オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

懐かしき人々

2009-01-06 | Weblog
過ぎ去りし時の中で、忘れられないことがある。忘れたいこともある。
忘れられない人、時のことを記しておきたい。

35歳頃から10年ほど、夜毎酒場を徘徊していた。家族は在っても家庭は無いが売り文句だった。
仕事は、充実していた。やるべきこと、やらなければならないことが沢山あった。
吸収し、発散しなければ自分が保てなかった。

仕事は、2~3年で転勤を繰り返していた。

ある時期、古くからある業界を相手の仕事に就いていた。社員の被服を調達する仕事だった。
取引先は、総てこの業界の生え抜き。表もあれば裏もある。本音の処は自分達業界の秩序、パワーバランスの中で処理されている。

調達側の私達は、2~3年で変わっていくお客さん、であったろう。

私が、その職に着任して最初に考えたこと。「自分は何のためにこのポジションに就いたのか、何をすべきであるか」であった。
応えは、明白「最適な品を、最適なコストで調達すること。その品を着用する社員の満足度を如何に高めるか、社員がお客」である。

私の考えを徹底して行くと、業界との摩擦が生じてくる。彼等からすると、自分達が営々と築いてきた商権でありルールなのだ。
高々2~3年しか在職しない担当者に何が分かるか、これまでの遣り方を変えたくない。弄られたくない、と云う思いがある。
それは、既存の利権を守りたい云うこと。(私が、反対の立場であれば、当然そうしたい)

彼等にすれば、これまでの利益を守りたい。
私は、丼に3杯も4杯も喰うのは止めてくれ、適正値があるだろうと責める。
これまでの在庫方式を、直送方式に替え、在庫コストを削減する。国際調達方式を導入することで購入単価を下げる。せめぎ合いだった。

そんな或る日、お世話になった元上司から電話が入った。
「たまには飯でも食べよう」と。趣旨は即座に理解したが、断るような野暮はできない。
呼ばれた席には、業界を代表する会社の課長が同席していた。

「〇〇君(私)、気持ちは分かるが、田圃の畦道から石を投げると泥が跳ねて大変だよ」と諭された。
「いいえ、田圃の畦道から石を投げる気はありません。田圃の中に入り、泥だらけになるつもりです」と、生意気盛りの僕は応えていた。

その方には、その後もご厚誼を頂いたが、顔を潰すこととなった。
今なら、もう少し違う対応ができるのかもしれない。

この時、私が導入した調達方法は、その後、他官公庁に波及し定着していったと聞く。
業界にすれば、恨みを残しているかもしれない。

思い切ったことがやれたのは、時の上司がすべて任せてくれたこと。
実務を推進した、よき部下に恵まれたことにある。(僕は、5時以降は酒ばかり飲んでいたから)

そして忘れてならないことは、業界の人間でありながら、先駆的な取組に共感し、惜しみない協力とサポートをしてくれた人が居たからである。

何事も、周りの理解と協力を得ることが早道だと思う。


Yさんの想いで

そんな仕事をしていた頃にYさんと会った。Yさんは、靴メーカの営業担当で、我々の会社の担当に途中からなった。たまたまその会社は剣道が盛んで、私はその会社のことを知っていた。
Yさんは、かって剣道部の部長をしていたとのこともあり親しくなった。

業界のことを含めいろいろと教えてもらった。

初めて、靴メーカの工場を見させてもらったのもYさんの会社の工場だった。この時は、他の靴屋さん達も同行し、呉越同舟だった。

会津坂下のその工場は、廃校となった小学校跡を利用していた。
4月下旬、私と担当のK君が訪れた時は、鶴ヶ丘城の桜の蕾は固く、工場の校庭には雪の小山が残っていた。

整然とした工場で働く人たちは、折り目正しく、好感を覚えた。

夜、東山温泉で呉越同舟の宴会となった。
芸者さんが踊る、「白虎隊」「女白虎隊」の唱と踊りに、何故か涙した。
大年増のカルタ姐さんの、軽妙な唄と踊りに大いに湧いた。

夜中まで、飲んだ。愉しんだ。
工場での、真摯な作業風景。整然とした中を見て安心したこともある。呉越同舟で皆さんが喜んでくれたことも。会津の鄙びた風土と、戊辰戦争の無念の欠片を吸った所為も・・。

その年の秋、会津の芸者の姐さんから柿が一箱届いた。気の早い部長が齧った。
「渋い!」よくよく箱の上書きを見れば、食べごろが書いてある。名産の晒し柿だった。

後から、Yさんに聞いた。「あれは、あんたが送らしたろう」彼は、笑っていた。
体型に似合わず、そんな細やかな芸もできる人だった。

ある夜、K君とYさんの三人で赤坂で飲んだ。バブル前の景気が上向いた時代。
遅くなったので、僕は先に失礼した。YさんとK君はまだ残っていた。

翌日、出勤するとK君が顔を腫らしている。会議室に呼んで事情を聞いた。
どうしたんだ?

「実は、あの後ケーキを買って、僕の家に行くことになったんです。タクシーを止めたところ、他の人と取り合いになり喧嘩になりました」と云う。

「Yさんがあっと云うまに相手を殴り倒したんですが、僕はケーキも持って見ていたら、相手の連れに殴られてしまいました。お土産のケーキがグチャグチャになりました」
「Yさん喧嘩強いわ~」

馬鹿野郎、何故お前もやらなかったんだ。

暫くして、Yさんを呼んだ。
「Yさん、あんたとこは精々、数百億円の会社。内は何兆円規模だぜ。事件になっちゃ困るんだよ。気を付けてくれよ」と、嫌味な言い方を敢えてした。

一緒に飲むたび、それから暫くは「内は高々100億の会社だから」と云うのが彼の十八番となった。

良き時代と云える。
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食材不足

2009-01-06 | Weblog
1/6(火) 今年二度目の弁当創り。処が、正月に使い果たして食材がない。ないのだ。

冷蔵庫の中を漁り、冷凍しておいたトンカツ、ハンバーグを探す。それに、取って置きのホタテ。この三点セットにする。
簡単、楽々弁当の出来上がり。

今日から、新年の挨拶回り&営業を始める。
午前中は、池袋。午後は目黒・新橋の予定。

う~ン、弁当を喰う時間が無い!3時頃に食べれれば上々か。
コメント (1)
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