今日はバイトは休み、なんちゃって、マン防で45日も休んで昨日1日出勤しただけですけどね。
ですが、形はなんであれ休みとなればジタバタしなくては気が済みません!!!
では手軽なところの寺回りを、と言う事で、そーだ瑞巌寺へ行こうと思ったわけであります。
が、起きてみたら我が家地方はドン曇りで肌寒かったわけです。
で、塩引きと味噌汁とご飯という純和風の朝食をいただきながらテレビの天気予想を見ていたら「山形方面比較的晴れ間多し」と出たのであります。
ならば山寺だな、と決めてジェベル200に跨り裏の山道を抜けて国道48号線に出て一路山寺へ。
あっ、山寺ってのは山形県にある宝珠山立石寺の通称であります。
この道は慣れていまして半分眠っていても行けるのでバイクで出かけてもツーリング気分は殆ど出ないのであります。
が、ドン曇りで肌寒かった宮城県とは打って変わった好天の山形県でして、日差しが暖かく風は緑と、バイクは気持ち良く走ったのでありました。
と、いう事で、道すがらは省略して、10時半頃、山寺に到着であります。
山寺 登り口(奥の細道 入り口)
国の重要文化財 根本中堂
静かさや岩にしみ入る暇もなし
急ですが歩きやすい石段
石段は1015段
文字が薄くて読めない、では無く
仁王門
仁王門右 阿形
仁王門左 吽形
奥の院
開山堂
下山道
立石寺と言うと寺の由来や歴史よりも奥の細道を辿って山寺に来た松尾芭蕉が詠んだ俳句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」が有名と思いますが、観光の寺として有名になったのはそんなに古いことでは無いそうであります。
山寺は木戸銭が安いこともあってか、山門をくぐるのに300円払ってもパンフレットや説明の書かれた紙は貰えません。
なので山寺の訳を知りたければ自分で調べるしか無いんですが、いつ頃、ドーして売り出したかは境内の立て札にヒントが書かれていました。
境内に「行啓記念殿」と言うのがあって、大正天皇が山寺に登った時に休憩用に建てられた建物、と説明書きがありました。
で、山寺を気に入った天皇のお墨付きを得て云々、と書かれている訳であります。
やっぱしなぁ、公家や大名の後ろ盾ってのが神社仏閣繁栄の肝であるな、なんてことを思った次第ですが、まっ、いいでしよう。
で、岩山を寺にしているので平地は少ないわけで、だから大きな伽藍や塔はないのであります。
あれです、比叡山の延暦寺と縁が深く「不滅の法燈」の火を分け合っていて、あっちが消えた時はこっちのを移して、と互いに絶やさぬようにしているそうであります。
と、言うことで、天台宗で山寺、と立地と背景は似てるんですが、規模ではとてもかないません。
で、最澄の弟子で円仁という有名な坊さんがいて、この高僧も延暦寺に葬られてますが、分骨して「入定窟」に円仁の遺骨が葬られている、確率が高いと調査の結果出ているそうであります。
あっ、私ゃ根本中堂で200円払って「不滅の法燈」を見て来ましたが、なたね油が注がれた古びた灯明皿で暗い炎が閑かに燃えていました。
ちなみに不滅の法燈を灯したのは当然最澄でありまして、油断すれば消えてしまうところから「油断大敵」が生まれたと言うのは、たぶんホントーです!!!
で、岩肌にはたくさんの磨崖仏や磨崖碑があって流石に立石寺である、と感心して見いるんですが読めないのであります。
いや、文字が薄くてと言うのもアレなんですが、仮に鮮明でもあの手の文字は自分には読めませんで、とても残念です。
摩尼車がありました
いや、マニ車といえばチベット仏教が本家で、山寺へは唐に渡って修行した最澄が持ち帰って伝わったのかと思うんですが、これは私の勘であります。
ちなみにチベットではマニ車を回す時に「オムマニペネホン」と言い、マニとは「真言」のことだそうであります。
で、チベット仏教のマニ車は大小様々、お堂の中にあって人力ではやっと回せる重さのものから手に持ってくるくる回すものと、様々であります。
自分が持っているマニ車を開けると入っている紙は一文字も読めないけれども、文字はマントラ(真言)だ、と教えられました。
でも、調べて見たらマントラには単に文字って意味があるんですね。
で、あまり目立たないので石段を降りて下山する人も多いようでしたが、せみ塚から石段の無い山道を歩くことができまして、ここを歩くと、修験者は石段では無くこっちの道だよな、なんてことを思ったのでした。
だとすると、開山当初は10里四方と言われる広大な境内は比叡山と同じように修行の山として千日回峰行などが行われていたのか、と思ったわけです。
で、磨崖碑に「千日・・・大阿闍梨」などの文字を微かに読んだんですが、自分の推測はどーなんでありましょうか?
いや、山寺は今まで参ったどの寺とも異質でして、これほど有名な観光寺なのにどこか素っ気なく、媚びるところや押し売りがどこにも無いのであります。
芋煮セット 1100円
そんなわけで何時に無くじっくりと参らせていただいた山寺でして、先日の慈恩寺といい、山形県の仏教寺院の奥の深さに恐れ入った次第であります。
で、1015段の石段は羽黒山の2446段よりはやっぱし楽で、上り下りもさして苦にならないんですが、逆に程よい運動になり腹は減ったわけであります。
で、バイクを無料で停めさせていただいたので「えんどう本店」という土産物屋兼食堂に入り「芋煮セット」を食したわけであります。
いや、山形の芋煮が美味いのは当たり前ですが、本日の絶品は「うこぎご飯」でありました。
ウコギの新芽を塩味で炊き込み、香ばしいゴマで仕上げたらしいご飯は、これだけで山寺に来た甲斐があったと言うものであります。
で、またジジイの勝手な推測で、山深いところでは「刺身こんにゃく」ってのがよく供されるんですが、これはやっぱし生魚の刺身が食べられなかった時代の名残なのか、なんて思いつつ、久しぶりにこんにゃくの刺身などもいただき、大満足の昼飯でありました。
さて、帰り道は来た道を戻るだけでして、1時間と15分で無事帰宅でありました。
あっ、そーだ、マスクを忘れて500円で「山寺マスク」を買って土産にしました。
あー 楽しかった、と。