オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

Yさんの想いで

2009-01-07 | Weblog
靴メーカに勤めるYさんは、僕より7~8歳上であった。

工場勤務も経験し、営業で永く培ってきた経験と人脈。各メーカのお家事情、営業担当者の癖、個性、社内での状況。業界の裏・表、全てを分かっている人だった。

素人の僕には、いい教師役であった。それだけでなく、我々が望んでいる製品、スペックの実現に勤めてくれた。

在るとき、会社に来てもらえないかと打診があった。
会社に伺うと、会議室に通され窓のブラインドを下ろした。

海外メーカとの提携で、新規開発中の靴だと云う。
「ブラインドまで下ろして大袈裟じゃないの」と云うと、社内も含め厳秘で開発中だという。「特に見てほしかった、意見を聞かせてほしい」と云う。
半年程経って、我々が望むスペックの製品が出来た。
それまで、業界とプロジェクトを組み、各地の現場でヒヤリングと実態調査を重ねてきた。
現場の要望は、軽量化と着脱性だった。

安全性・着脱製・軽量化・耐久性等の満足は勿論だが、問題はコスト、納入価格である。

価格の折り合いをつけるのに暫くを要した。

私の口説き文句は「これが、内に納入されれば、実績ができる。他社への納入の切り口になる。数が出るようになればコストは低減できるはずだ」と。

Yさんは、社内を説得し折り合いが付いた。

護送船団方式の業界を納得させて、画期的な製品の導入ができた、と思っている。
この新製品の、生産工程チェックや検査の為、会津工場にはその後、2~3度お邪魔した。

宿は、何時も東山温泉に取った。


そんなことが有りながら、僕は担当セクションを離れ転勤した。
Yさんも担当が変わり、そして関連会社に出向した。折に触れ、連絡を取り会った。
年齢を重ね、出向の先環境もあるのかYさんは少しづつ元気を無くしていたようだった。

在るとき、病気で入院したとの風の便りが届き。T物産のO氏と入院中の小平の病院に見舞った。脳梗塞だったが、もうすっかり元気になっていた。
病院のベットの上で、腕立て伏せを20回もやってみせ、喧嘩が強かった頃を彷彿させた。


その後、Yさんは会社を辞めて暫く音信が途絶えた。その間に奥さんを亡くされていた。
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鳥と定番

2009-01-07 | Weblog
1/7(水)今日は、鶏肉のオイル焼き・マイタケ・ピーマン添え、昨夜の煮物、定番卵焼き
ホウレンソウ御浸し。それにK君のオニギリ2個(小ぶり)。

今朝も5時前に目覚めるが、起床は5:45分。直ぐに弁当に用意。
今朝は、全農Bsへ9:30分新年の挨拶う訪問。その前に一旦出社したくなり、大急ぎで弁当創りに入る。

この頃は、手際がよくなった。風呂に入り、8:45分出社する。
今日は、ゆっくりと弁当の時間がとれるかな・・・。
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