雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

草が生えない庭

2022-09-15 06:46:18 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 庭に苔を植えだしたのは今年の1月のことだが、
 以前にも一度書いたが、『苔に草が生えた』のではどうしようもないので、
 それから毎日草を抜き出してもう半年以上になる。

 最初は抜いても抜いても翌日には小さな草が芽を出したのだが、
 これは草の種が地中に残っているからだと解って、
 草の種が落ちないように徹底して草を抜いたら小さな芽は出さなくなった。

 そして今は庭には殆ど草が生えていない。
 一本もないとは言わぬが、少なくとも大きな草は生えていない。


 こんな感じで、ごみは落ちてるが草は生えていない。

  



 こんな区画の中は、出来る限りゴミも落ちていないように、
 毎日気が付いたら拾っている。




 こんな小さな区画は殆どゴミもないのだが、
 写真に写すとまだ小さなごみが目立って見えるのである。




 
 少なくとも、土の見えてるよころは皆無になったし、
 毎日目標をもって「草抜きやごみ拾い」をするのは結構楽しいものである。

 草はある程度目途が付いたが、ごみは剪定した落ち葉などが出来るので、
 これをなくすのは結構大変さが、そのうち何とかなるだろう。

 苔を植えてから朝夕「打ち水」をしているが、
 苔が生き生きして気分がいい。

 このように瞬時に「青い芽」を吹くのである。
 


 この辺り、ごみも殆どないような状態になっている。



 
 

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カワサキの二輪事業の黎明期    雑感

2022-09-14 05:07:34 | カワサキ単車の昔話

ふとしたことで書き出した日記だが20歳からだから、
 もう70年も続いていて、たまに読み返すこともあるのだが、
自分の記憶」として覚えていないことも結構ある。

 この11月には「Z50周年記念祭」が明石であって、Zファンなど100人以上が集まるのだが、
 その最初のスピーチで「カワサキの二輪事業の黎明期」の話をすることになっているのである。
 大体は覚えてはいるのだが、単なる昔話の雑談でもないので、
 もう一度当時の日記を読み返して確かめているのである。


 
  
 
 カワサキが二輪事業の一貫生産をスタートさせたのは、
 昭和35年(1960)のことだが、営業部の中に単車課がスタートしたのは翌年の12月のことで、
 最初に発売した125B7に欠陥があってとても順調とは言えないスタートだったのだが、
 いろんな幸運が繋がって、単車事業再建が決定されたのは4年後のことで、
 単車事業本部がスタートしたのは、1964年1月のことなのである。
 これは日本能率協会が「単車事業継続の可否」について調査し、
 その結果は「単車事業継続」の結論が出るのだが、
 その条件の中に「広告宣伝課の設置」と言うのがあって、その新しい課を担当することになったのが私なのである。

 それまでは広告宣伝については、当時の「カワサキ自動車販売」が担当していて、
 その責任者はあのフィリッピンの小野田敏郎さんの弟さんの小野田滋郎さんだったのである。
 この写真の左の方で陸士出の秀才で、現役時代いろんな方に出会たが
この人にはとても敵わない」と思った数少ない方の一人である。



     

 
 小野田さんには「広告宣伝課」を引き継ぐに当たり、
 ほんとに親身になっていろいろ教えて頂いたのである。
 
 これがその年前半の日記からの抜粋だが、
 私にとってそれまでのサラリーマン生活とは一変した「突然変異」した期間だったと言えるのである。



 

 
  
広告宣伝課を新しく設置なのだが、
与えられた予算は年間1億2000万円と言う膨大な予算で、
今の金に換算すると10億円は軽く超す額だったし、
その課の課長は次長が兼務で課長も掛長もおらずにまだ係長にもなっていない32歳の私に100%任されたのである。

上記のメモ書きにもあるように
広告代理店は予算目当てに電通・博報堂などが押しかけてきて、
その代理店選定基準を小野田さんと二人で創ってやったのだが、
広告の専門家たちから、「お褒めの言葉」を頂いたような素人離れしたものだったのである。
 
雑音に耳を貸すな」とは、その時小野田さんが私にくれた言葉で、
その後の人生は「雑音に耳を貸すことなく」生き抜けたと思っている。

★人生にはいろんな時期があるが、思い返してみるとこの年の半年間は私にとって、
今まで全く経験のなかったことへの挑戦の期間だったと言えるだろう。

本格的な広告宣伝」に出会ったのも初めてだし、
マーケッテング」とか「広報・広告」についても広告代理店の本社メンバーとの間で本格的な理論の勉強もしたし、
今までは横で眺めていた「レース活動」についても本格的に取り組み、
ライダー契約なども広告宣伝費の中から負担していたのである。


 その当時の5人の契約ライダーである。
 左から岡部能夫・歳森康師・山本隆・三橋実・梅津次郎で、
 マシンは懐かしいB8モトクロス車である。
  私より若いのに先に逝ってしまって今残っているのは
 私より10歳若い山本隆さんだけである。

 
 

 同じような写真だが、これは安良岡健星野一義もいるので
 もうすこし後の頃の写真である。





上記のメモにもあるように6月にはMCFAJの全日本で山本隆がオープンで優勝していて、
これがカワサキの初めての全日本での優勝なのである。

すぐ後には、ヤマハと契約でトラブったとかで、荒井市次が勝手にカワサキに訪ねてきたりしている。
こんなレース界のスター選手だった人たちとも面識が出来て話が出来るようになったりした。

 このようにこの年の「広告宣伝課」との出会いは、
 突然1億2000万円と言うとてつもない額の広告宣伝費を任されて、
 流石にこれは7000万円ぐらいしか使えずに 
 本社の担当専務に「お前らは金をやってもよう使わん」と怒られたりしたのだが、
 私自身はいろんな「初めての経験」が出来て、その後の人生にも大いに役立ついい経験になった半年間だったのである。


★今日はここまでしか読めなかったが
Zが世に出る1972年まで日記を読み返してみて、
自分の記憶を確かめておきたいと思っている。

Zの開発責任者だった大槻幸雄さんとは、
こののちカワサキがロードレースを始めた時からレース監督をされたので、
それ以降今日までのおつき合いなのでもう60年ものお付き合いになる。

そんないろいろなことのあった「カワサキの二輪事業の黎明期」だが、
日記を読み返してみると、忘れていたことも思いだすかも知れないのである。



 
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「鶴は千年、亀は万年」というが

2022-09-13 05:39:03 | 発想$感想
★「鶴は千年、亀は万年」と言うけれどの本当のところは?
カメは長寿の象徴とされていますが「万年」は生きません。
しかし、私たちのみぢかな川や池にすんでいる『クサガメ』の寿命は、60年以上です。という記述があった。

協同学苑には、こんな野池が隣接していて、
その野池まで坂を下っていくことにしているのだが、
その池には「亀の姿」が観られるのである。


 こんな綺麗な池なのだが、


 


 今朝もこんな2匹の亀の姿があった。

 結構、大きいがこの亀で何年ぐらいなのだろう?




  ちょっと見難いかも知れないが、こんな小さな亀もいる。





 
  亀が岸辺に寄って来た。





  
 こんな亀たち、毎日何を食って生きてるのだろうと思う。
 そんなに小魚などはいる気配はないのである。
 そんなこと別に私が心配することはないのだが、
 何となく気になるのである。


 こんなことは初めてだが、
 今朝は蛇が対岸まで泳いで渡って行った。
 蛇は何を思っているのだろうか?





 生き物の世界はいろいろである。

 でも考えてみると今では日本人が一番長寿なのかも知れない。
 こんな表があって、
 90歳まで生きてる人は「あと5年」ほど生きれるそうである。





 鶴よりも亀よりも、人間が長生きの世の中になって来て、
 その平均寿命は毎年伸びている。
 ほんとに「人生100年」の世の中になって来たのである。



 
 
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大相撲が始まった

2022-09-12 04:48:50 | 発想$感想

2か月に一度の大相撲、めちゃ熱心なファンでもないのだが、
 夕方の1時間ほどテレビで観るのは楽しみだし、
 時間がつぶれるのがいい。

 初日と言うことで少し早くからテレビをつけていた。

 こんな三役力士の挨拶もあったし、

 


 横綱の土俵入りもあった。





 先場所優勝の逸ノ城、今場所はカド番の大関・御嶽海 だが、
 初日は二人とも白星発進だった。


 



