広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ぽつんと消火栓

2024-05-01 23:59:22 | 秋田の季節・風景

歩道の真ん中に立ちはだかる、赤い突起物。

ど真ん中よりはやや外側にあるものの、歩道の幅を考えれば、充分にジャマな障害物。

奥のほうにバス停があるため、歩道が切り欠かれているのはいいとして、それと無関係な突起物周辺でも、車道との境の縁石が少々カクカクしているのも気になる。

少し離れて、赤い柱。

突起物の正体は消火栓。雪国(積雪地)に多い地上式。
赤い柱は、消火栓の位置を示す目印だが、棒だけなのは珍しい。もともとは「消火栓」の看板が付いていたのが取れたのだろうか。

逆光ですが反対側から

どうしてこんな位置に消火栓があるのか。
この場所は、秋田市茨島(ばらじま)二丁目(向かい側は一丁目)。茨島交差点南の県道56号。バス停は「ハローワーク秋田前」。

2020年7月まで、ここはこんな風景だった。当時、記事にしたとばかり思いこんでいたが、未アップでした。
横断歩道橋があった

撤去直前
「茨島歩道橋」という名称。
地下横断歩道「バラロード」ができる1993年までは、茨島交差点にも歩道橋があった。4方向に行き来できる形の。そっちはどういう名称だったのか気になるところ。
銘板
茨島歩道橋の銘板によれば、1967年12月にできていて、「秋田経済大学建造」とある。この一帯にかつてあった、秋田経済大学→秋田経済法科大学が設置したもの。設置後の維持管理は誰がやっていたのか不明だが、「建造」とあるからには設置直後に道路管理者(当時は国道7号だったので建設省)へ寄贈というか譲渡されたのかもしれない【3日補足・学校側は造っただけで、供用と同時に道路管理者管轄となったとのこと。コメント欄参照】。大学は1983【3日訂正】1986年に下北手へ移転(2007年にノースアジア大学に改称)したので、遅くともその時までには、道路管理者管理になったはず。
縁石がカクカクしているのは、歩道橋の階段設置部と脚の1本と一致する位置に当たるが、あえてそうした理由はよく分からない。

バス停があって、ハローワークやパチンコ屋へ行き来するために道路横断する人がそれなりにいる場所だが、歩道橋の老朽化が理由のようで、2018年には南側の交差点の自転車横断帯が横断歩道化(参考記事)され、歩道橋撤去に至った。
2018年7月撮影 Googleマップストリートビューより。赤丸が消火栓と目印
歩道橋があった頃は、階段の下にひっそりと位置した消火栓が、歩道橋がなくなったことで目立つ存在になってしまい、4年近く経っても移設などされていないことになる。
そして、秋田市消防本部では、消火栓の更新をわりと行っているが、この消火栓はサビが多い。更新対象なのでは。
サビと退色により消火栓の視認性が低下していること、何より、歩道のほぼ真ん中にぽつんと消火栓が立っていることにより、夜間などに自転車が衝突するような事故になってしまいそう。

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5 コメント

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秋田経済大学付属 (あんなか)
2024-05-02 00:51:55
この歩道橋も無くなってしまいましたね。
東側に高等部商業科の円形校舎があったのですが
60年代初め頃に授業で本校校舎に行く際に急いで飛び出して車(一説には大型トラック)にはねられて死亡した不幸な事故があって
それで学校側が建設を要望したという経緯があります。
私が在籍していた時代は集会の時など
「こういう事故があったから必ず歩道橋を渡るように」と良く聞かされたものです。
附属高校には福祉枠(病児枠)があって首尾良くそれで入学出来ました。
これが無かったら当時の県立高校は障害児や病児にとことん冷たかったので
埼玉の親戚が探した埼玉の高校に
親戚の家から電車通学していたかも知れません。(それも面白そうでしたが・・)
明桜校になってその制度が今もあるか不明です。
さらに詳しく (FMEN)
2024-05-02 22:09:55
今日、明徳館で情報集めてきました。
1967.12.5魁夕刊
・12月10日から7号線の茨島歩道橋が供用
・530万円で建設、秋田市では3つ目(山王十字路、産業会館につぐ?、産業会館は現存)
・民間自腹は秋田県初
・あんなか氏の通り昔の和洋みたいに女子の移動教室が長いらしい、事故死は書いてないが体育に不便
・予算がつかないから私立の強み、自腹でたてた
・これまで応援団が交通整理をしていた
・供用同時に建設省に移管し、一般に

だそうです。
秋田市3つ目も自腹も驚きました。
ちなみに事故死による陳情があったのはまだ見出しのみですが、1969〜81年まで上飯島駅交差点にかかっていた飯島歩道橋もそうらしいです。
コメントありがとうございます (taic02)
2024-05-03 00:25:53
>あんなかさん
茨島時代の経法大や附高については、まったく記憶がないですが、道路をはさんだ大規模なキャンパスだったのでしょうね。
当時は秋田南バイパスもなく、ここが国道7号でしたから交通量が今以上に多く、学校側が費用を出してでも歩道橋が必要とされたのも、納得です。
下北手移転後も、21世紀初頭頃までは商業科のほかに自動車工学科や体育コースもありましたね。私立高校が少ない秋田にあって、多様な受け皿を持っていたのでしょう。

>FMENさん
わざわざありがとうございます。
学生・生徒の安全のため、自ら造って、提供したということになりますね。

古い歩道橋については、産業会館の土手長町歩道橋も1967年です。山王十字路というのは、交差点南側、秋田銀行本店ATMコーナー付近にあった一直線の歩道橋のことでしょうか。

交通事故を受けて歩道橋新設というのは、当時は各地でわりとあったようです。
日本最古とされる愛知県の歩道橋(https://blog.goo.ne.jp/taic02/e/6606bca46900f834c58f5cb9a15eec87)もそうですが、実際にはケガで済んだのに、都市伝説的に死亡事故があってと伝わっている事例もありました。
ありがとうございます (あんなか)
2024-05-03 19:23:21
taic02様、FMEN様いろいろ教えて下さってありがとうございます。
事故の件、私も以前から気になって調べたのですが見つからないんですよね。
ひょっとしたら歩道橋を使わせるために先生側で創作したのかも?
考えてみれば実際あったら学校の怪談話で言い伝えられて残ってるはずですがそれが無かったんですよね。
歩道橋について。 (FMEN)
2024-05-19 00:18:50
https://blog.goo.ne.jp/fmenzakki/e/ea5a65fbed1a15f28744c3356af2648c

こちらも別な調査をおこなっています。
秋田市の歩道橋史も。

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