じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

熊野古道を歩く

2021-04-26 12:28:18 | 旅と感想
ツーリングは三日目ですが初日はフェリーに乗っていただけなので実質二日目であります。

和歌山県の太地町に宿を取ったので熊野古道で有名な大門坂とその先の那智の滝に行くために少し戻った次第であります。

四月二十一日水曜日 天気 快晴。

そーか、結構歩くのだなと覚悟を決めた

熊野古道 大門坂

と、いう事で大門坂手前の無料駐車場にバイクを置き全行程を歩くことにしたわけです。

いや、一番上のお寺や那智の滝まで車で上がれるし駐車場もあるんですがここはひとつ下から歩いて熊野古道を満喫したいと思った次第であります。


おお、雰囲気は満点ですなぁ、と

 ジジイ 66歳176㎝  夫婦杉樹齢 800年 39m 

自分は古い神社仏閣や史蹟に行って大木があると安心するわけであります。
大木は修復や移植は不可能でして存在自体が歴史を物語っているからであります。

大門坂の夫婦杉は対で立っていまして、樹齢は800年、樹高が39メートル、幹周りは8メートルを超す超が付く巨木であります。

私ゃこの杉に出会えただけで満足でありましたが取り敢えず那智の滝も見ておかなくてはと登り続けた次第であります。


登ること40分 那智山青岸渡寺に着いた

口伝では仁徳天皇云々とかなり古い話が出るんですが現存するお堂は豊臣秀吉が再建したものだそうで天台宗のお寺であります。

なんと申しましょうか、そこそこ古い建物なのにお堂の中まで土足で入らせ、しかも無料というのに驚きました。

なので中で売っている極太のろうそくを千円で買い求め「家内安全」と慎ましい願いを書いて納めて来た次第であります。

神社に巫女さん いいですねぇ〜

お寺の隣は熊野那智大社であります。
ここの御神木も見事なものでして、秀吉の時代をずっと遡ることが容易に伺えるわけであります。

で、明治のあの頃まで寺と神社は神仏習合で一体であったものが分離されたものだそうであります。

で、結構な石段を登ってお参りするわけですが参道にはお土産の店が幾つかあるわけです。
朝に登って行く時、そこの一軒のばあさんに「そこの兄さん、この戸を開けてもらえ無いかね」と声を掛けられ年寄りには重い戸を開けたわけであります。
その折、土産に飴を買えと勧められましたがこれから参拝するので後で、と言って立ち去ったのであります。
すると帰り道、婆さんは覚えていたようで「兄さん、帰り道じゃから飴買わんと」と引き止められちまったわけであります。
帰りにと言って逃げた手前仕方がないので一袋200円の那智勝浦名物というかち割り飴を買うことにしたんですが小銭が無く千円札を一枚出した次第であります。
すると婆さんはお釣りの勘定が出来ない風で、なんぼかいなぁ〜と言うのであります。
自分は大きな声で「婆さん800円だがな」と言うんですが、婆さんは尚も「なんぼかなぁ」を連発したあげく、釣りはこれしか無いので見合うだけ飴を取ってくれ、と200円を手渡したのであります。
で、婆さんは「もう100歳過ぎだから計算はできない」と言いつつ千円はしっかりと仕舞い込むのでこれは確信犯だなと睨み「ばあさん、それなら大正生まれだな」と言うと「いやいや昭和だ」と言う始末であります。
そっかぁ、やっぱしボケてるのは違いないんだが商売のコツは本能なので忘れないのかと思い諦め、欲しく無い飴を四つ手にしたわけであります。
で、そんなやり取りに時間を取られたのでさっさと立ち去ろうとすると婆さんが「ゆっくりしていけ、そこに座布団もあるし」と勧めるわけです。
私ゃ何やら少し尿漏れ臭のする婆さんと長話をする気も無かったので「んじゃね、ばあさん」と言うと「兄さんは気持ちが良い人だからこれ」と言ってい見るからに売れ残りのフクロウの置物をひとつ寄こしたのであります。
あいやぁ、売れ残りとはいえ申し訳ないと思い要らないと言ったんですがどーしても持って行けと手渡されたので有り難くいただき石段を下った、と言う、妙な縁で土産を買った話があったわけであります。


那智の滝は一度降りてさらに歩きます

なんだか遠いなぁ・・・もう見えたから良しとするかとも思いましたが気持ちとは裏腹に足は止まらず滝を目指した次第であります。

それにしても天下に名高い那智の滝が閑散としているのはやっぱしコロナの影響なんだろうな、でして沿道の土産物屋も半分は閉まっている感じでありました。

日本三大名瀑 那智の滝

あれです、滝を間近に見るのは有料でして一番近くで見られる境内の お滝拝所舞台に行くには木戸銭を300円納めなければなりません。
しかし、実感としては無料区域との差はあまり感じず、まっ、そう言うことであります。