 それにしても「モンゴル出身者」が素晴らしい。
 「モンゴル相撲」があるとは言うが、なぜこんなに強いのだろう。

 
  果たして今場所の優勝力士は?
  今日から始まった15日間が楽しみである。



 
 
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ASiCS でジョッギングシューズを買ってきた

2022-09-11 05:59:42 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

毎朝のスロー・ジョッギングで履いてる靴もASiCSで、
5年ほど前にアメリカで買ったのだが、
たまたまASiCSの4割値引きの株主優待券が送られてきたので、
神戸までジョッギング・シューズを買いに行ってきた。

ASiCSとは、現役時代にはジェットスキーの専用シューズなど作って貰ったりして関係があったので、
ランニングシューズはASiCSと決めている。
靴の専門メーカーだから、繊細に創られていてなかなかの履き心地なのである。


 こんな高級ランニング・シューズなのだが、
 結構高価で定価は22500円もするのだが、
 株主優待券を使ったので、13000円ぐらいで買えたのである。






 神戸の三の宮にあるこんな直営の専門店に行ったのだが、

  


 
 ランニング・シューズがずらりと並んでいて、
 一番高価なのは3万円もする。






  私の足のデーターをこんな具合に分析されて






  それに合う二つの型の中の一つを選んだのである。
  左の方は今まで履いてたのと同じ型の新型だが、
  右のほうがより「足を守る」と仰るので、
  ほぼ同じ値段なのだが、初めての型にしてみたのである。


   



★ ちょっと高価だが、
 昨今は毎日の生活の中で「スロー・ジョッギング」は
 結構大きな比重を占めるので「少々の贅沢」もいいかなと思ったのである。

 これから毎朝、5年間ほどお世話になる靴なのだが、
 5年後も元気に走れているかどうかが「最大の問題」である。

 ところでASICSとは、ラテン語の「Anima Sana in Corpore Sano」のかしら文字をとったもので、
健全な身体には健全な精神がやどる」という意味合いを持っている。

 私自身もあやかって、健全な身体と健全な精神を維持したいものだと思っている。


 久しぶりに歩いた都会の街は
 土曜日とあって、沢山の人出で賑わっていた。

  








  
三木とはちょっと違った感じだが、
ASiCSのシューズを履いて走れる自然のある三木のほうが、
今の私には「いいな」と思ったのが実感である。



 
 
 

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子どもの頃の記憶は結構鮮明

2022-09-10 05:37:06 | 自分史

★ 最近は、何でもすぐ忘れてしまって、
 昨日のこともよく覚えていないことが多いのだが、
 子供の頃覚えたものはいまでも結構ちゃんと覚えている。

 毎朝スロー・ジョッギングを約2時間・1万歩ほどやっているのだが、
 その時「歌を唄っている
 歌と言っても子供の頃唄った軍歌や童謡が多いのだが、
 この歌詞が完全ではないが結構覚えているのである。

 歌を唄いながらジョッギングすると、いつの間にか距離も稼げるし、 
 リズム感もあっていいと思っている。

 どんな歌か? と言われると10曲ぐらいなのだが、
 太平洋戦争最中だったのでこんな軍歌も多い。

 ラバウル小唄・轟沈・轟沈・戦友やら 
 軍歌とは言えないが、満州娘や海ゆかばなどである。


  


 

 
童謡では、夕焼け小焼け・七つの子・お手てつないで などなど

 
    



  


   歌詞がやさしいこともあるが、
   殆ど、100%に近く正確に覚えているのだが、


   現役の頃、カラオケで歌った「演歌」などの歌詞は
   殆ど忘れてしまって歌えないから不思議である。

   記憶と言うのは不思議で、
   軍歌などほかにも沢山あったと思うのだが、
   それは出てこなくて、同じ歌ばかりがアタマに浮かぶのである。

   毎朝、歌いながらやってるので、だんだん正確に覚えるようになってきた。


   それに神戸一中の校歌の1番・2番を唄っている。
   覚えているのは中学校の校歌だけで、小学校も高校もましてや大学の校歌など全く覚えていない。


 

