津波で逝った家族と「ずっと一緒に」最終回に載った今田さんのことばだ。
南相馬市原町区萱浜の家に逃げ込む前に今田さんは父を見失い、妻と母は目の前で流され、3人の子供と同時に津波にのまれ、浮き上がったときは今田芳槙さん一人だった。引き波で流れ着いたところもわからず、薄暗くなって懐中電灯を持って人たちが近づいて来た。
震災直後の記憶はうすれ、沿岸の捜索を続けたが、見つけた遺体は何人か数えてもいない。祥子さんの机とアルバムに名前が、長男が大学生のままだったら、二男のアルバイトが休みでなかったらとまた両親が畑から帰ってこなかったらとこの2年間思いを巡らせた。写真の石碑に今田久美子、昌吾、隆寛、祥子と下段に春男、勝子の名が刻まれていた。
でも素晴らしい家族に恵まれた思い出にいつまでも泣いていてもいいよな!読み終わって私もしばし泣き続けた。終わった木原貴之記者の記事との出会いに感謝かんしゃです。
南相馬市原町区萱浜の家に逃げ込む前に今田さんは父を見失い、妻と母は目の前で流され、3人の子供と同時に津波にのまれ、浮き上がったときは今田芳槙さん一人だった。引き波で流れ着いたところもわからず、薄暗くなって懐中電灯を持って人たちが近づいて来た。
震災直後の記憶はうすれ、沿岸の捜索を続けたが、見つけた遺体は何人か数えてもいない。祥子さんの机とアルバムに名前が、長男が大学生のままだったら、二男のアルバイトが休みでなかったらとまた両親が畑から帰ってこなかったらとこの2年間思いを巡らせた。写真の石碑に今田久美子、昌吾、隆寛、祥子と下段に春男、勝子の名が刻まれていた。
でも素晴らしい家族に恵まれた思い出にいつまでも泣いていてもいいよな!読み終わって私もしばし泣き続けた。終わった木原貴之記者の記事との出会いに感謝かんしゃです。