じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

三内丸山遺跡へ行った

2021-11-04 14:19:57 | 縄文時代の話
  三内丸山遺跡といえば、知る人ぞ知り、知らない人でも名前くらいは聞いていると言う日本人の心の故郷であります。

で、私は2度目の訪問なんですが、ここが自分の縄文時代への入口でして、あれから少し縄文知識を蓄えたのでもう少し奥深くが見えやしないかとの思いで訪れた次第であります。

そんなわけで、仙台から東北自動車道で青森市のまでまっしぐら!!!
で、高速を降りたらナビが小牧の遺跡の「小牧の館」が近いと教えるので先にそちらを見学して三内丸山遺跡に回った次第であります。


縄文後期の集落の集会場と火の見櫓(多分違う)

いや、南太平洋の島国の国会議事堂にこのような建物があったと記憶しているんですが、木造モルタルのチンケな我が家とは比較にならない重厚な建物であります。

で、火の見櫓と思しき櫓は直径1メートルの栗の巨木を6本柱に立てたものでして、私の勘では祭壇であったと思うんですが、大概皆もそう申しているようなので多分そうでありましょう。

人型になる前の板状の土偶

土偶の細部はそれぞれ違いますが、概念としては共通なので形には意味があったものと想像するわけです。
そこで土偶に念を送って得た答えは、これは位牌であった、と言うことなんですが、まっ、いいでしょう。

人の顔が付くようになった土偶

で、顔がないのは死者の証で位牌と思ったわけですが、これには顔があり目も開いているので元気な雰囲気であります。
そこで土偶に念を送り尋ねると、これは身代わりのお守りであった、と言うことなんですが、まっ、いいでしょう。

作者は縄文のモンクと言われた巨匠です(嘘)

目・口・耳・鼻・乳・出臍・・・そして縫い目のあるシャツを着てパンツまで履いている土偶であります。

顔が持つ異界の雰囲気と首から下の遊び心が縄文人の知性を感じさせる一品であります。

正確には「大型十字形土偶」と呼ばれ、頭が皿状になっていることから北陸地方の「河童土偶」の影響を受けたかもしれないと言われる逸品であります。

大は栗10個 小は栗6個と交換していた(嘘)

いや、どーみても作者は一緒で、三内丸縄文村には人形師がいたとしか思えないわけであります。
と、なると、人形師は漁ろうや畑仕事には行かず、作った人形と栗や芋や魚と交換していたと思うので付加価値の創造という職業があったと思うわけですが、まっ、いいでしょう。

この土偶には見るべき点がもう1つ・・・目が開いている、であります。

子供の手形と足型を焼いた 誕生記念品

縄文時代の後期は人口26万人ほどであり、狩猟採集型としては世界一人口密度が高かったと言われています。
まっ、この後寒冷化などで八万人まで減少し、日本人絶滅の危機第一回目を迎えるわけですが、26万人いたとしても出産や子供が育つのは大変なことであったことは間違い無いわけであります。

子供は国の宝、村の宝、そして当然一家の宝でありまして、何はさて置き子供大事の生活であったことは容易に察せられます。
その証が手形足形を焼き込んだ土版でして今で言う七五三的節目を祝ったものと思いますが、まっ、いでしょう。

笑顔的ですが目を閉じでいる 土製仮面

遮光機土偶の代表的な顔

三内丸山遺跡は2000年間も続いたそうで、だから多様な土偶の出土があり縄文時代の変化がシロートにも見えるわけであります。

で、各地の出土品から出でくる遮光器土偶が三内丸山遺跡からも出ているわけであります。
が、此処では遮光器土偶と似た雰囲気なのに目玉を見開いた土偶も見られるわけであります。
そこで私は土偶に念を送り何故目を瞑っているのかを問うたわけであります。
すると土偶は言いました「死んでしまったので目を閉じているのだ」と。
さらに土偶答えて曰く「女性しかいないのは出産に伴う死者を弔ったのだ」と言うのでありましたが、まっ、いいでしょう。

虫眼鏡の下にはニワトコの種子が大量に

皆様はニワトコをご存知ですか?
赤い実がブドウのように実る低木樹でして、実は発酵しやすいので縄文人はこれで酒を造ったとされています。

粋ですなぁ・・・果実を発酵させた酒を囲炉裏の前で飲む。
傍らには子供をあやす女房がいてゆらゆらと燃える炎が暖かく子供はすやすや。

蛇足ですが、狩猟採集の民であった縄文人の労働時間は実働3時間ほどあったとする説があります。
いや、それが持続可能な生活の元になるってことを知っていて欲張った狩猟はしていなかったそうでありますが・・・なんなんだ縄文人よ!!! 羨ましすぎるぜ、なんちゃって。

縄文人よ!!!お前も日本人なんだな

いや、長い石の棒の先に丹念に彫り込まれた文様は紛れも無い男根でありまして、日本各地の神社にあるそれそのものでありました。
しかも、ご丁寧に棒のあっちとこっちの両方に掘る凝りようですが、祭祀用では無いような気がし、石の棒に念を送って聞いて見ました。
すると石の棒答えて曰く「シャレだよシャレ、男は獲物とってなんぼ」と。

そんなわけで子供が宝の縄文社会では子を産む女こそが偉いわけれで、だから亡くなると土偶も作られたのでは無いか、なんてことを思うわけですが、まっ、いいでしょう。

そして、土偶でもなんでも男に関する出土が少ないことを鑑みれば価値が低かったからとしか思えないのであります。

あれです、日本列島に人口20〜30万人というと種を繋ぐのに苦労する密度という説もあるわけで、そー言うことだと男の嫁探しも大変だったろうな、なんてことを思うわけであります。

そして、それは翡翠の勾玉なんかに繋がるかも知れないと思うんですが、それは次のお話に、なんちゃって。


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