オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

マイク握れば・・・

2014-03-14 | Weblog

3/14(金) 今日はホワイトディーとか云うやつのようだ。そんなことを覚えているのが奇跡のようだが・・・、会社の小人数の女性スタッフに、心ばかりで恐縮だがプレゼントの雛菓子を贈った。午後からは、佐賀市へと行く。

明日の午前、「地球市民の会」前会長の故・古賀武夫さんの七回忌法要が執り行われる。故人を偲びながら思い出を語り、これから取り組む「古賀武夫物語」(仮称)の出版企画、市民の会としての今年のテーマなどについて意見交換をしたいと思っている。

今月のこれからの週末は、予定で埋まっているが、少しはビジネスに繋がるものがあればいいのだが・・・?。スーパーマンは無理だから、山上に籠った仙人を目指すか。(意味不明だな~)

昨夜、激しくなった風雨を突いて、友人のAJIROさんが人形町まで来てくれた。彼の48年に渡るサラリーマン人生が、今月末で愈々フィナレーを迎える。彼との三十年に渡る交流が、これで途切れる分けではないが、二人だけで細やかな慰労会を持った。

然し、慰労とは云いながらも行った店は何時もの安酒場である。先ずは隣の「高松」からスタートし、ビール・焼酎に肴はタップリと食べて貰った。雨も上がった頃合いに「ローカーボ」にてハイボール。ここらから辺りでAJIROさんは、酔いが廻ってきた様子。頃合いかと、カラオケのため「SEIJU」に向かった。

セイジュの扉を押すと、なんと珍しいことにカウンターには客で満席。『どうしたんだ?これは、晴天の霹靂だな…』と、嫌みな言葉を吐く。『これじゃあ唄どころじゃないや、出直すよ。「ちょっぷく」に居るから空いたら呼んで』と、次の店「ちょっぷく」にて一時待機とした。ハイボールとワインを飲ったが、AJIROさんはテーブールに俯いて得意の居眠りが始まった。

                       

隣に居た松ちゃんが「大丈夫?」と心配する。『ひと眠りしたら元気になるさ。マイクを持ちゃあ酔いもさめるよ』と、彼のテーブル上のグラスや調味料をなどを片付けた。さあ、これで暫く寝てくれと云う準備が完了。

十時を過ぎた。遠方のAJIさんの電車のこともあるので、SEIJUに戻った。上手い具合に、先客たちが引き上げて片付けをしていた。さあこれで客は居ない、たっぷりと唄って頂戴とばかりにマイクを渡した。先ほどまでの寝ぼけ眼はどこえやら、AJIさん演歌ショウーの始まった。

             

マイクを持てば元気一杯、聴き慣れた昭和演歌から新しい演歌と、身振り手振り、品を作りながらの熱演だった。AJIさんは、奥多摩に近いあきる野市が住い。電車が無くなっても、乗り過ごしてもいかんので、十一時過ぎた頃合いで最後の歌を所望した。が、それから三曲はつづいた。フィナレーは、懐かしき「人情松の廊下」で締めくくった。

飲みながら、来し方四十八年のサラリーマン人生を振り返ると、あっと云う間だったそうだ。いい人生だったが、苦しかった時代もあったと、振り返る。「これから毎日送別会なんですよ」とは、彼の人柄が判ろう。

東京駅までタクシーで行けよ、電車乗り越すなよと別れた。別れた後、何故か私は「ローカーボ」に舞い戻っていた。気が付けば終電の時間が迫っていた。深夜25時過ぎの帰還となっていた・・・・。

 

 

 

 

 

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