さて、この辺りの観光は2時間で切り上げる予定でしたから10時半までに戻らなければなりません。
なので我が地元の秋保大滝も負けてないとの感想を胸に大門坂を急ぎ足で下った次第であります。

大門坂駐車場出発 10時30分 
目指すは「串本」であります。

串本の名を初めて知ったのは昭和の終わり頃でありました。
自分がスキューバーダイビングにのめり込み会社務めの傍に土日はダイビング屋で働いていた頃であります。

沖縄や奄美では無く和歌山県の串本に石サンゴの群生がある、と言う話が出たからであります。
一度は潜って見たかった串本ですが今回は匂いを嗅ぐだけでありました。

道の駅「くしもと橋高岩」からの眺め

串本の道の駅「くしもと橋高岩」に着いたのが11時20分・・・昼飯時であるな、と言うことでまずは何か食べようとしたんですが目に入るのはソフトクリームだけであります。

うーん、それでは仕方がないと目指したのが「樫野埼灯台」であります。

トルコの軍艦 エルトゥールル号の碑

あいやぁ・・・トルコと日本の友好の元、エルトゥールル号遭難の地はここであったか、と感激しつつ目指すは樫野埼灯台であります。

あれです、ここも平素は賑わう場所なんでありましょうが燈台までの道はコロナの影響で土産屋、飲食店とも閉まっていました。

樫野埼灯台旧官舎(現役ではない)

明治3年竣工、日本最古の石造り灯台官舎であります。
この灯台は徳川幕府が江戸条約を結んだことにより、欧米列強に建てさせられた8箇所のうちの一つであります。
私ゃ灯台好きでして多くの灯台を見て来ましたがこれは格別に味わい深いものでありました。

さて、もうとっくに昼を過ぎたのにまだ飯が食えていませんで、向かったのは潮岬灯台であります。

樫野埼灯台は紀伊大島にあり潮岬へはくしもと大橋を渡っていきます。
この橋が珍しく、海を渡る直線の橋の先にループ橋があってぐるぐる回りながら登るのであります。

潮岬灯台 見学料300円

いや、潮岬といえば台風が来れば話題になるところでして噂だけは予々伺っていたわけですが、正直に言いますと、敷地が狭いせいか意外と外見の迫力に欠ける灯台でありました。

しかし、日本国にある登れる灯台16の一つで、登って見ると地球が丸いことが実感できる眺めは素晴らしいものであります。

さて、もはや午後一時過ぎ、いよいよ腹が減りまして普段は避けて通る観光施設「潮岬観光タワー」に入ったわけであります。

まっ、細かい説明は省きますが空腹でも食べきれなかったマグロの天丼に悔いを残し次の目的地「南紀白浜」に向かったのであります。

南紀白浜の名勝 三段壁

いや、どーも那智の滝あたりからの景勝地とは相性が良くないと言いますか、わざわざ足を止める必要はなかったと自分は思うのであります。

なんと申しましょうか、地形的な面白さと言うのはバイクや車で乗り付けてハイ見ました、では感動が薄いと自分は思うわけで、ここの場合だと岩手県の北山崎展望台が勝っているかな、なんて思ったりするわけです。

序でに言うと、修学旅行の中学生が大勢いたのもなんだかなぁ〜と思った一因でありましょう。

と、言うことで、次に目指したのは「日本のエーゲ海 白崎海岸」でありました。

エーゲ海を知らないのでなんとも

いや、この前の三段壁と白崎海岸は昨夜の宿の主人のお勧めなのであります。
が、自分とはだいぶ趣味が違う感じでして少し相性が良くなかったようであります。

たしかに、若い男女が手を握りながら「そこ、足元危ないから」なんて男が言うと、わけのわかった女は「あっ」と言ってよろけて抱きつく、なんて状況を期待するには良い場所と思いましたが黄昏迫る時刻にジジイが一人で観光するべきところでは無いな、と思った次第であります。

次の目的地は今夜の宿の和歌山市の温泉付きビジネスホテルであります。
白崎海岸からはナビで40キロ、1時間と出ているんですが、来るときに高速を降りてから狭い道を結構走ったので戻るのも時間を食うな予想した次第であります。

案の定、高速に乗るまでの下道が渋滞でナビが示す到着時刻もズンズンと伸びるわけです。
で、やっとの事で阪和自動車道に乗ったは良いんですが海南の高速出口がトンネルを出てすぐでしてGPSの電波を拾っていなかったナビは反応せず乗り過ごしたわけであります。