   神戸一中の校歌は、1.2番はよく覚えていて
   自分の結婚式の披露宴で、仲人が「何か唄え」と仰るので、
   歌詞も好きだったし、歌ったのを覚えている。
    

  

 
 
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誰とでも仲良くなるのは特技かな

2022-09-09 05:49:15 | 発想$感想

★ 今朝、三木総合防災公園でスロージョッギングしてたら、
 突然、笛の練習をされてた方に声を掛けられた。
 又吉先生である。
 いろんなことをやっておられるが、元中学校の校長先生だから、
 「又吉先生」とお呼びするのが妥当だろうが「又吉さん」で通している。

 確か、三木のジムに行ってた時に出会ったのだったか?
 最初の出会いは忘れてしまったが、
 その後も何度かお会いして、話をしている。

 今朝もいろいろ雑談して、こんな写真を撮って、
 Facebook のメッセージで送って頂いた。

 朝はいつもこんなシャツいちで走っている。


  
  
 
★ 私は誰とでも「すぐ仲良くなる」のは特技だと言っていい。
 そして、どんな方とでも同じように「気安く喋れる」のも特技である。
 元校長先生とも気安く喋れた「いい10分間」だった。
 でも、何を喋ってたのかはよく覚えていない。


 又吉さん、66歳だと仰っていた。
 まだ現役で「流通科学大学ゴルフ部GM  」などされてるのだが、
 最近はこんな笛も吹かれるようで、
 今朝は防災公園で「笛の練習」をされていた。 

 
 



★ 「89歳で元気ですね」と言われるが、
  あまりいろいろ考えずに、どなたとでも同じように
 「気安くお付き合いをする」のが、健康にもいいのだと思う。

 人生で「悩んだこと」など一度もない。
 「欲がない」のかも知れない。
 
 考えてみると、又吉さんと喋ったのはそんなに多くはなくて
 確か今朝を入れて「4度目」ぐらいだが、
 そのうち3度が、この防災公園なのである。

 そういう意味では、不思議なご縁で
 以前もFacebook でトモダチだったが、
 今回新しいFBでは4日前にトモダチで繋がったばかりなのである。


 
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創成期の二輪のレース界と私

2022-09-08 06:18:02 | M/Cレース
★ 私が若いころ4年間だけカワサキの二輪のレース関係を担当したのだが、
 それは1960年代のことで、二輪のレース界も創成期と言っていい時期だった。

 昨日、当時のカワサキを代表するライダーだった山本隆さんのことを書いたのだが、
 そのコメントに増田耕二・従野孝司くんのことが書かれたりして、
 当時を懐かしく思いだしたりした。

 この写真は2016年に『二輪文化を伝える会』が主宰して
 日本のモトクロス界を支えた当時のトップライダーたちが多数集まったのだが、
その時思いもしなかった従野孝司くんや、これも当時カワサキにいた増田耕二くんもいて一緒に写した写真なのである。

 
 


★ 私がレースに関係していた当時、
 こんな有名ライダーたちもまだまだ若かったのだが、
 みんな成長されてこの4人のライダーは、今年MFJから表彰され殿堂入りを果たされたのである。




 

★ 私自身はバイクにも乗らないのだが、
 若いころレース界に関係したことが、ほんとによかったと思っているし、
 当時から60年経った今も何となく二輪関係と繋がっているのである。
 いま繋がっているFacebookのトモダチを見ても、その80%が二輪関連なのである。
 

 かっての名門城北ライダースの大御所・久保和夫さんとは特に親しくして頂いたし、

 


 今は超有名人となった星野一義さんとも、
 初めて会った彼が17歳の頃のままのおつき合いだし、


 

  
 その星野一義との良きライバルだった、吉村太一ちゃんとはいろんな形で繋がっていて、
 これはマウンテンライダースの50周年記念に出席した時、
 その日が「私の80歳の誕生日」だったので
 お祝いの花束などを頂いたのである。





  まだまだいっぱい写真はあるのだが、
 これらはみんな「私の宝物」であり、私の人生を豊かにして頂いている。
 ほんとに短い間だったが、創成期のレース界に関係してよかったなと思っている。



 
 




 


 
 
 
 
  
 
 

