ブログ仙岩

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森鴎外阿部一族を読んで

2017-06-04 09:38:59 | エッセイ
先月、森鴎外の阿部一族を読んだが、葉隠から発展して、自死の投企、忠誠、孝行、名誉や家名などの武士道へと行きつく。新渡戸の武士道、菊と刀、孟子など読み直してみたが。

大正2年(1913)1月に発表したもので、亡君の許しを得ずに殉死した武士の悲劇を中心に、形骸化した武士道の掟と人間性の相克を描いた。

ラジオでは、著者に聞くとして、言いたいことが著者から聞けるが、言いたいことの本当の意味が鴎外から聞けない。殉死者の実態は、亡君の細川忠利ではなく、受け継いだ光尚が決めたことである。

あらすじは、忠利は18名の殉死者を認めたが、阿部弥一右衛門は認めなかった。それで、弥一右衛門は家族の前で切腹、18人には恩賞があったが、阿部家には、嫡子に財産のほんの少し、他の兄弟残りすべて頂いた。忠利と19人の一周忌に、嫡子又兵衛はご位牌の前で髻(もとどり)を切って供えた。

施主の光尚の怒りで、阿部一族は滅ぼされ、働いたものには石高の恩賞が与えられ、柄本又七郎は益城小池村に住むことになったのが印象に残る。

世間体、国土は神聖、自然崇拝、運命に任せる家族、一族の社会で、悪事は誰が見ていなくてもお天道様が見ている。おんな直虎でも戦わずしての平和が理想で、言わずとも愛に包まれた社会を望むもの。