いや参ったな、で次のインターで降りて逆戻りなどしていたらなんだかんだで1時間20分も掛かっちまいまして精神的に疲れました。

本日の走行距離 260キロ 給油9.2ℓ 1435円
本日の歩行距離 18900歩

 明日は大阪城へ つづく
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伊勢神宮 参拝

2021-04-25 15:30:36 | 旅と感想
名古屋港からはすぐに東名阪自動車道に乗れます。

ずーっと前、同じようにバイクで来たときは愛車は高速に乗れ無い110CCのスーパーカブでしたから延々と国道を走ったわけですが四日市の工業地帯などは大型トラックが爆走していて怖かった思い出があります。

が、今回はちょっと大きめのバイクなので安心して高速には入れます。
しかも、便利でお得なETC付きですから私も時代の波に乗れているなと気持ちは余裕のウッシッシであります。

で、亀山市のあたりで伊勢道路に乗り換えるわけですが、亀山と聞くと日本国の家電が世界を席巻し、シャープのテレビが「世界の亀山製」と誇ったことを思い出すのであります、が、まっ、いいでしょう。

さて、昼飯を律儀に12時にすると飲食店はどこも混むわけであります。
なので自分は平素から30前行動を旨とし、11時半には昼飯なわけであります。

と、言うことで、伊勢自動車道の嬉野サービスエリアに入った次第であります。

で、迷ったときはカレーかカツ丼と決めている私は、ここは松坂牛の町ってのに釣られて「松坂牛カレー1000円」を食したんですが、カレーに松坂牛がゴロンと入っているわけでは無く、玉ねぎと松坂牛のバラ肉を炒めたものが添えられていたと言う、ちょっと意表をつく供され方でありました・・・が、美味かったです。


小さなサービスエリア 嬉野

腹一杯になった自分は、突っ張る腹の皮とは裏腹の弛む瞼と戦いながら伊勢神宮を目指したのであります。

で、内宮と外宮があると知って困惑であります・・・どっちが偉いんだ、と。

いや、私ゃ仏教好きでして神様はあんまし得意じゃ無いので知ら無いわけであります。

まっ、んじゃぁ取り敢えず内宮からって事でズンズンと進みますと、なんとぉ〜バイクは無料で入口真ん前の一等席に停められたわけであります。

鳥居の真ん中は歩くな、ホントですかぃ?

いや、流石に天下に名高い伊勢神宮、かなりの人出であるな、と言うよりも名古屋や伊勢志摩方面はコロナの戒厳令が出てい無いのでこの日は余裕だったと思います、が定かではありません。

白い砂利が綺麗と言いますか、流石に格式高いものであるなと感心しました。

お札やお守りはたくさん販売されておりました

流石に全国の神様の総元締め、ご祈祷から御朱印、お札からお守りと、神様のご利益の頒布に熱心なことに目を見張った次第であります。
しかし、私は貧乏なので出せる銭が無く、だからご利益に預かれ無いと思いました。

白い垂れ幕の奥に神様は・・・

白い垂れ幕の奥には八咫鏡という有難い御神体があるそうですが見て無いので実感は湧きませぬ。

で、信心も無いのに何故にお伊勢参りなど、と言われるとアレなんですが、はっきり言ってただの物見遊山でありまして、有名どころを押さえておきたいと言う俗な気持ちでありました。

いや、杉の太さには驚きました。

あれです、こんな太い杉がごろごろと何本も立っているのは初めて見ました。
流石に2000年の歴史を持つ内宮であると感心しました。

正直に言いますと、私ゃ白い幕の奥に神性を感じなかったんですが数多ある杉と楠の巨木に神を感じた次第であります。
なのでやっぱし伊勢神宮は神聖なのであるなと思いました。

そっかぁ、有名な赤福は一等地に在するのか、と

伊勢神宮に参って行き掛けの駄賃なんて言ったらバチが当たるんだろうかと思いつつも、その心境で外宮に向かったわけであります。

スマホナビによるとここから8分と出ましたので、んじゃ、であります。

外宮は物にまつわる神様だとか

いや、はっきり言って豊受大御神が祀られるとは知らなかった自分でありましたが、なぜかここでは賽銭を入れ礼をしました。
しかし、本来であれば自分で作った大根の一本も供えさせていただくのが筋と思う自分でありますが、なんちゃって。

なぜか女性が多かった外宮

せんぐう館

私の感想では人気の少ない外宮が好みでありました。
いや、内宮の歴史が2000年に対してこっちは1500年と少し若いと書かれていましたが、それは杉の木の太さに現れているかもしれ無いと自分は思った次第であります。

どちらも巨木なんですが外宮の方が全体になんぼか細身でありました、かな?

で、せんぐう館という解放された建物がありまして、ここからの眺めが素晴らしいのであります。
もしも家が近所なら朝日や夕日の時に訪れ神様を感じたい・・・なんちゃって。

と、言うことで伊勢神宮を終わりまして、今夜の宿の和歌山県太地町を目指し紀勢自動車道と熊野尾鷲道路を繋いで熊野市まで走り国道42号線へ。

ここで給油・・・8.9リットル 1424円 1ℓ 160円

太地町 鯨公園

捕鯨船が飾られるのは鮎川と同じ

と、言うことで国道42号を走り那智勝浦を過ぎて太地町の鯨公園へ。

なんと申しましょうか、宮城県には鯨の街として鮎川があるわけです。
小さな港町なんですが今でも鯨漁が盛んで和歌山県の業者も出張ってきていることから少なからぬ縁を感じ立ち寄った次第であります。

しかし、なんと言うことでありましょうか、太地町に鯨の匂いを感じることはなく、すぐ隣の勝浦が日本一のマグロの港ということで、完全に売り物はマグロになっているようでありました。

一泊二食ビール大瓶付き 7000円 Nicheの夕食

さて、意外と鯨の匂いのし無い太地町に驚きつつ宿にたどり着くとこれが意表をつく佇まいでして、手作り感の漂う、言って見れば民泊なのでありました。

まっ、風呂と布団さえあってビールが飲めれば無問題でして建物は雨漏りがなければOKな自分であります。

いや、この宿のご主人がそこそこの変わり者でして自分とは相性が良い感じでありました。

何と言っても無類のバイク好きでして、ご自分でカスタムしたバイクを宿のダイニングに飾っているほどであります。

ああ、また来て見たいな、次は秋か、なんて思わせる小さな宿でありました。

本日の走行距離、概ね300キロ。

 明日は熊野古道と那智の滝と串本方面を経て和歌山市であります。

   つづく。

 



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仙台から船に乗って名古屋に着いた

2021-04-25 14:16:31 | 旅と感想
あれ、その昔五木ひろしは、長崎から船に乗って神戸に着いた、と歌ったわけですが、自分は仙台港からフェリーに乗って名古屋に着いた、であります。

令和三年四月十九日、天気晴れ、仏滅でありました。
そっかぁ、これから寺社巡りをしようと旅立つ日は仏滅であったか、と感慨深いものがありました、と言うのは嘘で、今調べたわけであります。

12時50分出港なのに何を勘違いしたものか13時50分と思い込み11時40分に、未だ少し早いけど、と家を出たわけであります。

で、フェリーターミナルまでは下道で45分から50分と見ていたんですが、少し早くて12時20分に到着したわけであります。

すると既に先頭のバイクが乗船開始したわけでして・・・なんで? 出航が早まったの? と、混乱しつつも急いで車検証を持って受付へ。

いや、自分はネット予約で乗船名簿も書いてあるので車検証の確認だけですぐ終わるんですが、この段階ではまだ自分のミスに気づいてはい無いので余裕であります。

で、トイレに寄ってバイクに行くと車の類もすっかり載せ終わった雰囲気で、自分を待っている感がひしひしと伝わってくるのであります。

が、未だ気づいてい無い自分は余裕でバイクに跨り船内へ。

すると係りの人が待ちかねたように手叩きでここだここだと呼び込みましてバイクを所定の位置に停めたわけでありますが、自分は未だ気付いていないので余裕であります。

しかし、船内に入り自分の寝床の箱のB寝台を確認していると出港のドラが鳴ったわけであります・・・へっ? なしてぇ? と、乗船券を見ると12時50分発、と書かれているではありませんか。

あー魂消た、でも、まっ、乗れたんだから良しとしよう・・・これは出発から運が良いわい、ってな感じでありました。

船内はがらがらでして、自分の乗船券番号から推測して乗員は21名と見ましたが、定かではありません。


船は出て行く煙は残る いや強風にかき消されます

で、本日の船は「きそ」でして古いんですが内装をリニューアルしたのできれいであります。

ここは誰でもくつろげるロビー

とりあえずビールをしていたらすぐに夕暮れ時

名古屋まではB寝台とバイクの料金と三食付きで2万円ちょうどであります。
これが安いか高いかは価値観の違いなのでなんともアレですが自分は激安だと思います。

まず、出港したらすぐに昼飯の案内がありましてレストランでビュッフェスタイルのランチであります。

で、ランチは込みの料金なんですが敵の作戦はアルコールの値上げで穴を埋めようって魂胆なんでありましょう。
と、言うことで、今までは大生(正味一リットル)が千円で中生が六百円だったものが、料金据え置きで全部中生になったのであります。

が、しかし、以前の中生は500ミリは入っていたのに今のはドー見ても300ミリしか無いのであります。

まっ、昼飯時なので一杯で止めときましたがこれは値段は据え置きでももう少し中身を入れてもらわ無いと私ゃ怒ってしまいますよ、なんちゃって。

いや、結局は晩飯時も物足りなさから三杯も飲んでしまうわけでして、そーするとビール代だけで都合2400円持って行かれたわけであります。
まっ、缶ビールと発泡酒は安く売ってますんで貧乏人はそっちで飲めと言うことですかね?

と、言うことで、ほぼ貸切の大浴場を堪能した後は寝台に転がって明日からの予定の作成であります。

朝焼けの伊勢湾

朝、渥美半島と志摩半島の間の狭い航路を入るときは圧巻でありました。
いやはや、流石に名古屋港でして大型船から中型の内航船から小型の漁船までが入り乱れておりました。

巨大な台船とフェリーの隙間を漁船は平気で横切ります

いや、魂消たのは伊勢湾に入ってからでありました。
大型の台船を曳航するタグボートの周りでは底引き網を引いて身動きでき無い小型漁船がびっしりといるわけです。

で、先導するパイロット船は拡声器で「ここしか通るところはありません、台船は向きを変えられません、ご協力お願いします」と怒鳴りながら行くわけであります。

しかし、保安庁の巡視艇が二隻も出て警戒している海で小型漁船も漁に必死で譲る気配も無く、それはそれは壮絶な海の様相でありました。

フェリーはこんなの慣れているのか、微動だにせず直進するのであります。
そーいえば仙台湾で釣りをしていて航路に乗っている時、近付くフェリーは小型のボートなど粉砕してくれるわ、ってな勢いで汽笛も鳴らさずズンズンと迫ってきていましたので多分大型フェリーは王様なんですね。

セントレア空港

中部国際空港 セントレアが見えると間も無く名古屋港のフェリーターミナルであります。

朝食を終え身支度をして下船の案内を待つわけであります。

10時30分、定刻に下船。

  伊勢神宮につづく






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伊豆・箱根 節約旅

2021-04-07 17:09:01 | 旅と感想
いや、第一目的は仙台に置きっ放しのバイクを持ち主の株キチの住む埼玉県は戸田市まで届けること、なので車の選択肢は軽トラ一択でありました。

そんなわけで、4月5日午前6時45分軽トラで家を出て、7時10分に東北自動車道に乗り10時55分に友人宅に着いたわけであります。

あれです、あまり休憩とか取らないタイプなので那須と蓮田のパーキングでそれぞれ10分程度のトイレタイムで走り続けたんですがこの日はずーっと風が強くバイクを積んだ軽トラは煽られっ放しでありました。
で、佐野藤岡を過ぎたあたりからは雨になりまして時々手に汗握るハンドリングを余儀なくされた次第であります。

いや、自分の軽トラの巡航速度はこの手の車としては意外と速く、メーター読みで110キロであります。
で、時に必要とあればもう少し踏み込むこともあるのけでハンドルは真面目に握らないとダメなのであります。

で、戸田の17号線に出て帰りのために給油をしたんですが、360キロ走って27リットルだったので飛ばした割に燃費は良く、リッター13キロも走りました。

さて、伊豆と箱根の旅はここからが本番でして、行き先と宿は全て友人にお任せで、車も乗せて行ってもらうお気楽旅になるのであります。

で、11時半に友人宅を出まして東名高速のサービスエリアで昼飯を、となって海老名サービスエリアを目指した次第であります。

で、次、何処へ行くのと尋ねると「めんたいパーク」と言うんですが自分は全く知らない場所でして、何が有るのかも分からずに唯運ばれて行ったのでありましたが、東名高速を降りたのは沼津でありました。

博多の明太子屋さんのお店でした

いや、魂消ました。
明太子屋さん一軒でそこそこ大きな商業施設が成り立っているんですから驚きであります。
で、もっと驚くのは、明太子とそれの関連商品以外のものは何も無いことでありました。

いや、マジかぁ〜? と、驚きつつ中に入れば見事に明太子と関連商品しかなく、強いて明太子味じゃ無いものを探せば、缶コーヒーとバニラのソフトクリームと地ビールくらいでありました。

静岡麦酒(ばくしゅ)とおにぎり

で、友人は明太子を買いに来たらしく保冷剤と合わせて買っていましたが自分は家まで保たせる自信がなかったので買いませんでした。
と、言うか、なんで静岡で博多の明太子を買わなくちゃならないんだか激しく疑問でありましたが、まっ、いいでしょう。

しかし、明太子の為だけに西伊豆に来たのか? まさか、他に何かあるんだろうと思ったら甘かったわけで、その後は何も無いと言うのであります。

宿の場所を尋ねると、東伊豆町白田と言うではありませんか。
えっ? もう3時過ぎてるし、東伊豆に行くってことだと何処にも寄らずに天城越えしてもチェックインに程よい頃合いだぞ、と言うことで自分が行きたかった下田に寄らず、天城越えしたのに浄蓮の滝もすっ飛ばして宿に行った次第であります。

で、戸田市民は格安で泊まれると言う「戸田市保養所 白田の湯」に入ったわけですが、値段を聞いてビックリであります。
戸田市民が一泊二食付き5300円と格安なのは納得としましても、よそ者でも6500円ですから驚きの低価格であります。

基本の夕食

金目鯛の煮付けと刺身とアワビとサザエを追加

いや、あれですかね、戸田市から助成金でも出ているんですかね?
追加の料理もビールも酒もお土産も、なんでも安いのでありまして、私ゃ思わず土産売り場にあった「期限切れ間近」と書かれた特価品の饅頭などを買い込んでしまいました。

さて、お宿の方から提案されたのは「マスク会食」でありまして、一口運んだらもぐもぐはマスクをして、なんて事らしいんですが、酒を飲んじまったらそんなことは忘却の彼方でしていつものように騒いじまったわけであります。

しかし、友人は戸田市で小商いなどしている為か、夕食時に居合わせた総勢20名の内半数が顔見知りで、あいつの御一行なら仕方が無いと呆れられ皆さま夕食は素早く終えて居なくなったのでありました。

で、伊豆近辺の海の幸を堪能し、朝食は金目鯛の干物なんて贅沢をさせていただいて、酒代込みでお一人様9500円程度でありました。

4月6日・・・快晴!!!

いや、前日は小雨かドン曇りの肌寒い一日でして観光をするったって歩き回る系の観光は無理だったのであります。

で、本日は最高の空模様の下「何処へ行くの」と尋ねると「予定は無いよ」と言うではありませんか。

と、言う事なので「俺ポーラ美術館に行きたい」と言うと「それ、今日から入れ替えで休み」と宣うではありませんか。
で、「岡田美術館にしたら」と言うので「パチンコ屋の美術館なんぞ行きたく無ぇ」と言うと「世界に類を見ない充実だよ」と友人の株キチが言うわけです。
そこまで言われれば他に当ても無いので「んじゃそこで良し」としたわけですが、伊東市の川奈の辺りで「つつじ園」と言う看板を見つけ「曲がれぇ〜」と叫んで入ったのが「小室山公園」でありました。

案内板は「咲き始め」でしたが

いや、何も知らずツツジの庭園という看板に反応して入ったんですが見事なツツジの庭が山の斜面いっぱいに広がっていたわけであります。
ですが、ツツジ祭りは4月29日からとのことで少し時期が早かったようであります。
それでも無料であればなんでも喜ぶ我らは「金がかからねぇってのは良い事だよ」と暫し時を忘れて楽しんだのでありました。

あれです、山頂までのリフトがあったんですがツツジも未だだし有料だろうってことで乗らずに来たわけですが、後で知ってガックリであります。
往復たった500円で伊豆大島や富士山が見えたってんですが、後悔先に立たずであります。

イカを干している?

株キチが干物屋のイカを見つけて狂喜し「イカの干物を買ってくる」と車を止めたわけです。
が、干してあるイカを見に行って「あれ偽物だった」と落胆して買わずに走り出したんですが、あれは客寄せで店内には現物が有ると思わないあたりが間抜けでありますが、まっ、いいでしょう。

あーハワイだ と騒ぐ株キチ

伊東と熱海の間頃でしたか、自分にはいたって日本的な砂浜に見えるんですが友人の株キチが「ハワイだぁ〜」と叫んで車を止めた公園からの風景でありました。
しかし、公園には何も無く、砂浜を眺めて「わーきれいだ」と言いつつも他にすることも無く熱海へ向かったのでありました。

熱海城 観覧料1000円

で、熱海に近づくと「熱海城をみよう」と騒ぎ出した株キチは自分が運転しているのを良いことに誰も「うん」と言っていないのに曲がったわけであります。

あれです、自分はダイビング屋の時に頻繁にこの辺に来てまして熱海城なんてのは実在しなかった城だというのを聞いていたわけであります。
なので1000円も払って見る気は無かったので海の見える茶店で待っていた次第であります。

運転しないので昼間からビール!!!

待っている間にコーヒーでもと入った展望の良い茶店には「静岡の手作りビール」なんてのがありまして、どーせ運転しないんだからと飲んで見ましたが、少し甘めで美味いものでありました。

熱海の中島水産市民市場のキンメ

あれです、魚好きの私は少しは目が利くと自負しているんですがここは新鮮で安い上に品数が多く驚きでありました。
あんなに大量に刺身を造って売り切れるんだろうかと心配になる量が程陳列されているのであります。
いや、帰るのが今日なら間違いなく買い込んだんですが家に着くのは明日の夕方・・・ダメだな、と諦めました。

で、熱海の裏道を適当に歩き回り、一部で美味くて安いと囁かれている地元の飯屋に行ったんですがちょうど昼時なので混んでまして待たなくてはならない様子でありました。
待ちたいという我が儘な意見に対し、我々には時間が無い、と言い切って近くの蕎麦屋に入り相も変わらず天ザルなど食った次第であります。

さて、残る予定は「大涌谷」と美術館でありますが、私のお目当のポーラ美術館が閉まっているとなって意気消沈して大涌谷に行こうと言ったんですが株キチの陰謀で向かったのは岡田美術館でありました。

箱根の山から富士山が見えました

で、目的地に着いてしまったので2600円も支払って入ることにしたんですが、ここで株キチが騒ぎ出したわけであります。
「券が無い」と言うのでありますが、奴は岡田美術館の関連会社の株主とかで無料の券を持っているんだそうであります。


てめぇこの野郎、タダだからここに来たんだなと怒ったんですが、来ちまったものは仕方が無い、でありまして結局は株キチも入場券を買って入った次第であります。

結論から先の申し述べますと、美術品好きの自分ですが唯一苦手なのが焼き物の類でして、展示品の八割が骨董品の焼き物という岡田美術館はやたら広くて疲れただけでありました。

展示品について言えば、年代やら作者の名前よりも、お宝鑑定団なら1200万円の品、と書いてくれたらもっと驚けたと思うのであります。

で、マジなところでは、北斎の絵で「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」があったんですがそれだけが目の保養になった感じでありました、なんちゃって。

と、いうことで、岡田美術館を立て「次は大涌谷」と言うと「そんな時間は無い」と言うではありませんか。
いや、少し戻ればすぐだろうにと言ったんですが運転手は奴なので車は今夜の宿の富士宮市に向かったのでありました。

花の湯 ホームページから拝借

まっ、もーどーでも良いですって事でさっさと宿に行こうぜ、そして風呂に入って呑もうぜ、と諦めたわけですが、花の湯は温泉旅館やホテルというよりは何処から見ても健康センターとかスーパー銭湯と呼ばれる感じの佇まいでして旅の気分は一気に冷えちまったのでありました。

しかし、入ってみれば妙に落ち着く庶民的な雰囲気は悪く無く、新し目の部屋の窓からは夕暮れ時の富士山も見え自分の気持ちは一気に緩んだ次第であります。

で、元々の素性は健康センターらしく、だからお風呂は充実でして大満足でありました。

風呂上りといえばビールでして、さっさと居酒屋風メニューの多い食堂に行きつまみとビールを頼みこの夜も酔っ払った次第であります。

で、夜は早めに御開きにしまして翌朝は少し早めに朝食を食べ観光はせず一目散に戸田へ帰る段取りでありました。

8時半に出発し、途中東名高速の足柄サービスエリアで軽く土産物など物色し、都内通過で渋滞したら嫌だからと、港北パーキングでトイレを済ませ戸田に着いたのが11時少し過ぎでありました。

11時半に軽トラを走らせ外環から東北道に入り110キロの定速走行で栃木県の都賀西方パーキングまで行き昼飯タイムでありました。

で、30分ほどのランチタイムの後また110キロの定速走行で宮城県の白石パーキングまで走ってトイレ休憩。

そして、そこから家まで一気でして、到着は4時ピッタリでありました。

いや、予定した観光は半分も消化していないし酒ばっかり飲んでいた感の強い旅行でしたが抑えた予算の割りには満足感はそこそこでして、これは成功であったなと余韻に浸っているところであります。

いや、友達ってのは良いもんですね。

んじゃ、またね、で株キチとはサヨナラって言ったことが無いのでありますが、この分なら次も会えそうって事で・・・あー楽しかった、と。




















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撮り鉄は難しい

2020-10-04 19:58:48 | 旅と感想
一昨日の話なので鮮度は落ちるんですが「南会津車中泊の旅」の言ってみれば「しんせい」といいますか・・・もとい。
まっ、なんであれハイライトなのであります。

