4/9日(火) 先ほど「村松清子さん」の取材立ち合いを終えて帰社した。13時半から15時半過ぎまで、予定の時間をオーバーして話を聴かせて頂いた。インタビューするのはHIROさんである。その合間を縫って、私は勝手に尋ねたいことを訊く。HIROさんの、邪魔をしているような感は多分にある。
なるべく取材に立ち合うようにしている、自分の目で耳で確認をしておきたい。そうでなければ原稿のチェックというか、確認ができない。現場で聞くニュアンスや空気感が大事。これがないと記事になった際の、或いは記事になる前に生じるかもしれないことへの対応が生半可となる。
一番生じてほしくないが、担当するライターに不測の事態が生じることが発生するかもしれない。同じテーマで再インタビューはできない、原稿に穴を開けることは許されない。最悪は自分が書くしかない、例え不十分であっても、代役を果たさねばならないこともあろう。そんなことも踏まえてはいるが、最大の理由は森羅万象への興味が、関心が強いのだろう。ようは、野次馬根性か。
村松さんは、「在宅看護・訪問看護」分野の先駆者である。看護師として病院の患者(利用者)と向き合う中で、在宅看護・看とりの必要を実感し、病院勤務を続けながら、ボランティアで在宅看護を行ってきた。ボランティアでの限度、介護する家族・利用者と、看護を提供する看護師の限界・困難さから訪問看護を事業としてスタートさせた。
その活動は現在の介護事業や、在宅支援活動の基礎となった、と理解している。困難と苦難の道のりであったろうが、そんなことを感じさせない。明るく突き抜けた方であった。その活動への評価は、顕著な功績を挙げた看護師に授与される国際的な「フローレンス・「ナイチンゲール記章」の受賞と繋がっている。
自分の道を突き進む方、やり抜けてきた方は、どなたも村松さんのような雰囲気と表情をされていた。肩に力が入らない、とても素敵な雰囲気を醸し出しているのだ。
取材の後、HIROさんと近場の居酒屋に入った。先ほどまでの時間を辿りながら、問い直しながら反芻し、原稿の切り口を勝手に並べる。取材後の二人だけでの何時もの営み、儀式であった。情報誌の発行は、7月の初旬。愉しみにしてほしい。されど、これからのひと月あまり、紬・重ね、削りと、HIROさんの呻吟・苦吟がつづく・・・。