オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

雨でオムスビに・・・

2010-09-08 | Weblog
9/8(水)今朝も近所の碑文谷公園周回の散歩となった。が、明け方にパラついていた雨が公園を二週もすると本降りの様相となった。これ幸にジョキングを中止して帰宅。

そう云えばジョキング中にすれ違ったのは、近所に住まう脚本家のMITANI氏と愛犬の散歩姿だった・・・余り関係のない話ではあるが。ついでに云うと、歴史上の人物をテーマに物語を書く童門先生(私はこの先生の本のファンと云える)も近隣に住んでいるはずだが、最近姿を見ていない。

雨のおかげで、時間は十分ある。暇なオヤジは、弁当用の「オムスビ」を作ることとした。具は、紫蘇チリメンと昆布佃煮・自家製ジャコ佃煮である。ご飯を三合ほど炊いた。

家人用が二個、K君用に三個、私は一つにした。一昨日の二個のオムスビが重かった所為。お菜はなし。焼き海苔でくるみ、ラップで巻いて完成である。



昨日の午後、OGの民謡踊りサークル「すみれ会」の例会にお邪魔して話を伺った。平均年齢は75歳、メンバー70~80歳とか。新人の加入がなくて高齢化の一方の様子。それでも、週一度メンバーが集まって話をし、稽古をするのが元気の源と仰る。

その後、別のOB会支部事務所を訪問。旧知のI事務局長に、OBに協力頂く調査案件について相談する。OBと一口にいっても、其々状況は異なる。何か善い仕組みが出来ないかと話を訊くが、善い方法が浮ばない・・・。

夕刻となり、宇田川町「奈加野」へと案内する。30年近くも前になるが、Iさんとの付き合いはヒョンナことからだった。

東京駅の八重洲側にあるサントリー・バー「グリン」に、先輩に連れられて以来、通うようになった。其処のママと、Iさんが飲みに行く店のママとが姉妹と云うのが縁。要は飲んだ暮れて、こっちの店からあっちの店へと渡り歩いたのが始まりだった。偶々同じ会社の大先輩、偶然か必然か、花の係長で着任した先が同じ職場。Iさんはそこの大管理職で居られ世話になった。

喜美さんと云う気風のいいママは10年程前に死んだ。竹林の五賢人と称して遊んだメンバーの一人、読売新聞のW氏はその前に亡くなった。スマートで大人のNさんとは音信が途絶えた。そんなことを、あれこれと思いだしては喋り、時間が流れて行った。

『グリン』確かにこの店で過した時間も、思い出深きひとコマ。給料は安かったのに、よくまあ~飲み歩いたものだ。二階にあるこの店の床を、酔っ払ってドンドン踏むと、下の寿司屋からクレームがきたものだった。東南アジアに遊びに行く前夜、稟議書の局長説明の予定が延びて旅行社にキャンセルの電話を入れたのもこの店からだった。地方から会議などで本社に来るメンバーを二次会で案内するのもここ。札幌から出張できた客人が歌う、北島三郎の「風雪流れ旅」を初めて聞いたのもここ・・・その時、喜美ママが云った「アリちゃん、負けたね」が懐かしい。

何時の間にやら思い出話になってしまった。やだね~。
コメント
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