ブログ仙岩

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閖上の記憶を伝えたい・・・遺族会丹野裕子

2015-09-01 05:26:41 | エッセイ
今日9月1日は1923(大正12年)関東大震災の起きた日、防災の日でもあり、今朝、明日へのことば「閖上の記憶」を伝える宮城県名取市閖上中遺族会会長丹野裕子さんの語り部の話を聞いた。

4年半前の3.11は、閖上中の40名の卒業式が終わって、午後から公民館で80名が謝恩会をしており、もうすぐ3時だからと思った時、立っておれない大きな揺れの地震、座布団など片づけてから外へ出た。が、家が心配で戻り、仙台生まれの裕子さんは海の地区にいることの意識が薄く、津波が来ることは全然頭になかったという。

また、公民館に戻り、携帯やラジオで津波が来ることは感じていたが、どの程度のものか想像もできずに居ると、目の前に大きな黒い固まりが見え、火事と思ったが、津波だと大きな声が聞こえ、2階に3年の娘と上がったが、3階の中学校が安全という声で1年の息子は行ったのか見失っていた。

津波が引けて、家に戻ると何もなくなっていた。息子を探したが見つからない。

ボーリング場に、遺体が安置されていること知り、行って見ると、半月後息子と、20日後に母と、1か月後父の遺体に会うことができた。ブルーシートに包まれている方がましな遺体という。

今回の津波で中学生14名が亡くなり、あまりに大きな災害に言葉もない日々を過ごしてきたのはその子どもたちの両親、700人以上犠牲者がおり、この地で大きな津波の犠牲者がでたことを記録にと。

息子は、公民館から必死に走って閖上中へ向かった。その途中で津波にさらわれ亡くなった。だから息子が目指したかった閖上中になんとしても14名の慰霊碑を建てあげたいと思い、子どもの目線に会う石碑を建立した。

団体で来る方たちや、外国の方たちに、今は震災後でなく、この活動がまた起きる震災前なのだと言い聞かせているという素晴らしいお話を聞いた。