4/19(金) 中日のピッチャー・岩瀬よりも登板回数をこなしている・・・。昨夜も異なるマウンドに三度立った。先発と中継ぎ、ショートリリーフと全てをこなすのだ、年俸は相当もらわなくては・・・然し、結果を問われると如何ともし難い。
一昨夜は、某代理店に居たS氏が3月末で退職。氏の慰労会と云うことで、銀座の「まるごと高知」二階のレストランで食事。当然土佐の食材を使った料理である。勿論、酒も高知の酒ばかりを揃えている。
毎年五月、赤岡の海岸で開催される祭り「どろめ祭り」と云う祭りがるが、ここで使われる大杯を用いた「おきゃくセット」と云うメニューがあった。これを氏に勧めた。酒は私の地元「南」を推奨し、大杯に注いだ。余り飲めないといいながらも、楽しんでもらった。
「どろめ」とは、生のシラスを云う。赤岡の浜はシラス漁のメッカで、これに因んで祭りがおこなわれる。この余興として大杯で飲み比べ、スピードを競う。女性も参加して大いに賑わう。TVなどでも紹介されるの知名度が高い祭りだ。
此の夜の肴は、刺身・リュウキュウの酢物、四方竹の煮物、当然「どろめ」であった。
この後、6丁目の小さなBAR「順」へと流れた。S氏のカラオケを聴きながらハイボールを飲んでいると携帯が鳴った、渋谷の大将「奈加野」の店主からである。郷里の先輩、弁護士のYASUOKAさんと、郷里で野菜の商売をしているYAMASAKIさんが来てるとの知らせであった。
店に顔を出せとの仰せだが、携帯の具合が悪くて途中で切れる・・・と、云われても知人の慰労をしてるのだ。行ける訳がないとばかりに無視を決め込んだ。
他に客もおらず、S氏はマイクを握って快調、すっかり店の雰囲気もお気に召した様子。ご慰労を申し上げた甲斐があったと云うものだ。
翌朝、携帯の留守電を聞くと、渋谷の大将からの罵詈雑言が残されていた・・・。大将、そうは私も付き合えませんで・・・。
18日の昨日、朝から祖師谷大蔵にて情報誌の取材。相手は、旧知のKさん。テーマはバイクと健康である。Kさんは71歳になったそうだが、若い!ドライビングスーツを着込んだ姿は若者である。
バイクはスズキの「隼」、1300ccの大型バイクで最高スピードは時速・300Kmも出る代物とか。この他にオフロード用のバイクも所有している。
撮影をし、インタビューを済ますと午後の二時半。立ち合いのクライアントと一緒に遅いランチを済ませて帰社すると四時過ぎであった。
この日朝から携帯の調子が悪く、結局使えなくなった。ドコモショップに立ち寄り見てもらうと、一時的に過電流が生じたとのことだ。スマホは使えん、禄でもない・・・。
この夜は有楽町の外国人記者クラブのすし店に、Uさんからのお招きに預かった。私と弊社のweb制作のリーダ・NOBORUの二人連れ。Uさんが立ち上げていた事業を閉じた、これまで世話になったのでと、この夜のお招きとなった次第。
此処でも「南」を飲んだ、NOBORUは快調に盃を干し、肴や寿司をつまんでいた。私は、前夜のことがあり、渋谷村に顔を出そうと思っていたので抑えた。それでも酒がまわり始めて昔のことを蒸し返す・・・。NOBORUに聞かす、冗談ではあるが。
「ウーさん、ちっとも俺の面倒を見んかったネ」と、『ARIさんは評価が悪かったから如何ともし難いのよ』と、云う。
「そりゃ評価するやつが悪いのよ。あいつなんかどうしようもないんだから・・・。無理やりS評価とか、ボーナス+4にしろ、と具体的な数字で指示しなくちゃ」などど、与太を飛ばす。こんな話をして遊ぶのであった。
サラリーマン時代、Uさんが東京のトップに居たころ、私は現場を預かるセクションに居た。我々からすると、当時のUさんは雲上人といえるぐらいのポジションであった。その当時のことを話題にして、酒の肴にした次第。
すっかり馳走になり、渋谷に向かった。「奈加野」のカウンターはがら空きだが、座敷の方は満席だった。テーブル席には、外人さんのグループがいた。店主に「たちの悪い伝言残すなよ」と苦言を垂れながらビール。
この後、mr.kansoに立ち寄りギネスとハイボールで〆た。誰かに会える、この夜も某社の方と初めて顔を合わせて話をしたが、旧知の方と繋がっていた。
昨日、今朝とスムージーはフルーツのみとした。最後に残った凸ポンとバナナ・イチゴなどであった。これって、果糖の摂り過ぎじゃないか?と気になった。