オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

犬も歩けば・・・

2011-01-13 | Weblog

1/13(木) 今年から「あり散歩」と称して会社の行き返りや、クライアント訪問の行き返りに歩くことを日課としている。何時まで続くのか分からんが取敢えずやれるところまで続けよう・・・。

昨日、渋谷の某社を訪問した。この会社のW副社長と話をしていると、彼は毎朝新宿から渋谷まで一時間弱の道のりを歩いているとのこと。見習わなくていかんな~と感じいった。

この後、目黒にある会社を訪ねる予定。時間に余裕があったので歩くことにした。暫く行くうちに近くに事務所を構えているTさんのことを思い出して電話を入れた。空いていると云うので立ち寄ることとした。

 Tさん或はT大師

Tさんにお会いするのも久し振りであった。ご無沙汰を詫びて、最近の様子などを聞く。

「飯が喰えへんのや、食べると腹が痛とうなるんや」それで、粥など食して暫く事務所の簡易ベットで休むそうな。よくよく訊くと、毎朝5時半に事務所に出るとか、そして朝食を摂ると云う。

Tさんとは17年程前か、仕事を通じて知り合うこととなった。当時、Tさんは或る会社に所属して映像プロデューサの仕事をしていた。私の立場は発注者である。

CMの案件で試写が行われた。その後、休憩室で二人になった時、Tさんから一言があった。
 「何でありがとうと言わへんのや」一生懸命やったんや、と云う言葉もあったかもしれない。

そんな言葉を聞くのは始めてであった。が、そうか、この人はそう云う人なんだと理解した。それ以来、Tさんとマジに向き合って話をするようになった。面白い人であるし、熱い人・凄い人でも或る。筋をとうす、真っ向勝負の人、そして何より勉強家である。

その後、Tさんは自分の事務所を持った。

これだけ物事に正面から向き合って生きている人を知らない。多分子供の頃からそうだったに違いないが、それに輪をかける生き方を歩んだ。元々学者であるが、或る事件を契機に十年に及ぶ潜行生活を余儀なくされている。その間、色々な人の情を受けている。社会では底辺と云われる世界で生きている人たちのこと、その中にある心情が染み込んでいるであろう。

何年か前にTさんの著書「泪橋」(タイトルはちょっと違うかもしれない)を頂いたことがる。泪橋は山谷に掛る橋の名、この本を読みTさんの潜行生活を垣間見るようであった。

何の縁もない、茶パッの中・高生に駅のホームでマジに向き合って「それはいかんよ」と話をする人はザラにはいない。Tさんはそんなこともできる人、心底から心配しているのだ。

そのTさんに久し振りにお会いして体調のことを訊くと、冒頭のような応えである。
じゃあ酒の方も駄目ですか?「何を言ってるの、毎晩焼酎をやってるよ。酒が飲めなくなれば人間お終いやで」と元気な応え。「酒はそのまま、す~っと腹に収まるからいいんや」と続いた。

数年前に胃を全摘している、その所為で食事が間々ならぬようだ。
アルコールはカロリーがあるから、食事が少々摂れなくて大丈夫ですよ、と私は応えた。

元気そうで何よりであったが、仕事のほうはガタ減りとか。今、映像の仕事は本当に少ない。少ない上に予算はギリギリ、厳しい時代となっている。何処も同じですねと、笑うしかない。

あれやこれや話しているうちに次の約束の時間が迫り、大急ぎで辞去した。歩く予定が電車に駆け込んで行く破目となった。

歩いていると色んな人の顔を浮ぶ、いろんなことを考える。歩くに優、良薬なしと云うことか。

明日から日曜日まで東京を離れる。弁当もお休み、散歩も多分休むことになろう・・・。

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鶏唐揚

2011-01-13 | Weblog

1/13(木) 今日の弁当は鶏の唐揚と寒ブリの照り焼き風、ポテト&ゆで卵のサラダ。昨日暗い中をクライアント先の目黒からから恵比寿へと歩きながら決めたメニューである。