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山本隆さんと旧交を温めてきた

2022-09-07 05:28:31 | 発想$感想

★ 昨日は登山さんと向笠さんが加古川の山本隆さんを訪ねるというので、
 同行して久しぶりに旧交を温めてきた。

 これは加古川名物「カツメシの昼食」をご一緒した後の写真である。

  


 山本隆さんは私よりちょうど10歳お若いので、
 いま79歳だが、バイクに乗せたら結構元気で、
 次の日曜日に名阪スポーツランドで開催される全日本モトクロスでは、
 デモンストレーションで走行するとか。

 これがそのF21Mだが、

 


 先日、三木のアネックスパークでテスト走行を行ったようである。






 このライデイングを見ると、
 間違いなく「歩いている時」よりは数段腰もちゃんと伸びて
 「サマになっている」ように思う。





 久しぶりに訪ねたお店だが、
 優勝カップなどこんなにいっぱい並んでいて、
 現役時代のかっこよさを思いだした。




★全然、話はバイクからはずれるが、
 彼は、こんな無花果の栽培などに興味・関心があって、
 バイクの道に進まなかったら、農業関連の仕事に進んだろうという。


 
  

 我が家にある無花果は、山本隆さんから頂いたものである。

 ちょっと所用もあって、

 


 加古川の花屋さんに寄ったりもしたのだが






 そこのお店のご主人は、
 こんなZ750RS




 

 こんな懐かしいカワサキのバイクをお持ちだった。




 やはり山本隆さんは、何でもバイクと繋がってるのかも知れない。

 私にとっても、旧交を温めることが出来た、久しぶりの「いい半日」だった。


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千両と万両

2022-09-06 06:23:39 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

千両と万両」植木の名前だがなかなかいい。
 我が家の庭には千両も万両も何本あるのか数えたことはないが、
 いっぱい生えている。

 千両は株分けで、万両は種が落ちて勝手に増えていったのだが、
 50年以上も経つと、その年数分ぐらいはあるのではないかと思う。
 どちらも半日蔭を好むようで、主庭の方は午後からは陽が当たらなくなるのがいいのだと思っている。

 どちらも冬の時期に赤い実と、千両は黄色の実も付けたりする。
 毎年新年の墓参には花は買わずに、「千両と万両」を切って持っていくことにしている。

 今年もいまいっぱいの実を付けている。

 こちらは万両

 


 こちらが千両である。

 


 万両はこのように種が落ちて、勝手に増えていくのだが、

 


 今年はとりわけ、自生して芽を出しているのが多いように思う。
 庭のあちこちに芽を出している。

  


  これなどは多分2年目だと思う。






★ 万両の分布地域は本州南部(関東より南)・四国・九州・沖縄、
  千両もマンリョウ同様、暖地の山野・山林に群生しているとか。
  岩手の方に差し上げたことがあるのだが、寒さに耐えられなかったようである。


 

 

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89歳はやはり老人かな?

2022-09-05 05:57:08 | 発想$感想

★ 今朝も朝から協同学苑をスロー・ジョッギングして
 自分では至って元気だと思っているのだが、
 「89歳はやはり老人かな?」と思われる出来事があった。

 カワサキが今こんなキャンペーンをやっている。

       
  

 
 そんなキャンペーンのこんなコーヒーミルとクッカーセット」がちょっといいなと思って、
 応募してみることにした。






   こんな応募の流れがあって、
 それに従ってネットで必要事項を記入していって、

 


 



 途中までは大丈夫だったのだが、
 こんな生年月日を入れるサイトがあって、
 生年月日を入れるようになっているのだが、
 その生年月日の選べる年次1940年で終わってしまっているので、
 1933年生まれの私は応募資格がないということなのである。

 


 1940年生まれは82歳だから、 
 82歳までの方までが応募資格があるということなのである。


  
★ 確かに、バイクは最近は高齢者も乗るようにはなってはいるが、
 常識的には82歳辺りが限界なのかなとも思う。
 このキャンぺーを起案される現役諸氏からみたら、
 やはり「80歳以上の人」には「ちょっと難しすぎる乗り物」だと思うのも当然かなと思ったりした。

