ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

四条畷神社

2012-10-15 05:00:00 | 大阪にて

串本から大阪へ帰り、書くような記事も無くなってきたので、新聞を読んでいたら四条畷市と寝屋川市に亘る地域で、弥生時代初期の水田跡が見つかったという讃良郡条里遺跡の発掘調査の概要を展示するという催しが四条畷市立歴史民俗資料館で公開されるのを知り、初日の10月10日に行ってみることにしました。

先ずはJR四条畷駅から歩き始め、途中の四条畷神社へ行ってみることに、この神社は太融寺で観た『なにわ七幸めぐり』の中の一つで、別に御利益など期待するわけではありませんが、一度は訪れようと思っていたのでした。仕事中に行ければ申し分なかったのですが、この方面に仕事などある筈も無く、長男が四条畷市内に住んでいますが、山を一つ越えなければならず、しかも四条畷神社へ訪れようとすると国道163号線から南へ入る駅方面への道が滅法狭いので、長男の家を訪れても四条畷神社を訪れることは一度もありませんでした。

             

その道が狭いと知ってるのは、一度はその道を通ったことがあるということなのですが、四条畷神社へ行くにも駐車場などの心配もあり、素通りだったのです。駅から1kmほど歩いて神社に到着、9時前だったので社務所も開いてなく、平日でもあったので閑散としています。

             

未だ半袖Tシャツにハーフパンツで過ごす毎日ですが、この頃は朝夕がめっきり涼しく、出かけるにあたっては綿の長ズボンに淡いTシャツの上から半袖シャツを羽織って出かけました(足許は靴は未だ早いと思い、素足にサンダルのまま)。山裾なので朝日も当たらず、凛とした空気が漂い、坂道を登ってきて汗をかいているのに快い面持です。

この鳥居は『神明鳥居』と言い、鎮座百年に当たり平成二年に伊勢神宮より拝受したものだそうです。

             

平成2年が鎮座して100年目ですから、歴史は浅く明治23年の創建です。楠木正成が明治になって神格化されたのを契機に、嫡男・正行も追って追認されたような形で、戦死したと言われる四条畷にこの神社を建てたのですね。明治政府もまことに小賢しいことをするものです。

             

しかし、正行一行が高師直の大軍と戦ったのは、この飯盛山の西の麓・四条畷市と大東市の付近だという説と、東大阪市の瓢箪山駅近くにある四条地域だという二つの説があり、知人は多くいるものの、北河内(門真・守口・寝屋川・大東・四条畷・旧枚岡等)の地理には疎い私にはよく理解できません。

             

因みにここが古戦場であったという碑はありませんでした。

拝殿の横にあるこの御妣神社は正行の母・久子を祀ったもの。沢山の酒樽が並べられていますが、楠木正成の奥さんは酒飲みだったのでしょうか。酒樽の銘柄は長龍、下段の白い樽は長龍の太平記という銘柄のようです。

             

桜井の別れと言われる故事、父親・正成の「父の教えを守って、正統の天皇に仕えるよう」と諭されている場面、正行は11歳だったと言いますが、年齢が合わないので作り話だという説もあるのです。忠孝両全とは忠も孝も両方とも完全であれという意味。日本国の南北朝時代と言うのは大覚寺統と持明院統がそれぞれ正統であることを主張、正成の言う正統と言うのは後醍醐の派閥である大覚寺統であり、両統迭立に反した考え方です。だいたいこんな曖昧なことをしでかしていた天皇家は本当に万世一系の皇統などと言えるのか、神話の世界から始まるという曖昧な皇統、おそらくは5~6世紀に渡来系の人が多くの豪族を統率したのが始まりなのでしょうが、渡来系の人が以前から居た豪族を従えて天皇になったとしたら、万世一系の天皇は日本人じゃないということになります(日本も天皇も天武以降の言葉ですが)。

                       

この神社では百度石にまで菊水の家紋が描かれていました。何処の寺社へ行っても家紋の描かれた百度石なんか見たことがありません。

             

大橋房太郎なんて人は知りませんが、何故かこの神社の境内に名を付した碑がありました。調べてみると東成郡榎本村出身ですから、現在の鶴見区放出の庄屋の出です。淀川の大洪水によって惨憺たる故郷を見たこの人は、淀川治水に一生を捧げたとありますが、この神社にはあまり関係無さそうです。

             

境内からの西側の眺め、門真市や守口市、その西の旭区、大きな煙突が見えているので大阪北港辺りまでも見通せているのでしょうか。大昔は見渡している地域は湖だったとか。

                       

この神社は飯盛山の北端に位置し、駅から徐々に山を登っているのが分かるのですが、二の鳥居からは急な階段になっています。紀三井寺神倉神社などとは比べ物にはなりませんが、登ると結構汗をかく階段です。

                          gooリサーチモニターに登録!