ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

潮岬の戦争遺跡

2012-10-09 05:00:00 | 田舎

台風一過の月曜日、天気予報では曇りでしたが、朝からいい天気、釣りは未だ早いかと思い昼食を済ませた後、再度潮岬の戦跡を見に出かけました。B29の墜落現場の場所も凡そ分かっていたので、そこを訪れてみたわけです。

車を道路に停めるのもイヤなので、200mほど手前の潮岬青少年の家の入口付近に停めて、少し歩きました。

             

見えているのは黒潮大橋という小さな橋、15年ほど前に自転車でやってきた時、この橋の上を通って展望の素晴らしさに感動したものですが、今は潮岬の高台へ上がってゆく坂は、とてもじゃないけど自転車では登れない歳になってしまいました。

                       

その橋の袂に案内柱は立っていました。草で覆われていて下の方の文字は読めません。鎌でもあれば草を刈ってあげるのですが、あいにくそのようなものは持っていません。せっかくですから、これを立てた串本町教育委員会は責任を持って草刈りをして欲しいものです。

             

B29が墜落したのは、日本軍の砲撃によるものではなく、味方同士の接触事故のようですが、昭和20年6月とあり終戦の2ヶ月前のこと、軍はもう負けるのが目に見えているのに、本土決戦、一人残らず玉砕するまで戦うと息巻いていたのはこの頃だったのですね。

しかしこの場所は気が付き難い。出雲から来る車は殆ど気が付かないでしょうし、岬から来る車は潮騒の森の看板に気を取られるでしょう。電柱の左に見える白い案内柱がそれです。

             

橋には飛び降りられないよう(?)にフェンスがし張ってあります。その隙間からの光景、前日に台風が通過したところなので、未だ波は高いようです。少し右手の大きな磯には昔上がったことがあるような気がします。

             

車を停めた青少年の家、和歌山県立とあります。

             

『青少年の家』なのに、中でゲートボールを楽しんでいるのは昔青少年だった人々ばかり、今は完全に青少年ではありません。土地の有効利用だとか、心が青少年でありば良いのだと言えば聞こえがいいのですが、こんなことで良いのですかね。ズバリ『老壮年の家』に変えてはどうですか。

             

これがCさんに貰った串本の戦跡のコピー、バッグに入れて持ち歩いているのでクシャクシャになってきてしまいました。

                       

見つけたいのはこの海軍望楼跡、望楼の芝にあると書いていますが、見たことがあるような気はするのですが、どうにも見つけられません。

             

先日の海軍特設見張所跡の案内柱より陸側と書いてあったのですが、あるのは行幸記念碑。

             

そして山口誓子の句碑があるばかり。

             

芝の中央には、燈臺局・・と書かれた碑。

             

これは何でしょう?この丸いものを台座にして、8本の鉄柱に何かを嵌め込んで、上部は横に回転できるようになっていた・・・などと考えると機銃を備えていた台座だとも考えられます。

             

西の端から見ているのですが、海軍望楼跡のようなものは見当たりません。

             

この日の夜の月、台風当日が仲秋の名月だったようですが、一日後になります。夕方の月は大きくて何やら模様も見えていましたが、電車に乗っていたので写真は撮れませんでした。8時半ごろにはもう小さくなってしまっていました。

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