じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

松島やさて松島や松島や

2021-05-24 15:11:17 | 日々の雑感
自分はただいま鋭意俳句の勉強に励んでいるので奥の細道と芭蕉には詳しい。
どれくらい詳しいのかと言うと、松島やああ松島や松島やの「ああ」の部分は「さて」であったことを知っている程度には詳しい。

もっと言うと、そもそも、芭蕉には直球で松島を詠んだ句は無く「島々や千々に砕けて夏の海」しか無いのである、とネットの解説も読んでいる次第であります。

私は「松尾芭蕉忍者説」を密かに信奉するもので、だから松島の瑞巌寺と芭蕉の関係にはとても興味があるわけです。

と、言うことで、もはや梅雨入りと言われても反論できない今日この頃の空模様の隙をついて松島と瑞巌寺と円通院を訪ねたのであります。

人気の少ない日本三景松島(午前10時)

五大堂への橋(無料)

五大堂(木造五大明王像の堂)

風雪に耐えて400年の五大堂は島にある

瑞巌寺山門(700円)

古くは瑞岩寺だったとか

中門までの山道 杉が太い

良い庭だが後付けかと思ったら築三年だった

いや、正直に言うと瑞巌寺をきちんと訪れたのは30年ぶりでありました。
んじゃ、きちんとでは無いといつかと言うと、6年前であります。
その時は植木屋修行で下働に行って、しかも冬で修繕の工事中だったので枯れた庭しか見ていず、さしたる感動もなかったのが正直な感想でありました。

が、しかし、本日訪れて驚きました!!!
東北に瑞巌寺あり、と白河以北一山百文の誹りを笑い飛ばして余りある威厳と迫力と美しさを兼ね備えた禅寺が宮城県にあったとは、恥ずかしい認識不足でありました。

あれです、瑞巌寺の修復は第1期が平成20年から始まり、第2期が終わったのが平成30年と、10年も掛かっていたんであります。
どーりで綺麗なはずだわい、なんちゃって。

あっ、松尾芭蕉忍者説なんですが、自分が中学の時の社会の先生が、伊達政宗が瑞巌寺を再建したのは、城を建てると一国一城令に反するので徳川に咎められる。
で、政宗が師である虎哉和尚のすすめで城として使える寺を建てたのが瑞巌寺、と教えられたのであります。
で、その根拠として、山門から中門は微妙に角度をつけて見えなくしてあるし、実際に地形など見れば、前は海で背後は山の要塞なのであります。

で、芭蕉は公儀隠密でして、伊達の隠し城を検分に来たわけであります。
ついでに言うと、この後芭蕉は石巻に行くわけですが、それは万石浦を検分に行ったのであります。
万石浦は名前の通り埋めててて米など採れば万石取れるわけでして、芭蕉はそのような不穏な動きがないかを見に行ったと言うのは私の思いつきです。

円通院山門(300円)

小堀遠州作 らしい

苔の感じがたまらなく良いです

伊達政宗の孫、光宗を祀った三慧殿

建武五年の石碑(1338年)

あれです、円通院の庭は我が家地方では一番と言われているんですが、まさしくそうだと自分も思います。
枯山水の石庭は東北にもこんなのがあったのかと言う感じで良いものであります。
そして、新緑に幹が透けるモミジと苔の庭も良いであります。

回遊できる庭の趣は京都の名のある寺に負けないほどなんでありますが、一点だけ、庭好きの自分としてはナンデこーなるの? と言いたいのが池泉の庭であります。
これも小堀遠州と言うんですが、本当かぁ〜と疑いたくなる見栄えでして、どこか漠然とまとまらない庭なんでありますが、まっ、いいでしょう。

円通院は別名を薔薇寺とい言うそうで、支倉使節団がローマから持ち帰った日本最古のバラがあるそうです。

で、バテレン禁止を顧みず三慧殿には十字架が隠し模様としてあるそうですが、ハートやクラブやスペードも含めあんまし興味がないので探しませんでした。

いや、ナンダかんだでじっくり見て回って三時間でした。
しかし、飯時になったのにどーしても松島では食べる度胸が無く1区間だけ高速に乗り最寄りのサービスエリアで安い定食を食べた次第であります。

なんたってあなた、観光地価格も極まれりでして、最低でも2000円は出さないと飯は食えないんであります。

あれ、四月に伊豆に行ったし京都も行ったんですが、こんな突拍子も無い観光地価格って見ませんでした。
東北の田舎者は今時この手のやり方は流行らないって知らないんですかね? なんちゃって。

どーですか、あなたも奥の細道の松島を訪ねてみたくなりましたか?
なんですと? 説明読んで呆れたので嫌だ、ですか?

こりゃまた失礼いたしました、と。


コメント (1)
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