正月二日。
七年前の今日、スペインから電話が入った。ヒロさんからの電話だった。
ヒロさんは、長い旅の途中。スペインはマラガ辺りを彷徨って居たのではないだろうか。前年9月、NYで大惨事があった頃に旅たち、ベトナム・インドのアジア、ベルギー・イタリア・スペインとヨーロッパを漂っていた。
旅の途上、インターネットカフェから折々にメールが届いた。
その時、私は、前の会社でサラリーマンを続けていた。
前年の秋、或る出来事をきっかけに会社を辞めることにした。だが、どの時点で辞めてよいか決断しかねていた。
会社の再編、それに伴う組織・人事日程、上司の入院などがあり、自分の都合だけを優先させる訳には行かず様子見が続いた。
12月に入り、会社の総ての方針が固まり、上司も退院して職場に復帰した。これで、辞めるベストの時期として3月末で退職の腹を固めた。
そして、イタリアからのヒロさんのメールに返信した。
「会社を辞めることにした。ついては、ヒロさんとヒロさんの会社が必要だ。戻ってきて欲しい」簡単だったが、こんな内容だった。
1月2日の電話、短い会話だったが元気そうなヒロさんの声を聞き、僕の意思を伝えた。
驚いたかもしれない。
ヒロさんは、永い旅にでるつもりでいた。分かっていたが、還ってくれと頼んだ。
それから、一月ほど経ってヒロさんは帰ってきた。
そして、その年の9月、僕はナチュラルに加わった。
ヒロさんがいるから、ヒロさんが創った会社だから僕はナチュラルと云う会社、チームのメンバーとなった。
平成14年1月2日、7年前のスペインからの電話により、今の僕がスタートした。
僕は、その時の精神(きもち)を忘れてはならない。肝に銘じ、スタッフと共に生きなくてならない。私の、原点を。
七年前の今日、スペインから電話が入った。ヒロさんからの電話だった。
ヒロさんは、長い旅の途中。スペインはマラガ辺りを彷徨って居たのではないだろうか。前年9月、NYで大惨事があった頃に旅たち、ベトナム・インドのアジア、ベルギー・イタリア・スペインとヨーロッパを漂っていた。
旅の途上、インターネットカフェから折々にメールが届いた。
その時、私は、前の会社でサラリーマンを続けていた。
前年の秋、或る出来事をきっかけに会社を辞めることにした。だが、どの時点で辞めてよいか決断しかねていた。
会社の再編、それに伴う組織・人事日程、上司の入院などがあり、自分の都合だけを優先させる訳には行かず様子見が続いた。
12月に入り、会社の総ての方針が固まり、上司も退院して職場に復帰した。これで、辞めるベストの時期として3月末で退職の腹を固めた。
そして、イタリアからのヒロさんのメールに返信した。
「会社を辞めることにした。ついては、ヒロさんとヒロさんの会社が必要だ。戻ってきて欲しい」簡単だったが、こんな内容だった。
1月2日の電話、短い会話だったが元気そうなヒロさんの声を聞き、僕の意思を伝えた。
驚いたかもしれない。
ヒロさんは、永い旅にでるつもりでいた。分かっていたが、還ってくれと頼んだ。
それから、一月ほど経ってヒロさんは帰ってきた。
そして、その年の9月、僕はナチュラルに加わった。
ヒロさんがいるから、ヒロさんが創った会社だから僕はナチュラルと云う会社、チームのメンバーとなった。
平成14年1月2日、7年前のスペインからの電話により、今の僕がスタートした。
僕は、その時の精神(きもち)を忘れてはならない。肝に銘じ、スタッフと共に生きなくてならない。私の、原点を。