1/10(火) この三連休、日曜日は午後から雨となり寒かったが、概ね陽気よし。夏の最中、今年の冬は寒いとかの長期予報だったように記憶するが、気配は未だない。暖かい所為か、私が百個ばかり吊るした干し柿の出来栄えがよくない。甘味が少ないのだ。
おまけに、干し具合がよくなと従姉が捨てようとしていたのだ。百個の渋柿の皮を剥いて干す、指を柿渋で黒くしながら悪戦苦闘した俺の苦労も知らないでだ。丁度帰省中だったので、慌てて回収して吊るした。干し具合は十分とまではいかないが、それなりの干し柿に仕上がってはいる。その証拠に、干し柿好きな「ちょっぷく」のYAMAちゃんに揚げると喜んで食べていた。
天気が良いと、陽当たりのいい事務所はポカポカになる。これに暖房が入るので、ワイハにいるような気分だ。移転祝いに頂戴した胡蝶蘭が目の前にあるので、まさに南国気分といいたいところ。これで売り上げが上るようならノー天気オヤジは完全にボケるな。敢えて、俺のボケ防止の為に売り上げを抑えているのかも?
そんな与太はさておき、先週末、金曜日の午後、TUGAWAさんと二人で黒田君の墓に参った。雑巾まで持参したが、お寺の水汲み場にあった。墓を拭き、花を飾り、ワンカップを供え、線香を灯して掌をあわせた。ご遺族による三回忌は、親族の都合で年末に済ませたとのこと。この日は、二人での三回忌である。
寺を後にし、バスで夕暮れが迫りつつある渋谷に出た。井の頭線沿いの焼き鳥屋に入り、黒田のことや森羅万象に触れながらしみじみハイボールを飲んだ。俺たちが元気である限り、一月七日の前後にはこんな儀式がつづくことだろう。願わくば、この儀式につづくメンバーがないことだ。
日曜日、碑文谷公園であった”どんど焼き”に火が点くの見てから、奈加野の店主と平和島に向かった。謂わずと知れた舟遊びである。この日が最終戦になるので、荒れないだろうな?なんて喋りながら。競馬の金杯は、外れた。今年も博打の勝ち目はなさそうだが、YOSHIO曰く「今年は二人とも運気が良い!」と。どこぞの八卦見が書いたものでも見たか、当たるも八卦当たらぬも八卦。悪いと言われるよりは気分がいい、そんなとこだろう。
生まれて此の方、八卦見の世話に三・四度なったが、悪いと言われたことはただの一度もないのだ。所詮千円札一枚の運勢なんだ、こうして生きているだけで、善しとすべきだろう・・・・・。これ以上求めちゃ、バチが当ると云うもんだ。
平和島では五レースから十二レースまで参戦したが、獲れたのは最初の一レースだけ。俺の運などは、こんなものだろう。店主の方は、ご丁寧に全部外したとボヤキ! こんな塩梅で、優雅な三連休となったが。老母からの電話「あたしは長くなさそうだから、遺言で言っておきたいことがある。一度戻ってきてちょうだい」が。
一週間前に帰京したばかりなのだが、こんなことだ。仕方ない、週末にでも帰省するかと思っていたら、夕方になって従姉からの電話「伯母さんは元気、元気。昨日、親戚が来て長々と話したのでだれた(疲れた)がよ」とのこと。毎度のことで疲れるが、かといって心配は心配だ・・・・。
優雅な連休明けの今朝の弁当は、一つ。家人の分だけなので、軽めにする。
「ホタテ&椎茸のソテー」と「ホウレンソウの胡麻和え」、鮭焼きと、ホウレン草の出汁巻卵。それに前夜に炊いた「大根煮」を添える。以上である。
今日の午後。横浜に在る某社・社長を久々に訪ねる。初夏に会社が事業統合されるとの案内を貰ったので、それへの挨拶など等、この訪問後は、横浜在住のK大兄にお会いして新年のご挨拶と新年会か?
横浜と云えば、松の内が明けた八日、郷里の大先輩・藤谷敏郎さんが暮に急逝したとの葉書が届いた。年末に急性肺炎で亡くなったとのことだが、元気な姿で一献交わしたのは秋口のことだった。それだけに驚いたが、落ち着いた頃合いに先輩方と墓参することになろう。 合掌。