 ちょっと「かっこいい」魅力的な商品だったので
 「欲しかった」のだが、その資格がないのでは致し方ないのである。

 自分では「まだまだ元気」と思っているのだが、
 人生100年」と言う時代になりつつあると言っても、
 「89歳はやはり老人かな」と思う出来事だったのである。



 
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我が家の魚たち

2022-09-04 06:24:06 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 子供のころから何故か魚が好きで、釣りにも一時は凝ったし、
  家には常に池があった。
  今の家も一時は本格的な池を造って鯉など飼っていたのだが、
  「鯉ヘルペス」で全滅して池も埋めてしまった。

  それでも小さな池だけは残っていて、
 そこには小さな鯉や金魚やメダカ、川エビもいるし田螺もいる。
 出来る限り自然に近い状態にしておくと金魚も毎年コドモを産む。
 今年も生まれたこどものうち10匹は生き残っていて、
 毎日飽きずに眺めている。

 これは昨年2cmぐらいの鯉を入れたらこんなになった。
 池は小さいので鯉もあまり大きくなると困ってしまうのだが・・

 



 これ、何だと思います?
 これは川エビで、ずっと昔今アメリカにいる孫と川で採って来たエビだが
 毎年卵を抱いて孵るものだから、今の時期には何匹いるのか解らないほどになる。
 エビの寿命は1年だというので、これがまた来年コドモを産むそんな繰り返しが続いている。





 ところで、メダカだが今年も4月から毎日産み続けて、
 今月もまだ毎日産んでいる。

 家内が衣装箱を整理して捨てるというので
 その引き出しに「メダカのコドモ」を移すことにした。
 結構引き出しは大きいので今まで3つの盥に入れてたのを全部纏めてみた。

 

 
 ちょっとお解り難いかも知れぬが、いっぱいいる。 
 1000びき以上は間違いなくいるだろう。




 


 これは今年産まれた「紅いメダカの仔」である。
 少し紅くなってきたかなと言うところである。

 




 これが毎日卵を産む親たちだが、
 毎日浮かせているホテイ草に卵を産み付けるので、
 それを別の容器に移しておくと10日ほどでメダカが孵るので、
 毎日新しいホテイ草を入れてやっている。
 そんなことでメダカは毎日コドモを産み続けるのである。




 今度は容器が大きくなったから、
 卵の付いたホテイ草を右のほうに浮かしておいて、
 左から新しいホテイ草を親の容器に入れてやろうと思っている。

 




そんなメダカとのお付き合いも今月までかなと思う。
 メダカの仔が金魚に食われない大きさになれば、池に放してやろうと思っている。

 10月からはお休みだが、また来年4月からメダカとのお付き合いがあるのだろう。


 

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囲碁   雑感

2022-09-03 05:56:19 | 発想$感想

★ 囲碁を覚えたのは高校生ころだが、
 いま思うとやっててよかったなと思っている。
 最近は、特に「しなければならぬことのない」の毎日だが
 時間があったらパンダ碁をネットで打ってるので、
 時間つぶしにもなるし、退屈ではないのが何よりである。
 

 


 囲碁に脳を活性化させる「認知症予防効果」と言うそんな大層な話ではないが、
 「アタマの体操」ぐらいにはなってるかも知れない。


 


 その日にもよるが、多い時は10局以上打つ時もある。
 今はもう、間違いなく「へぼ碁」のレベルで、
 勝ってる碁をポカでやられることはしょっちゅうだが、
 あまり悔しくないようになってしまっている。


★ 碁も一生懸命に、碁席にも通い詰めた時期もあって、
 その頃は「実力初段」ぐらいはあったと思うが、
 今は「2級か3級」のレベルかなと思っている。

 殆ど考えることなく、カンを頼りに打っているのだが、
 どうも「考える」のがしんどいのは「老化現象」かも知れない。

 ところで、今どき碁をやる人も少なくなっているようで
 一時は600万人もいた碁の人口だが、今は200万人レベルだとか。

 

 

 ただ、囲碁の世界も世界展開で、パンダ碁には世界の7万人の囲碁ファンが登録してるので、
 日本人は勿論、中国・アメリカ・カナダ・オーストラリアなどの人など、
 世界の人たちと打っている。
 
 今の世界の囲碁人口は中国・台湾・韓国の順で、
 日本は第4位だとか。
 
  

