オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

冬野菜

2017-01-20 | Weblog

1/20(金) 昨夕、M氏が会社まで来てくれた。ご丁寧に、彼が丹精を込めている野菜をバッグに一杯入れて。里芋・キャベツ・芽キャベツ・ホウレンソウであった。大根・白菜は秋の長雨にやられて失敗、芽キャベツは防虫ネットを掛けてあったので助かったとのこと。

彼は平塚生まれの平塚育ち、一反の畑で野菜を作り始めて何年経つだろうか。耕耘機まで買って本格的にやり始めているが、退職したら更に本格的にやるつもりだ。近所の農家から「うちの畑を使ってくれ」と言われているとのこと。高齢化と後継者がいない農家にとっては、耕作して貰えるだけで有難いようだ。

東京近郊の都市部に近い所でさえこのありさま。私の郷里や、KATUTAが住む伊予の久万高原あたりではもっと深刻であろう。彼が希望した「高松」で金魚湯割りを飲みながら、作柄や育て方について話を聞く。ついでに、猪や鹿の獣害について訊くと、それはないとのこと。あるのは烏による鳥害と、大きなゴミを畑に捨てていく輩がいることだと云う。平野部の交通至便なエリアならばこその悩みであった。

頂戴した野菜を一部持ち帰り、早速今朝の弁当に使ったことは云うまでもないが・・・・。そのことは、後程。

「高松」から「ローカーボ」と渡り、ここでは何時ものハイボールを飲る。明日の午後、料理家のJIN先生ところでやるオヤジの料理教室第一回に参加するNAKAMURA御大が仲間を連れて飲んでいた。明日は、宜しくと互いに挨拶を交わした。

                              

平塚まで帰るM君のこともあり、二軒で終えた。お蔭でご帰還は23時と早かった。今日は九時半過ぎにホテルグランドパレスに入る。それに備えて零時には蒲団に入り、ラジオもスタンドの灯りも消したのであった・・・・。

目覚めは五時半、起床は六時である。さあ、弁当だと台所に入る。

今日のメニューは「ロールキャベツ」と、前夜から決めてあった。ご飯を仕掛けた後、キャベツ(これは買い置き)を茹でる。前夜に冷凍庫から取り出しておいた挽肉を出し、タマネギを刻み混ぜ合わす。塩胡椒とパン粉・溶き卵を繋ぎに醤油を垂らし、味醂を少々加えた。

M君の里芋を剥く、すると寒に喰われたのであろう身が寒さやけしていた。この部分をカットし、下茹でをする。里芋の煮物、小松菜と薄揚げの煮物、頂いたホウレンソウで胡麻卵炒めを。今日は野菜を使った弁当にした。最後に鯖文化干しを焼いてお仕舞にした。

                               

今日は二人分の弁当であった。小僧が家を出てから、残り菜と飯が余る。家人に晩飯で食べてよ、と言うが…、昼夜同じじゃ気の毒でもある。そこでオイラがせっせと喰う、これが肥満大敵と知りつつも。男は辛い! 寅さんの気持ちが判るよ。

                           

OB会の新年の集いの最中、携帯に着信があったことを後で知った。パーティの最中は騒がしい、着信があっても全く気付かなかった。電話の相手、目黒の某社にいるT氏にコールバックした。「今夕行くつもりだけど、大丈夫?」とのこと。要は人形町まで行くよとの確認であった。

来るものは拒ばない主義だ、いいよと軽く返した。と言うことは、パーティ後の関係者の慰労会に顔を出さないと云うことになるが。昼間から長時間飲んでると草臥れるばかりか、下手するとそのまま夜の部に突入となる。

日曜日から水曜日まで帰省する。ここは一旦会社に戻って置いた方が落ち着くだろうと、二百数十名の会員たちが引き揚げたのを見計らって社に出たのは三時半であった。ご苦労様と、役員やお手伝いの面々が飲んでいる時間だ。

六時前には「高松」に行く必要がある。Tが目黒を出て付く時間なのだ。昼間の電話で『どんな店がいいんだ』と訊いた。すると「あの蕎麦屋がいい」と応えたのだ。昨夜のM君もそうであった。新年なので、顔を出してない店にでもと、こっちは思ってるのに揃いも揃って「高松」に生きたがるのだ。

女将さんの客あしらいがいい、おまけに・・・(美形で優しいのだ)。まあ彼らの気持ちは判らんでもないが・・・・・。そんな次第で、今夜も「高松」からスタートするのだ。

 

 

 

 

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