じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

今日はなんだか・・・

2019-10-10 09:26:51 | 日記的雑談
なんと申しましょうか、脳内に動きたく無い、疲れてる的信号が蔓延っている感じでして、風も無く快晴の空の下、仕方なくPCに向かっている私でありました。

この天気なら昼飯時までに3時間以上はバイクに乗れるわけですが、乗りたく無いんですから仕方がありません。

まっ、午後3時からバイトなのであんまし疲労困憊のまま行くのもナニなので自生の気持ちも働いているのかと思います。

でも、台風襲来の前のまたと無いひと時、ジェベルで山の紅葉でも撮りに行きたい気持ちは小さじ一杯分くらいはあるのです・・・でも行かない。

行けば楽しいでしょう、きっと・・・走り出せばアドレナリンが湧いて不調気分も隠れるし。
でも戻ってからバイクを洗うの嫌だし、昼飯食べた後仕事に行くのが億劫になること間違いなしなので止めときます。

で、暇なので溜まった領収書の整理と帳簿でもつけようかと、机の棚に乱雑に突っ込まれたノート類の中からこれと思しき物を取り出したら、それは8年前の日記だった。

で、そういう物を手にするとつい開いてしまうのが人情だと思うのだが・・・まっ、手書きの日記など認める趣味の無い人には無縁なので人それぞれでしょうが。

そんなわけで8年前の日記の一部を読んだのであります。

それには交通事故で入院していた時期が含まれていまして、今読み返すと面白い発見があるわけです。

言ってみればこの時期は「命拾い」した後でして、たぶん、自分の人生で一番しおらしく「賢者モード」に入っていたと思うのであります。

ですから、書かれた文字には在とあらゆる存在に感謝の念を抱いていたことが伺え、さらに、己の来し方の殆どに反省など加え、それはそれは謙虚な人になっていたのであります。

で、読み進みますと、入院して15日目には足の手術を終え、リハビリ期に入り、行く末に目を向け始めるわけであります。

それにしても人の性などそう簡単には変わらないと言われますが、私は「簡単には変わらない」では無く「絶対変わらない」と唱えたいと思うのであります。

なんとなれば、入院から一ヶ月も経つと瀕死の事故から生き延びたことへの感謝の気持ちは薄れ、動かなくなった左手を呪い、その先の生活を憂いたことが綴られているのであります。

そして、さらにひと月も経つとリハビリで動かなかった左手が握力6キロを回復し、ボルトと鉄板で修復された踝や足の回復も目覚ましく「やっぱし俺は天下無敵だな」と、命拾いが仏様の計らいであったかと感謝したことも忘れ元の木阿弥的性格になっているのであります。

で、日記を書き始めたのが入院から7日目ほどなのだけれども、その頃は右手も良く動いていなかったので難読の文字が羅列されていたわけです。

しかし、一ヶ月後頃にはものの見事に綺麗な文字が・・・と、言いましても性来悪筆の自分の中ではということですが、まっ、前代未聞にまともな文字が見られるのであります。
それはたぶん握力が無くてペンを軽くしか握れないことと、腕力が低下していて元気な時の筆圧より相当低くなっていたからだと思うのであります。

さらに、有り余る時間の中で丁寧に書いていたことも否めないのかと思いますが、なんであれ、自分で見て「これ誰の字」という程のものだったのであります。

いや、そのままなら良かったんですが今は右手はほぼ元に戻ってまして悪筆は以前にも増して難解になっております。

で、「一汁 二菜 飯一膳 寝たきりだとて腹は減る」と常に腹が減っていて食事の量が少ないことを認めていました。
この日ベットに寝たまま何処かへ連れて行かれたようで、その折看護婦さんに「飯の大盛りは可能ですか」と尋ね「整形だから少しくらいは融通きくでしょう」と会話したことが書かれていました。

その結果、以後私の食事には「301 大盛り」と記されることになったのであります。

で、入院中の75日間で読んだ本は推定100冊は超えていると思うんですが、8年も経つと何を読んだのか全く覚えていないのであります。

いや、本が目の前にあれば、ああこれは病院で読んだなと思い出せますが、面会所に併設されたミニ図書館から借りた本はその後対面していないので忘れるんでありましょう。

で、たぶん森村誠一の何かを読んでの感想と思いますが「森村先生、ハイミス・アパートで自殺か」って行は平成の時代では使えませんね。

なんてことが書かれているんですが、ここでも入院当初の謙虚な気持ちは見えず、巨匠の文に難癖をつけるわけであります。

で、退院の日を探るようになった頃、隣の病室の婆様と親しくなってあれこれ話すようになったわけです。
そしたら、山をたくさん持っている資産家らしく「田舎の山など価値も無く持て余してるので一つ貴方にくれましょう」という話になったことが書かれていました。

まっ、婆様の戯言として「ハイハイありがたく頂戴しましょう」と答えてそれっきりだったけれども、8年経った今で淡い期待を抱いたことは覚えているのでありました。

あ、もう10時半か・・・積ん読になっている本でも読みましょうか。





コメント (2)
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