ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

いわき津波被災地ツアー始まる

2012-10-20 08:21:12 | 日記
いわき市の委託で、今月から毎月第1,2,4の土曜日の3回来年3月まで無料で、約5時間の被災地ツアーバスの日帰り旅を実施する。募集人数は30人でいわき駅前JTBいわき支店2Fに開所した。
施設入場料やお昼代は自己負担となり、基本コースは9:45いわき駅出発、湯本石炭化石館、四倉・久之浜、豊間・薄磯の津波被災地を回り、美空ひばりの歌碑やら・ら・ミューで自由昼食、アクアマリン見学する。
全国からの復興支援の旅行と合わせてこの被災地視察の申し込みを受け付ける。

0 申し込みは いわき支援観光案内所 電話 0246(80)2051 へ。

津波火災に見舞われた久之浜浜風商店街、昨年の紅白で嵐が演奏したピアノの豊間中、ひばり歌碑を見下ろす塩屋崎の灯台は映画「喜びも悲しみもも幾年月」舞台の灯台など視察する。がけ崩れの危険で灯台へは登れない。
 私は今津波被災地四倉で生活している。



福島県川柳賞・青少年の部

2012-10-19 10:28:04 | 日記
県の川柳賞・青少年奨励賞に選ばれたいわきの平養護学校高等部 永井謙太郎君の作品は震災と原発で九州に転勤した父親にたいして、読んだもので表彰式に駆けつけた父は車いすの息子に寄り添った。

 0 お父さん いわきと大分 どっち好き  0 お父さん 帰ってきたら ゲームだよ

また、須賀川養護の矢野伸一君は修学旅行の思い出から 0 先生が 生徒たちより はしゃいでる

 0 似ているな 母の昔が 今自分 (月館小 佐藤絵里佳さん)

 0 だれのせい なすりあいする 大人たち (須賀川二中 橋本美玖さん)

審査委員の西来 みわさんは 素直なこころの表れで、その表現に胸打たれたと。
全校生で川柳に取り組む努力や、家庭で一緒に一句ひねる楽しみから復興の力になると思う。


プロとアマの違い

2012-10-18 13:49:34 | 日記
昨日の日記で、強者(ハイテクのアメリカ)と弱者(ゲリラ戦術の武装勢力)についてなぜ、強いアメリカが勝てないのかを記した。
世の常識では、プロの世界では強い者が勝ち弱い者が負け、アマでは運や環境などが左右して勝敗が決まるという。

昨日のセの巨人対中日戦では2位中日が勝利、パの日ハム対ソフト戦では1位の日ハムが勝利して、セは常識を覆し、パは順当であった。なぜこんなことが起こるのか?
アマの世界は監督が殆んど勝敗のカギを握り、プロの監督は3割、あとの7割は選手にあるという。監督は4割という人もいるが・・・。しかし、昨日のアメリカのように、民衆の心がつかめず勝てないことから、プロの世界でも、選手の調子を見抜けない監督では負けるのが当然である。2番打者に巨人はバント失敗の藤村とベテラン荒木を置いた中日の違いが出た。

「勝てないアメリカ」大治朋子著を読んで

2012-10-17 13:47:43 | 日記
対テロ戦争の副題がつく岩波新書であろ。

0 2006年毎日ワシントン支局に赴任した彼女はイラクやアフガン帰還兵にTBI(Traumatic brain injury)(外傷性脳損傷)に悩む兵士がいることに気づいた。原因は10ドルのIED(即席爆破装置)によるものであった。また、民間人や警察の死体は報道されても米兵士の報道がないことにも疑問、アフガンの現地従軍取材となったようだ。

0 枯葉剤で奇形児が生まれたベトナム戦争にも勝てず、91年の劣化ウラン弾使用の湾岸戦争ではやはり子供に白血病や奇形がでた。そして、01.9.11同時多発から秋にはアフガン戦争へ、3年後フセインを倒してからはイラク戦争では対テロ戦争へと、無人機掃討作戦で死なない戦争へ、しかし、誤爆で民衆を死亡、部族の反発から反米感情が高まり小さな敵の武装勢力とハイテク集団のアメリカの二極分化、ウサマ・ビン・ラビンを殺害しても勢力がますます拡大している現実・・・アフガンに民主国家が根付かない部族集団の生活にはアフガン政府は無政府国に等しい。だから、収入の多いアルカイダ系武装集団に味方する民衆が多くなる。麻薬、テロからの悪の資金に正義は通用しない。

0 ハイテク無人機による作戦はある意味でのゲーム的感覚の戦争からはアフガンの民衆の心はつかめない。だから勝てない戦争へと長引く。従って戦死、TBIやPTSDなどからの犠牲は何のためなのか問われている。

帰国して10年目の蓮池薫さんが初めて明かす

2012-10-16 09:03:18 | 日記
日本海で遭難し救助されたというウソの筋書きで日本や家族に説明すように指示されていたと。
また、帰国した私たちの発言が北に敵対するイメージを与えるのはよくないと考えこれまで公表を控えてきたと。子供たちを残ししたときの心境は北の外交ダメージはそれほど大きくはないから、いずれ日本で再会できると信じたからと。
前回の日記では地元新聞のトップには4項目だけでゼロと、薫さんの記事は20頁に出ていたことを付け加えます。