今朝4時台明日へのことば「震災後海と共に生きる」森は海の恋人NPO副理事長牡蠣漁師畠山信さんのトーク1/8放送アンコールを途中から聞いた。写真はいわき市四倉地区の防潮堤建設中(2015.2/24撮影)。
現在北海道から太平洋沿岸には防潮堤の建設が進められているなかで、建設しない気仙沼の舞根地区に感動した。
150世帯の舞根地区は上に長老がおり、一声で集まる住民で100%の反対で、津波防止の9mの防潮堤が建設されなかった。景観が失われ、海が見えない、戻ると家が見えないでは不安でならないという。
今36歳、33才3.11の時の様子を語った。静かな入り江の海で大きな振れ、船が大事だからと兄と相談沖へ船を出すことは危険だから控えたらと、しかし、やってみたらの兄の言葉で、船を沖へ15分ぐらいで第1波が来て舵が壊れエンジンもダメで航行不能に、第2波を見て飛び込み運よく砂地に辿り付いた。大島と思ったが別の島だったと。家族は出航して大波が来たから死んだものと思っていた。
戻って、親から労われ、兄から冗談に船どうしたと言われたが、一度死んだので何でもできると、壊滅の70基の筏、辞める牡蠣養殖業者の中で、休みなしで頑張り、湾内と外に100基復興させたと。2回目の明日へと。
現在北海道から太平洋沿岸には防潮堤の建設が進められているなかで、建設しない気仙沼の舞根地区に感動した。
150世帯の舞根地区は上に長老がおり、一声で集まる住民で100%の反対で、津波防止の9mの防潮堤が建設されなかった。景観が失われ、海が見えない、戻ると家が見えないでは不安でならないという。
今36歳、33才3.11の時の様子を語った。静かな入り江の海で大きな振れ、船が大事だからと兄と相談沖へ船を出すことは危険だから控えたらと、しかし、やってみたらの兄の言葉で、船を沖へ15分ぐらいで第1波が来て舵が壊れエンジンもダメで航行不能に、第2波を見て飛び込み運よく砂地に辿り付いた。大島と思ったが別の島だったと。家族は出航して大波が来たから死んだものと思っていた。
戻って、親から労われ、兄から冗談に船どうしたと言われたが、一度死んだので何でもできると、壊滅の70基の筏、辞める牡蠣養殖業者の中で、休みなしで頑張り、湾内と外に100基復興させたと。2回目の明日へと。