歌集ときたら、あなた様は何を思いますか?
私なら、ナッツ・・・カシューナッツ、なんちゃって。
いや、触発されてと言いますか、少し興味を持ったといいますか・・・正直に言うと、文字が好きですとか活字ならなんでも読みますと宣っていた自分なのに、日本独特の表現には1グラムも馴染んでいなかった事に気づかされ、愕然とした訳であります。
子供の頃大嫌いだったピーマンやホウレンソウが好きになったのに、大人になっても俳句や短歌はそのまま、遠ざけていた訳であります。
で、思い立ったが吉日・・・古い本を引っ張り出し、とりあえず俳句は一茶で歌は晶子・・・ベタであるなと笑うなかれ、今の自分は難解なのはダメであります。
数行読んだら瞼が重くなるようなものは避け無いと先に進みませぬ。
と、いう事なんですが、一茶は良い・・・さすがに一茶であります。
で、専門的な事はわかりませんけど、とりあえず感じたのは「や」でいくか「の」で攻めるのか、が結構な肝と云いますか、味噌なのかも知れないと思った訳であります。
5.7.5って、たった17文字の中に風でも陽の光でも星でも、宇宙さえも含んでしまうんですからそれは恐ろしい世界であります。
で、一茶の句を読んでいて感じたのは・・・ひょっとするとこの人、意外と難しい事は何もなにくて、私ゃそー感じました、と。
それを形にしているだけなんじゃ無いのか、なんて事を思った訳であります。
たぶん、俳句はひねらないのだ・・・なんちゃって。
思った事、感じた事をとりあえず文字数に合わせれば良い・・・なんだ、それだけかよ、という気になった次第であります。
が、しかし、んじゃぁ~と、試してみたら余る訳です。
終生余るという感覚になじみの無い自分でした。
足り無いが故に足掻く事の多い人生で初めて、余る事に苦悶した次第であります。
あれです、使いきれ無いお金に埋もれている人の余った感はこんなもんかとも思いましたが、多分的外れでしょうね。
いや、この1文字・・・入れ無いと意味が、でも入れると流れが、という事で、俳句は難しいので後回しにした次第であります。
で、それならと、与謝野晶子と若山牧水の本を眺めつつ、文字数が多いから収まるだろうとやってみたら・・・長い分だけ余計に余るという矛盾にぶち当たっちまった訳です。
いや、牧水はその昔好きだった時期がありまして結構読んだつもりでしたが、どれも新鮮といいますか、記憶に無いのであります。
で、久々に読んだ若山牧水・・・その若さで君は枯れていたんだね、なんて事を思いつつ、参考にしようとか盗んで学ぼうなんて気持ちはすっ飛んで読み入ってしまった次第であります。
やっぱし、文学者は苦悩してナンボ・・・貧乏したり女に耽ったり酒に飲まれたり、そして旅をし無いとダメなんであるな、なんて事を思った訳であります。
そっかぁ・・・文学でもラーメンでもそうなんだが、作る人と食べる人がいて良い訳で、自分は文学が好きなんだけれども、作れる側の人ではなく、ラーメン食べる側の人なんだなと、ここ数日の苦闘でしみじみ思ったのであります。
私なら、ナッツ・・・カシューナッツ、なんちゃって。
いや、触発されてと言いますか、少し興味を持ったといいますか・・・正直に言うと、文字が好きですとか活字ならなんでも読みますと宣っていた自分なのに、日本独特の表現には1グラムも馴染んでいなかった事に気づかされ、愕然とした訳であります。
子供の頃大嫌いだったピーマンやホウレンソウが好きになったのに、大人になっても俳句や短歌はそのまま、遠ざけていた訳であります。
で、思い立ったが吉日・・・古い本を引っ張り出し、とりあえず俳句は一茶で歌は晶子・・・ベタであるなと笑うなかれ、今の自分は難解なのはダメであります。
数行読んだら瞼が重くなるようなものは避け無いと先に進みませぬ。
と、いう事なんですが、一茶は良い・・・さすがに一茶であります。
で、専門的な事はわかりませんけど、とりあえず感じたのは「や」でいくか「の」で攻めるのか、が結構な肝と云いますか、味噌なのかも知れないと思った訳であります。
5.7.5って、たった17文字の中に風でも陽の光でも星でも、宇宙さえも含んでしまうんですからそれは恐ろしい世界であります。
で、一茶の句を読んでいて感じたのは・・・ひょっとするとこの人、意外と難しい事は何もなにくて、私ゃそー感じました、と。
それを形にしているだけなんじゃ無いのか、なんて事を思った訳であります。
たぶん、俳句はひねらないのだ・・・なんちゃって。
思った事、感じた事をとりあえず文字数に合わせれば良い・・・なんだ、それだけかよ、という気になった次第であります。
が、しかし、んじゃぁ~と、試してみたら余る訳です。
終生余るという感覚になじみの無い自分でした。
足り無いが故に足掻く事の多い人生で初めて、余る事に苦悶した次第であります。
あれです、使いきれ無いお金に埋もれている人の余った感はこんなもんかとも思いましたが、多分的外れでしょうね。
いや、この1文字・・・入れ無いと意味が、でも入れると流れが、という事で、俳句は難しいので後回しにした次第であります。
で、それならと、与謝野晶子と若山牧水の本を眺めつつ、文字数が多いから収まるだろうとやってみたら・・・長い分だけ余計に余るという矛盾にぶち当たっちまった訳です。
いや、牧水はその昔好きだった時期がありまして結構読んだつもりでしたが、どれも新鮮といいますか、記憶に無いのであります。
で、久々に読んだ若山牧水・・・その若さで君は枯れていたんだね、なんて事を思いつつ、参考にしようとか盗んで学ぼうなんて気持ちはすっ飛んで読み入ってしまった次第であります。
やっぱし、文学者は苦悩してナンボ・・・貧乏したり女に耽ったり酒に飲まれたり、そして旅をし無いとダメなんであるな、なんて事を思った訳であります。
そっかぁ・・・文学でもラーメンでもそうなんだが、作る人と食べる人がいて良い訳で、自分は文学が好きなんだけれども、作れる側の人ではなく、ラーメン食べる側の人なんだなと、ここ数日の苦闘でしみじみ思ったのであります。