v=ZKdEuytpOns

 かってのカワサキの開発陣も、販売メンバーたちも、そのデザイナーも、世界的な著名ライダーも、ちょっとこんなメンバーは、なかなかメーカーでも集められないような、素晴らしいメンバーたちだし、このYou Tubeの内容も素晴らしいので是非、ご覧になればいい。

ご参考までに登山さんから、2017年4月15日16日に開催された第4回Z1FC全国お茶会 モリワキZ祭についての詳細なブログもお送りいただいたので、添付しておきます。

 
 
 
 
 
★ 登山道夫さんとのお付き合いの始まりが、ブログのコメントからだし、NPO The Good Times の活動はネットベースで、登山さんのご商売のやり方も、すべてネットのヨコの繋がりですべ成り立っている。そのレベルは『日本の最先端の仕組み』で海外からのカワサキの名車たちも、その部品などの小物も扱われている。
 
マフラーのこと』など何の知識もない私でも、こんな『情報発信の分野』なら結構「高いレベル」でのお手伝いができるのである。
 
異種・異質・異地域の人たちをみんな繋いでいい時を過ごそう』というNPO The Good Times の基本コンセプトを、現実に「実行して」成果を上げておられる事務局長の『登山道夫』さんなのである。
 
 
このマフラーについては、第一ロットの30本は1週間ほどで完売してしまったので、現在第二ロット(5月末完成予定)の予約を下記サイトで受け付けているそうなので、ご関心のある方は早めに、ご注文をされたらいいと思います。
 
 
 
 
 
 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★ 今年4月に始めた Instagram です

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★58万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 




 
 
 
 









 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

      




 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする