じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

我 染まる

2020-09-24 10:48:34 | 日々の雑感
いや、草木や漆には滅法強くちょっとやそっとではかぶれ無い私ですが、映像・音楽・文字などには簡単に気触れるのであります。

で、今は戦中戦後の歌と映像にかぶれていましてYouTubeでその関連を見ていたわけであります。

で、見つけて涙したのが・・・↓

クリックするとYouTubeが開きます

いや、福島三羽ガラスの野村俊夫作曲で船村徹作曲、歌ったのは島倉千代子でありました。

この歌が発売されたのは昭和32年とのことで、戦後12年であります。
私ゃ生まれてはいましたがオシメは取れていても寝小便を垂れていた頃なので定かな記憶ではなく、その後ずーっとラジオやテレビで歌われたのを聞いて覚えたものと思います。

さて、お千代さんのこの歌を聞くまでに沢山の軍歌や古関裕而の作品などを聞いてきたんですが、戦前、戦中の歌から戦後になる時の流れが歌に反映されているのは鈍い私でも感じたわけであります。

で、解説も読みましたので軍歌を作曲した人も作詞家も、また歌った人も不本意であったということを知ったわけであります。

そして行き当たったのが島倉千代子が歌う「東京だよおっかさん」でありました。

なるほどねぇ・・・NHKの紅白で歌えなかった理由は戦後のすぐから靖国はそーいうことだったんですか、なんてこともナニなんですが、私ゃもっと私的な感情にとらわれまして母ちゃんを思い涙したのでありました。

自分はわけあって高校生の時から家を出まして・・・いや、学校が遠くてとか真っ当な理由では無く、言ってみれば「家で」か親の側から見れば「勘当」でして、それ以後家や親とは疎遠のままこの歳まで来たのでありました。

で、東京だよおっかさんは何度も聞いているはずなのに今までに無い感じ方をしたわけであります。

早い話が母ちゃんに会いたい、と思ったのでありました。
そして、よもや自分がこんな感傷的な気持ちを持つとは信じ難いのですが、母ちゃんの手を引いて歩きたいと。

いや、これが老いの仕掛けたいっ時の感情であろうことは十分承知なんですけれども、死んだ人に会いたいと思ったのはこれが初めてであります。

ついでに言うと父は45年前に逝ったんですが母に会いたいと思った今も父は出て来なかったのが何故か・・・父ちゃんごめんね、なんちゃって。

さて、東京だよおっかさんの歌詞を噛み締めた時、入り口から自分との違いを思い知ったのでありました。

ひさしぶりに手を引いて・・・と、言うことは何度か歩いているのだな、と思いつつ自分の記憶をたどって見ると、その姿が無いのであります。

唯一あったのは、小学校の入学式に一緒に学校まで歩いたけれども手など繋いだ記憶は無く、たぶんそんな事は無かったのかも知れないと言う少し寂しいものでありました。

まっ、母親と息子なんてのはそんなものだろうし、東京だよおっかさんで手を繋ぐのは娘ですからそう言う事なんでありましょう。

いや、たぶん・・・手を繋ごうとした母に「やんだぁ、おしょすいべ」と振り払っていたのだろうと思うのであります。

そっかぁ・・・彼岸は混むからと墓参りは行ってなかったな。

そーだな、あんな石の下に父ちゃんと母ちゃんが居るとは思わないけれども、他に手も無いので線香の一本も上げて来ようっと。









コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午前中は暇です

2020-09-24 08:33:03 | 日々の雑感
外は鈍曇り・・・天気予想はいつもの「台風が来るぞ〜」で盛り上げているが、あれは外れるだろうと私ゃ気にしてません。

しかし、気圧が下がっているのは確かで低気圧に弱い私の脳みそはいつにも増して鈍いのであります。

そんなわけで畑仕事に少し手をつけたいこともあるんですが、まっ、いいか、と腰は上がらなのであります。

で、のんびりとNHKの朝ドラを見つつコーヒーなど啜っていましたがそれも終わりする事も無く惰性でPCのスイッチを押した次第であります。

今日の朝ドラは見応えがありました。
まず、ストーリーに唸り、それを演じる役者に魅了され、次にカメラワークの見事さにため息をつき、とある一場面に描かれた「友」の姿に嫉妬をするという、たった15分にどんだけの熱がこもっているのだと圧倒されたわけであります。

まっ、お芝居用の作られたストーリーと言ってしまえばそれで話は終わるんですが、自分は今日の1シーンだった祐一と鉄男とひさしの三人が枕を並べている場面に嫉妬したのでありました。

俺にはあんな深い関わりを持った「友」はいないな、と。

そして次に湧いた想いは、断片が繋ぎ合わされた自分の来し方でありました。
何度か燃え上がった記憶があるけれども成し遂げたそれの無い自分の生き様・・・なんちゃって。

いや、ドラマの台本になる人の人生ですから凡人のものと違うのが当然でありましょう。

と、自分に言い聞かせ、少し重たい空気の部屋で二杯目のコーヒーを啜っている私でありました・・・へっ? コーヒーより番茶が似合う、ですか?

クリックするとYouTubeで映像と歌が聴けます

で、このドラマで取り上げている歌は「暁に祈る」なわけですが正確な歌を知ろうとYouTubeを開き上記の映像を見つけた次第であります。

いや、歌もさることながら映像を見た自分は言葉も無く画面に入り込み兵隊と一緒になって荷馬車を押したのでありました。

で、単純な私はすぐに感化され、我が祖国に事が起これば若い者より先にお国のために働きたいと思ったりするのであります。

で、戦後、アメリカ様の教育が見事に成功し「愛国心」なんてのは邪魔ものであり、自由こそが至上である、なんて日本になったと思うのであります。

なんと申しましょうか、国は自分とは無関係であり、なんだか知らないけれども分類上私は日本人、なんて意識になってやしないかと思うのであります。

もっと言えば、在って当たり前の日本で、大多数の国民は国の存亡なんてのは国が考えるべきことで俺も私も無関係。
当事者意識も無く何故この国が成り立っているのか、なんてことにも興味は無く、なんの根拠もない「平和」なんて言葉に浸っているのか、なんてことを思うのであります・・・なんちゃって、んじゃぁお前は国のために何をしている、と問われるのは痛いところではありますが、まっ、いいでしょう。

さて、こういう話になると取り留めもなく冗長になるのが私の悪い癖・・・まっ、纏められない無能なんですが。

で、落に行きいんですけれども、書き始めはドラマに感動しただけで始めたのに変な国民感情論に転舵しちまったのが間違いでして閉めようが無いわけであります。

と、いうことで皆さん、アメリカを信用して国防までおんぶに抱っこでは独立国とは言えませんぜ・・・その心は横田基地、ってなことで終わりにしたいと思います。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする