じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

読書途中感想文 その2

2013-04-11 13:53:18 | 日々の雑感
本日も 中島義道センセー著 人生に生きる価値は無い で在ります。
昨日は60ページくらいまででありましたが、本日はそこから90ページ程までを弄ってみたいと思う訳であります。

いや、やっぱし無条件で面白いです・・・ホント、とくに自分の事を書く時には下手な落語を文字で読むより何倍もおかしくて、声をこらえて読むのが苦痛になる程であります。

しかし、この哲学者のセンセーは酒が好きなんでしょうね・・・取り分けビールですか?
で、センセーは大の人嫌いかと思いきや、結構頻繁に、自分から率先して声を掛けて飲みに行く訳です。
ですが、飲みに行った先では毎度の事で馬鹿な奴らと来ちまったぜぃ、と、苛立ち、そして怒り、そして嫌悪感に打ち拉がれて参っちまっている訳です。

まっ、哲学者の大センセーにこんな事を言うのはアレなんですけど・・・センセー、学習能力低く無いですかぃ? 大衆と言いますか、大体がセンセーの目の前に居る人の大多数は・・・まっ、全部と言っちまいましょう・・・大衆は馬鹿なんですゼ・・・だから大衆でいられる訳ですから・・・それを自分から誘っておいて、やっぱし馬鹿しかいないんだわ、馬鹿と話ししてると疲れるんだわ・・・もー帰りてぇ~なんてのは身から出た錆どころか、あんたぁ~馬鹿じゃネェの?大衆と言うか、一般人と言うのはそう言うもんなんだよ、と、言ってやりたい気持ちでいっぱいになる訳です。
いや、編集者だの、大学生だの、カルチャーセンターの受講生だのって宣っても、所詮は一般人ですから・・・大衆ですから・・・そりゃぁ馬鹿で鈍感で無神経じゃなきゃ横並び精神の蔓延る娑婆じゃない生きて行けないんですから。

センセー・・・懲りない寂しがりや、と、おっさんは見ましたけれども。
それは・・・キレイな娘の居る店で呑んでいて、ホステス娘の馬鹿さに呆れて会話をしたくなくなり店を出たが、その足で口直しと称して新橋の大衆酒場で呑み直した言う辺りに伺えると思う訳です。
要するに、馬鹿を相手にしているのに自分は馬鹿になれない・・・それは恐れなんじゃないんでしょうか?
知らない世界と言いますか、他人の土俵なんで上がるのが怖いんじゃないんでしょうか?
小心者なんで自分の土俵から外れると途端に防御に入る(怒って嫌う)・・・ああ、それらしい事を自分でも宣っていますね。

で、新橋の大衆酒場に行く・・・けっして静かではないと思うんですが、知らない人の中にポツンといる安心感・・・おっさんは好きですから、ナンなと無く分る気がします。

「人間嫌い」と言う章が笑いどころであります。
普通にどこにでも居る常識的な良い人に対してセンセーの価値観で怒りを覚え、普通の人なら飲み込んじまう所を我慢できずに攻撃する訳です。
いや、センセーにブチ当られた方は青天の霹靂でありましょう。
まず、気の弱い人程自己保身の為に必要以上に常識的で良い人になる訳ですから、センセーの様な強烈な特異体質に斜め上からの攻撃を喰らったらひとたまりも無く潰されちまうと思う訳です・・・最悪は精神に異常を来すかも?
少なくても心に深手を負う事は想像に難く無い訳であります。

しかし、センセーは自分の怒りを素直に相手にぶつける訳です・・・ここには思いやりは無いのでありますが、しかし、その後時間をかけて和解する道を取っている所を見ると、やっぱし相手に追わせた傷の事は気になっているんだろうと思う訳です。
いや、確信犯なんでしょ? センセーは哲学者で文筆業と言う特権階級を手に入れちまっている事を誰よりも自覚しているんで、適度な暴れ方は世間が許すと言いますか、ある意味では期待していると事を知っていてやっていると思う訳です。
が、しかし、人間相手でありますから、思ったよりもひ弱な精神を持っている普通の人もいると思う訳で・・・この章の相手の女性に対しては読み違いがあったんじゃないか?と。

で、読み進んで思った事なんですが・・・前の章のひきこもりに対するアレコレは、殆どセンセー自身の事であるな、と、確信した次第であります。
センセーは哲学者で文筆業と言う社会から認知された席を得ていなかったら、たぶん、只の気違い扱いで終わっていた人でありましょう・・・気違いじゃないか?狂人か? 
いや、只の偏屈おやじ程度かな?

社会に生きているのに、その恩恵の部分は絶対見ない事にして、都合の良い所だけを抜き出して文筆業のネタにしている狡さがとても良く滲み出ていますね。

で、もう一つ言わしてもらえば・・・所々で仏様の教えを何処かで齧っていやしないか?と言う匂いがする訳です・・・いや、表現が偏屈なんで素直に表面に出ている訳ではないのですけれども・・・あれっと思うと臭う訳です。


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「命根性」・・・!!!

2013-04-11 12:48:33 | 日々の雑感
本日の昼飯はおにぎりです・・・コンビニの2個パック・たくあん付・喰い終わったがどこかひもじい・・・この虚しさはなんだ?
いや、金が無い訳じゃないんです・・・減食している訳です・・・長生きしたいんで。

当地ではいろんな面で性格の悪い奴の事を「根性が汚い」と言い、これを言われるのは屈辱でありまして、言う方もそれなりの覚悟を持って言わないと、相手が言葉ではなく力で反撃して来る事もある・・・そう言う類いの言葉であります。
恐らく「根性が悪い」ならまだ救われたかも知れない場面でも「根性が汚い」ではトドメを刺しちまうと思う訳です。
やっぱし日本人としては「汚い」と言う言葉は「悪い」よりも上級の嫌悪を生むのであろうと思う訳です。

で、その言葉の発展系をおっさんが作った訳ですけれども、それは「命根性が汚い」と言う奴であります。
これは読んで字の如く、命に対して根性を見せる訳ですけれども、それが汚いと言う事な訳であります。
まっ、平たく言えば、借金を質に置いても長生きしたいとか、誰が死んでも良いから自分だけは死にたく無い、と、ありとあらゆる手段を講じる人の事を揶揄した言葉であります。

と、言う事で・・・おっさん、命根性に目覚めちまいまして、死にたくねぇなぁ~元気で長生きして、死ぬまで生きたいなぁ~と、思うようになった訳です。

で、長生きしようかな、と思うと色々とアレな事やナニな事が勃発しまして、なので、飯も減食している訳であります・・・一日の摂取カロリーを2000kcal以下に抑える、と。

序でにアレです・・・アルコール摂取量も健康と脳味噌の事を鑑み、一日の摂取量を25gまでにする努力を鋭意展開中な訳です。

北朝鮮東部で移動式弾道ミサイル発射台が上空向く

結局北朝鮮のミサイルは未だに飛んでいない訳なんですけれども・・・もう終わりでしょ?
今更飛ばれても気持ちの方が萎えちまっているんで、闇雲に太平洋に落とす様な撃ち方じゃ誰も見向きもしないと思う訳です。

で、上記のニュースなんかも、おっさんの中では既にナンの反応も興味も起きなくなっちまっている訳です・・・ああ、そう、そーなんだ・・・で、後は片付けてお終いなの? と。

で、日本のテレビニュースを見ると、東京の目立つ所にだけ迎撃ミサイルを配置したポーズなど流れる訳ですけれども・・・あんな小さい子供騙しみたいなので撃ち落とせんのぉ? と、誰もが思うと思うんですけれども・・・違いますかぃ?

で、東京に向かって来たら撃ち落とすんですか? ンじゃぁ、仙台市民のおっさんの所に来たらドーすんのぉ? 見殺しなのぉ? 刹那くねぇ?

と、言う事で、東京の、しかも、あそこから発射したら危ないんじゃないの?と言う所にこれ見よがしに迎撃ミサイルなんか持ち込むのは・・・パフォーマンスなんじゃないかと思いますけど。

韓国のミサイル防衛システム 7月までに構築

なんか先週辺りにも南朝鮮がアメリカ様から新型の戦闘機を買う話しが出ていましたね。
で、この度はミサイルシステムを構築すると言う事なんですけど・・・色々と買わされるんでありましょうね。

と、言う事で、おっさんは北朝鮮とアメリカ様はプロレスごっこしてるんじゃないか?と思うんですけど・・・金若が騒げばアメリカが儲かる・・・違いますか?



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待ちくたびれて 諦めた

2013-04-10 17:51:08 | 日々の雑感
いや、本日は最悪の事態を想定して万全の体制でパソコンの前で待機していた訳だけれども、午後五時を過ぎても未だ何事も起こらない。
注視しているネットの情報網には次々と北朝鮮の新しい「口撃」と「口劇」が展開されて入るのだが、しかし、現実的な動きは皆無である。

「日本には原子力施設ある」=戦争なら破滅と威嚇-北朝鮮

最新の「口撃」は、いつもの無慈悲な鉄槌と同企画の「思わせぶり」出合った。
マジで受け取るとすれば、狙うなら「福一」だけは外してくれよな・・・地域住民はやっとの思いで前に進んでいるんだから。
まかり間違って「福一」にちょっかいを出した場合は、日本側も黙ってはいないぞ・・・まず、最初に「遺憾の意」を喰らわすぞ・・・その後は思いつかないけど。

しかし・・・→ 中・長距離攻撃を重視する現代戦で、日本全土はわれわれの報復攻撃の対象になることは避けられない」とも主張し・・・

と、言う事で、報復攻撃の対象と言う事は、日本が先に攻めなければ報復は無い訳で、それじゃぁいつまで経っても始まらないよ?

老後をどう暮らす?中国の年金事情

いや、どこの国でも事情は似たり寄ったりでありましょうか?

例えば・・・↓

斉おばさんは今年58歳。退職するまでは河北省の炭鉱関連の一般公務員だった。現在、社会保険センターから毎月2560元が支給される。夫も同地の公務員である。一人娘は大学院を卒業後、北京に留まり仕事をしている。夫婦に老後の不安はない。

と、言う事で、公務員様は在職中に年金保険料を払っていなくても年金は支給され、そして、退職金もあるのだそうです。

例えば・・・↓

呉さんはかつて会社員だったが、1995年に独立してビジネスを始めてから年金保険の支払を止め、現在まで再加入していない。わけを尋ねると、20%という保険料が高すぎて割が合わないのが主な理由だと答えた。呉さんだけでなく、彼の周りの個人経営者たちも年金保険に加入していないと言う。

と、言う事で、日本の自営業者や非正規労働者の多くが国民年金保険料を支払っていないのと良くにている訳です。

例えば・・・↓

甘粛省出身で24歳の劉さんは、現在は、瓶詰工場が立地する村にある、大きな長屋で妻と暮らしている。長屋には他にも4家族が住んでおり、彼らも劉さん家族と同様、出稼ぎとその家族である。彼らは建築、施工、運搬等の仕事に従事している。年金保険について尋ねると、劉さんは「今日は北京にいるけど、明日は上海に行くかもわからない。年金なんて街の人のことさ。歳を取ったら、故郷に帰るだけさ」と笑った。

と、言う事で、人力資源社会保障部が先ごろ発表した年金加入者は全体の6分の1に過ぎない訳で、ここでも日本の非正規労働者と似た様な状況が伺えると思う訳です。

例えば・・・↓

張おばさんは今年58歳。北京郊外で暮らす農民だ。2009年からすでに3年の間、新型農村社会年金保険からの年金を得ている。最初は280元だったが、今は420元になった。夫は今年59歳で、年金が給付されてから5年が経った。毎年960元が給付されてきたが、来年からは毎月500元近い年金が給付されることになった。新型農村社会年金保険について張おばさんは、「ないよりはまし」と言う。しかし彼らのような農地を失った農民にとって、年金だけで生活するのは不可能といえる。彼らの子供たちも自分の生活で精いっぱいのため、両親の生活を支えるのは難しい。そのため老夫婦は今でも生活のためにアルバイトをしている。体の動くうちに老後の蓄えもしておきたい。悠々自適の老後生活はまだ先の話だ。

と、言う事で、年金をもらっても喰って行ける額ではないと言うのは日本の国民年金と似た様な状況であります。
で、60過ぎても年金じゃ喰って行けないんで、体が動く間は働くと言うのも似ていると思う訳です。

と、言う事で・・・どこの国でも底辺層は似た様なもんですなぁ~。
公務員様や大企業の社員様は在職中から程良い給金をもらい蓄えもある上、退職金がたんまり貰えた上に手厚い年金がある・・・僻んで妬むしか手が無いのが悔しいです。

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読書途中感想文

2013-04-10 17:48:29 | 日々の雑感
中島義道 著 「人生に生きる価値は無い」 を読んでいる訳です。
270ページの本の60ページ程度を読んだだけなんですけれども、しかし、途中なんだけれども、あんまし面白くて大爆笑しちまったんでドーしても紹介したくなっちまいました。

いや、とても後ろ向きなくらい本なのかと思ったら、開いた途端に著者の怒りのエネルギーが充満してまして、文章の端はしで世間の馬鹿者対する「怒りの鉄拳」が炸裂している訳です。

まず、哲学者であらせられると言う事だったんで、しかも件の表題でありますから、ドンだけ落ち込ませてもらえるのかと期待に股間を膨らませて読み始まったら・・・まず、馬鹿者しかいない世間様に対する怒りと罵声が炸裂。

そして、続く章では、三島文学を一くさり罵倒と言いますか、著者の斜め的な感覚で批評と言いますか、まっ、一寸変わった解説ですかね?

で、笑ったのは「哲学と心の病」の章でありました。
いや、一面識も無いし、おっさんは多分中島センセーの大嫌いな馬鹿者に属する人種なんで絶対に相手にしたく無い人だとは思いますが・・・是非、一度講演など聞くチャンスがあったら聞いてみたいし、そして、出来ればとても低級で鼻で笑われると分っている話題をぶつけてみたいと思いました。
ナンと申しましょうか・・・おっさんが心の中に隠していて誰にも見せたはずの無い事を、まるで覗いていたのかと思う程に的確明快に書いちまっている訳です。

例えば「ひきこもり」を書いた所では・・・ひきこもりには救いは一つしか無いと言い切り、それは、世間の価値観に従って、誰もが承認する方法で評価される事だ、と言うのであります。
ドーですか? ひきこもりは誰もが認める人になればひきこもっていても咎められないので解放され救われる・・・それはその通りであります・・・異論はありません。

人を見れば、俺以外は全員馬鹿だと罵り、社会を軽蔑し、会社に入ったり、ニコニコ顔でモノを売ったりして普通には生きたく無いんだけれども、しかし、こう言う生き方を一般社会から認知され保証されたいのがひきこもりなのである・・・反社会性を前面に押し出しつつも社会から認められる為に芸術や文学や哲学を目指す・・・そこが唯一の逃げ場所であると、中島センセーは宣っておられる訳です。
その位置を「反社会的特権」と書かれている訳ですが・・・若かりし頃、おっさんも心の何処かでソレを目指していたのは否定できない訳で・・・図星で在ります。

まっ、面倒なんでこれ以上は書きませんけど、ひきこもりを自分に置き換えると、全く持っておっさんの葛藤をズバリと書かれている訳で・・・その通りです、全面的に参りました。

いや、決定的に気に入ったのは・・・中島先生は教養の無い馬鹿は嫌いだと言うところであります・・・しかし、馬鹿で無教養なおっさんなどは教養と言うのは、社会が無いと成り立たないと思う訳で・・・まさか、センセーの宣う教養って・・・知識が教養と言う事では無いですよね?

馬鹿を曝け出すのを分っていて敢えて言いたいんですけれども・・・知らない事を堂々と知らないと言える事こそ「品格」であるとおっさんは思うんで、百科事典の半分も覚えたと言っても、たかがその程度・・・ソレを目糞鼻糞とは言いますまいか? ナァーンて言ったら、原稿用紙一枚も使わずに寓の音も出なくされちまうんでありましょうね。

あっ、中島センセーを好きになった最大の理由は・・・「私は中原中也のように女々しいのである」と言う一文です。

そう・・・過激な言葉の裏は、女々しさ・・・おっさん、これにも激しく共鳴します。

あはははは・・・インチキな読書感想です・・・殆ど的外れですけど、面白い本である事は間違いない・・・いや、好き嫌いが別れる本か?

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有意義な人生を送る秘訣

2013-04-10 13:31:14 | 日々の雑感
今月も熱心な協会の人が訪問して「ものみの塔」と「目ざめよ」を置いて行ってくれた。
おっさんは贋仏教徒なんで異教の教えはアレなんだけれども、しかし、邪教の教えが今時はドーなっているのかを知る事は有意義であると思い欠かさず読んでいる・・・なんちゃって・・・意外と楽しみなんですけど。

で、今月号のテーマは「有意義な人生」と言う事のようでありまして、第一章は「有意義な人生を送る事は本当に可能ですか」と言うものであります。

まっ、邪教の教えなんで突っ込みどころは満タンなんですけれども・・・では、軽く一説を抜き出してイジメてみたいと思います。

例えば、マリーアと言う女性は、かつては非常に活動的な人でしたが、84歳になった今では、出歩く事も出来ません。頭はしっかりしていても、体が付いて行かないようです。そのような状態で、人生を有意義だと感じる事などできるのでしょうか。

と、言う前ぶりなんですけれども・・・おっさんに言わせれば84歳になってで歩けないと不幸かドーか? こんな問いを投げ掛けられてそこから聖書の言葉によって救いを得る、なんて事は笑止千万・茶番である、としか言えない訳です。

そもそも、84まで生きて来た幸運を喜ばずに現状を嘆くなんてのは仏様の教えをひと齧りでもしていれば夢にも思わない訳です。
それどころか、念仏の一つも唱え、目出度く日の出を迎え、朝餉の折りには某かの糧を口にした事などに感謝するはずであります。

で、続けて・・・イエスは貧乏で食うや食わずで、しかも迫害され落ち着く暇も安らぐ時も無かった、と。
これでイエスの人生は有意義であったと言えるのか?と問う訳です。

まっ、話しは見えている訳で「イエスは神の御意志をおこなうという人生の目的を全うした」と、聖書の言葉を持って強引に宣うん訳です。
そして、その後も聖書の言葉と、それを信じる人々の有意義な人生が綴られている訳ですが、前ぶりに出て来たマリーアの人生が有意義であったのかドーか、それについての答えはどこにも無いのであります。

いや、掴みを入れたら顛末を記せよなぁ・・・と、思うおっさんは読みが浅いのでありましょうか?

いや、「ものみの塔」はもっと科学的な事とか興味深い記事が多くて、「目ざめよ」ほどに宗教色が強烈じゃないのが良かったんだけれども・・・この中身だと飽きちまうなぁ。

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