3/2(日) 昨日の朝からの小雨が止まない。今日も朝から小糠雨だが、夜まで止まないとの予報と、山間部は雪か霙になるとか・・・。寒い一日となりそうだ。
金曜日の夜は、松山から上京したHOSHIKA君を囲んで、三十年以上も前に資材局で一緒だったABE・IMAI・MOTOKI君が恵比寿に集った。
声掛け人の私は、テーブル席を確保するために6時半に恵比寿の焼きトン店「田吾作」の暖簾を潜った。皆が参集するまでの暫くを、独り酒。飲むのはこの店の名物ホイスである。ホッピーに似ているが、もっとマイルドで喉越しが優しい。その飲み易さから幾らでも飲めるのはいいが、後からトイレに立つ回数が増える。これが難と云えば、難である。
摘みは取り敢えず、モツ煮込み。持参したmy唐辛子を振って、ゆゅくりと味わった。皆が揃うまでの間にホイス三杯を飲っていた。隣の課に居たMOTOKIが、へんてこな帽子にマント纏って現れる。ネクタイ姿は、出張のHOSHIKAと某社で現役の役員であるIMAIの二人。昔から変わらずに騒がしいMOTOKIの一人話が延々とつづき途切れない。
最期は誰かに「一人で喋ってるねェ~」と言われたが、意に介さない。偶々この日、MOTOKI君から電話があり、今夜空いてないの?と誘いを受けた。彼も顔見知りのメンバーなので『よかったら、来たら』と、声を掛けた私の失策であった。
左からA・M・I・Hの各氏
然し、何時まで経っても懲りないやつである。『君の馬鹿馬鹿しい自慢話や、独りよがりを聞きたくて集まってんじゃないよ』と云いたかったが、私も大人になったもんだ。その言葉は控えた。
九時過ぎまで飲み、次回HOSHIKA君が上京すると云う五月にまた集まることとして、恵比寿の夜は散会となった。次回には、OBAYASHIとISHI君を誘わなくては・・・・・。
猪 汁
そして、昨日の土曜日に猪汁を作ることになった。二月に郷里の従姉から猪肉が届いていた。中々旨い猪なのだが、会社のメンバーは正月にも喰っているので食傷だろうと冷蔵庫の中で眠っていた。東京人は余程のゲテモノ食いか、通好みでないと食す機会はないだろうと、行き付けの安酒場「ちょっぷく」の店長YAMAKAGE氏に『猪鍋会をやろうぜ』と云ってあった。
それを、昨日に実行することにした。猪肉を喰ったことのない山ちゃんは半分腰が引けていたようだ。食材の大根・蒟蒻・油揚げ・酒粕を持参して、午後に出社した。「ちょっぷく」は、ランチが終わり掃除を始めていた。店の常連客で、何時も手伝いをでしている面々がこまめに動いていた。
猪汁は店で作らず、会社で作った方が早い。猪肉も会社の冷蔵庫だ、会社に在る鍋と卓上コンロで調理をする。出勤していたYOSHIOを助手にして準備をした。今回のミソは、酒粕を使う処にあった。先月の帰郷の折に、従姉が酒粕を入れた猪汁を作った。これが中々よかった。そこで同じ手法でやってみる。酒粕はあの「南」を醸造している、南酒造で貰ったものだ。
半解凍の猪肉を2~3mmの厚さに切り、たっぷりの水で茹で、丁寧に灰汁取りをする。これをYOSHIOが分担してくれた。大根を乱切りにし。蒟蒻を千切って加える。食材が煮上がった頃合いに日本酒を惜しげなく加え、味噌と酒粕(味噌の半分から三分の一)を入れて味を調えた。煮始めて一時間ほどで完成した(煮込めば煮込むほど旨くなるが)。
出勤しているFUJIKURAとRIEも呼んで、先ずはご試食会である。寒い体に、アツアツの猪汁が心地よかった。とはRIE嬢の弁である。上々の出来栄えと言ってよかろう。社内の試食会が済んだので、鍋ごと「ちょっぷく」に持ち込むことにする。
YOSHIOとFUJIKURAも一緒に店に向かったが、未だ掃除をしていた。何時もの常連客が木製テーブルにミルクを垂らして磨き込んでいる。もう一組は、ランチを提携している会社の社員利用チケットの枚数換算に余念がない。手持無沙汰な我らは、生ビールを飲みながら終わるのを待った次第。
一週間の整理が漸く終わり、ランチの残り菜がテーブルに並んだのは四時過ぎとなっていた。さあ、これからささやかな宴会である。猪汁を温め、食して貰う。臭みも癖もなく、美味いと、一様に納得したようだ。
手を挙げているのが、店主・山ちゃん
そして恒例のCOCO一番の10倍辛いカレーの出番、私にとっては「ちょっと辛いネ」ぐらいでへっちゃらだ。ご飯に掛けると辛いんだと、山ちゃんが寄越した・・・これも完食だぜ。
my唐辛子も掛かってます
ビールに芋焼酎、韓国土産だと云う40度の焼酎?多分焼酎だが、辛さで舌が麻痺か?甘く感じた。常連客のHOYAさんが、現場仕事帰りだと顔を出した。山ちゃんが二度目の入院をしたのは、HOYAさんと土曜日に遅くまで飲ん日だったのを思い出した。あれ以来、山ちゃんは酒を断っている。
そんなことで、土曜日も楽しく飲んでいた次第。人形町はいいね・・・・、この街は離れ難い。