まず、スマホで情報を集めた結果とりあえず目指すのは道の駅「尾瀬街道みしま宿」だと分かった次第であります。

なので国道252号線をヒタヒタと走り8時半に道の駅に到着したのであります。

いや、調べによると会津方面からの列車が9時1分に鉄橋を通過するとあったのでそれに合わせて来た次第であります。

で、道の駅でトイレに立ち寄り少し身軽になってスリッパからスニーカーに履き替え、案内の看板を見て撮影ポイントへの道を確かめて向かったのでありました。

で、撮影ポイントは下から順にB.C.Dと高くなっているらしいので自分は高いところの方が眺めが良いであろうとDポイントに登った次第であります。

いや、後から思うと一番近いCポイントの方が列車に対して無理な角度にならず写真の画角としては無難なのか? なんてことを思いましたがよくわかりません。

立派な木の階段が整備されて居ます

エッサホイサと階段を登り、途中でCポイントを通過しつつ、ここからの眺めも捨て難いが、と思いつつもバカと煙は高きを目指し登るのでありました。

Cポイントにあった見本写真と時刻表

Dポイントから鉄橋方向を見る

いや、列車が来るには未だ時間があるなと思いつつDポイントに到着し、一等地と思しき一番前のベンチに陣取った次第であります。
が、後からやって来た撮り鉄専門の人は一番上の平らな段に三脚を構えたのであります。

そーか・・・三脚が要るのか、と今更ながらにコンデジを手持ちの自分がシロート丸出しであることに気づいたのでありました。

で、撮り鉄さんは推定で200ミリを付けたカメラをセットし、露出やらを設定し置きピンを決めて居る様子でありました。

さて、私はというと、目の前の柵の上にカメラを置き幾らかでもブレを防ごうと涙ぐましい努力をしつつ、間も無く9時1分の列車が通過するのをドキドキしながら待ったのでありました・・・なんたって撮り鉄デビューですからね。

しかし、自分の時計は既に9時1分をすぎて居るのにトンネルからその手の物が出て来る気配は無いのであります。

そして、2分が過ぎ5分も・・・とうとう10分過ぎた頃に撮り鉄さんがボソッと「運休だな」と言うのでありました。

私ゃJRの列車がそー簡単に運休するとは思っても居なかったので少し驚きつつ撮り鉄さんに尋ねてしまいました。
「ここの列車は乗客が少ないと間引きでもするんですかね」と。

いや、撮り鉄さんは私の問いに答えはしなかったんですが、なんとなくこの路線の運休はさして珍しいことでは無いのだと語ったわけであります。

そして、只見方向から会津行きの列車が9時18分ごろにやって来るのでそれを撮りましょう、と教えてくれたのでありました。

ほぉ〜次はあっちから来ると言うことは、あの鉄橋にピントを合わせたら良いのであるな、と思い画角を決めたり、シャッター優先にして列車がブレないように、なんて小細工をした次第であります。

で、ボーッとして居たら撮り鉄さんが「そろそろですよ」と声をかけてくれた時、自分の耳に踏切の警報音がかすかに聞こえたのでありました。

おお、列車が来るな、と少し身構えつつも、気持ちのどこかがどーせ手持ちのコンデジだものそれなりだよな、なんてことを思っていたのであります。


もっと大きく撮らないとダメなんですかね

コンデジの解像度ではこんなものか?

で、列車は一度駅に止まるんで次の鉄橋に出て来るまでは間があるのだと撮り鉄さんが教えてくれたので一度気持ちを解放し、カメラから手を離したわけであります。

突然現れたので慌ててカメラを向けました

結構ゆっくりなので楽に追えました

いや、連射機能では無く手押しです

そしたら、突然列車の頭が見えたので慌ててカメラを構え直したんですがその時は既に全体が出て居まして、これから出てくんぞぉ〜的な動きを撮りたかった自分としては失敗でありました。

とは申しましてもカメラがナニな上に手持ちですからその時点で舐めてんのかと言われてもどーにもならないんですけれども・・・まっ、写っていて良かったであります。

いや、撮り鉄ってのは忍耐でありますね。
まっ、写真全般に言えることですが私ゃ待つのって苦手なので写真向きでは無いかもしれません・・・なんちゃって。

と、言うことで、自分の、動く物を撮るときのお約束に、逃げる被写体の尻は追うな、があるのでこの位置から撮るのはやや不本意と思ったんですが、何分にも狙った列車が運休ということなので仕方なしであります。

もっと能書きを書くと、カメラは1200ミリ相当のズームなんで列車の窓を抜き出して撮ることさえ可能なんですが私の撮り方は「列車のある風景」なので列車だけを抜き出すことはしなかったのであります。

と、まぁ、居合わせた撮り鉄さんとの話も楽しかったし、なんだかんだと面白い場所でありました。

しかし、ここは雪の時に行ったら良いのか、なんて絶対行かないのに思った次第であります。


コメント (4)
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