唐揚のついでに、人参・安納芋とスナッピを少しばかり素揚げした。鶏肉は常道の下味をつけて片栗粉をまぶして揚げる。寒ブリは、和風照り焼きではなくオリーブオイルを使った。問題はサラダであるが、胡瓜・タマネギが多くて水っぽくなってしまった。ジャガイモの水切りも良くなかった。

                   

K君と私のご飯の上には、醤油を垂らした縮緬ジャコがたっぷりと載った。K君好みは間違いなし。

                        

私の弁当は、依然として小さいものを使っている。卵焼きも作りかったが、弁当に収まらんので断念した。弁当つくりは朝の遊びの時間なのでもっと遊びたい処だが・・・。

  散歩しながら・・・

あり散歩は、出先へ向かう途中、出先から戻るすがらに歩くことが中心。そうすると昔に馴染んだ町や、店の前を通ることが間々ある。と、あの頃あの時が甦って、懐かしむこと、反省することが過ったりする。

先日、目黒から六本木駅まで歩いた時のこと。

旧テレ朝通りから六本木通りに出る手前に大店の中華店がビルの2階にある。現、地球市民の会・会長、Sさんからの声掛かりで、店がオープンして間もない頃に何度か行った。

ここで何人かの人を紹介されているが、その中には思い掛けない人物もいた。

随分古いことだが、三越デパートに関わる女帝事件というのがあった。当時の三越社長と、もう一方の主人公となる”竹久みち”さんである。

事件からは随分と経ち、刑期も終えられていたが、その、竹久みちさんを紹介されて一緒に食事をしたことを思い出した。竹久さんは、新聞や雑誌で大叩きされた頃の面影はなく、上品で小柄な老婦人であった。控え目に、美しく話をされた印象が残っている。その”みち”さんが亡くなったニュースを耳にしたのは一昨年となったか・・・。

そして六本木駅へと至った。今やヒルズ族などと云う言葉も古いくらいだが、更に古~い話。
神谷町寄りの改札から日東ビルにでると、このビルの真裏、熊本会館の真ん前になるか。ここにピアノ・バー「禅」が、かつてあった。

半地下の赤レンガの階段を下りて、ガラスのドアを押すと馬蹄型に広がる店内。奥の真中あたりに壁に向かってグランドピアノ、その上には何時も白百合が大きな花瓶一杯に活けられていた。
オーナーは東郷好彦・葉子夫妻。葉子さんの芸名は「橋本葉子」、この人のピアノとタンゴに惹かれて出入りを始めた。きしくも私と同じ生年月日である。

この店のスタッフは、皆ミュージシャンかその卵。オーナーの東郷さんが厳しくて、歌い手が遊びに来ても下手なプロは唄わして貰えない。そんな店だった。

この店でピアノ・ギターを弾き、唄っていた和西さん、福家ちゃん、サンダーホームズ出身のジョージ、ダーナそんな人たちを思い出し、禅のあった場所を覗く。入り口だけは昔と同じ佇まいで残っていた。

この後直ぐであったか、山下敬二郎さん逝去のニュースが流れた。喪主に妻・直子とあった。直子さんは、に暫く勤めたことがる。体格のいい美人で、唄はまだ勉強中というところだったか。人気物だったが、あるとき敬二郎さんが遊びに来た。あっと云う間に直子を攫って行った。
年齢は倍も違うはず、東郷さんが「直は父を早く亡くしたので、オヤジのようなやさしさに惹かれたのかな」と言ったのを思い出した。

あれから20年以上が経つ。長く連れ添い、一緒にステージに立っていたと云うことを耳にすると、他人事ながら良かったなと思う。

そして、「禅」はその後、乃木坂通りから一ッ木通りへと店が移り、今、葉子さんが一人で店の切り盛りをしている。 東郷さんが亡くなって、早や三回忌が過ぎた。

 

 都内を歩いていると、思いでだけがよぎる。こんなこっちゃあ、長くねえな~。

 

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