★囲碁のルールは至極シンプルで、
 ①交点に黒白交互に置くこと
 ②上下左右に囲めば取れること
 ③陣地が大きい方が勝ちであること
 と基本的にはこの3つしかルールはないので、簡単なのだが、
 プロのレベルなど、めちゃくちゃ奥が深くて、なかなかオモシロイと思っている。

 今は碁席などに出向かなくても、
 「パンダ碁」はネットで簡単に打てるのがいい。
 因みに、何局打っても年間22000円なので
 非常に割安な、時間つぶしだなと思っている。

 こんな「パンダ碁」も何歳まで打つことが出来るだろうか?



 
 





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電話が繋がった

2022-09-02 04:59:56 | 発想$感想

★ 今日も雷が鳴ってるが、家のすぐ前の電柱に雷が落ちたのは、8月18日のことだった。
 その瞬間から停電になり、停電は2時間後には復旧したが、
 電話は繋がらないままになっていた。

 NTT西日本がその電話復旧に来てlくれたのは、8月30日のことである。
 
  


 それまでにNTTドコモに診に来てもらったのだが、
 ルーターが壊れてしまっているので、それを交換しなければダメだと仰るのである。
 確かにアラームのところが赤くなって故障を表している。

 
 
  

 「ルーター」は自分のものではなくてNTT西日本からリースされているので、
 NTT西日本に交換してもらわぬとダメなのである。




 ただ、家に来てもらうのに10日ほども掛った。
 「猛烈に忙しい」そうである。
 「なぜ」と聞いてみると、「みんな落雷被害」だという。

 知らなかったが落雷でそんなに被害が出るのである。
 ルーターだけでよかった。
 テレビやパソコンが壊れたりすることもあるそうだ。

 「ルーター」一つを付け替えるのに結構作業は大掛かりだが、
 「無料」で交換して頂いて、我が家の電話もほぼ半月ぶりに復旧した。


  今日も雨で午後からは雷もなっている。
 どこかでまた「雷被害」が出ているのだろうか?
 

 

 
 
 
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草との戦い

2022-09-01 05:18:15 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 庭に苔を植えだしたのは今年の1月末のことだった。
 苔を植えてみるとそこに草が生えていたのではどうしようもない。
 そんなことで「草との戦い」が始まった。

 それから7か月経っていま、小さな庭だが草は生えていないと言っていい。
 今のところ「草との戦い」に勝利したと言っていい。
 最初はある小さな区域に草が生えないように、毎日草を抜くことから始まった。

 この手前の部分とプレートで仕切られた正方形のところである。
 正方形のところは30cm四方ぐらいだから、その部分の草を抜くことは簡単なのだが、
 最初は草を抜いても翌日には小さな草が芽を出すのである。

 

 
 草の種が土に残っているので、それがなくなるまでは毎日新しい草が芽を出した。
 そう言う意味では草の生命力は旺盛である。
 草を大きくさせないように、種が出来るまでに抜いてしまえば草がはえてこないはずだと仮説を立てて、徹底して草を吹いたら、
 そのうち小さな草の芽を出さなくなったのである。

★そんなことで、毎日庭の草を抜いていたら、
 7か月経って、今は庭に殆ど草がない状態になっている。


 こんな樹の間の草も殆ど抜いてしまって、
 今は少なくと大きな草は1本もない状態までになった。
 それでも、小さな草が芽を出すので、それを見つけて抜いている。

 


 毎日、時間はたっぷりあるので、
 「草との戦い」は結構オモシロイ。
 私自身はなぜか「そんなにムツカシクないこと」をずっと続けることは、
 「得意分野だ」と言っていい。
 
 日記もう70年続いているし、
 このブログも2006年9月からだから、ちょうど16年になる。
 草抜きはまだ7か月だが、これから多分毎日続くだろう。


 今のところこんな小さな枠の中だが、
 草は勿論、ちさなゴミもないようにしようと思っている。
 これはなかなかムツカシイが、今のところ8割方出来ている。

  
 

 「草との戦い」は小さな草の芽を出すことが少なくなったので、
 殆ど「勝った」と言っていいのだが、
 油断することなく、今後も続けたいと思っている。



 
 
 
コメント
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