ブログ仙岩

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ブラタモリ名古屋発展の原動力探索

2017-06-18 08:08:09 | 旅行
尾張名古屋は家康でもつの2回目、名古屋城の南正方形の町割りから、更に南下三種の神器(鏡・剣・曲玉)熱田神宮から探索したブラタモリ。

今回は、まず、年間670万人が参拝にやってくるという熱田神宮へ。家康がなぜ名古屋から南に伸びる台地の上に町をつくったのか?それがわかるお宝に記された信長・秀吉・家康の権力者が大切にした熱田神宮の宝物殿で3人の書状を見てタモリさんが納得。

表に出ると、舌状台地の端に熱田神宮が位置しており、東海道江戸方面の熱田の道標を確認して、その先端に、桑名までの海の七里渡し場を確認した。もともと海だったところを埋め立てた宿場町には10軒以上の旅籠があり、間口の狭い家が残っていた。また、火除けの秋葉神社が町の奥にあった。写真は読売新聞社の広重の東海道五十三次。

名古屋の繁栄を支えた場所熱田の港からお城まで堀川の運河で物資の輸送しており、港の周りには木曽から切り出した材木置き場があった。狭い道四間道の町並みには、屋根神様や堀川沿いの石垣、船着き場を確かめ、紀州・水戸と尾張の御三家の繁栄に寄与した家康の構想が見えてきた旅であった。