平成29年1月4日(水) 年末始の休暇もあっと云う間に過ぎ、今日から仕事始めとなった。齢を重ねるごとに、正月と云う改まった気分にならないのはなぜだろう? 多分、いい加減に時をうっちゃっている由であろうが。
今日の弁当事始めの前に、如何に優雅なる年末始を過ごしたか、面白くも無かろうが紹介する。
仕事納めの翌日、12/29日の夕方の便で帰郷した。16時15分発のANAは、16:30分に出発と例によって遅れての離陸。夕闇と云うよりは、闇の迫った高知空港には妹夫妻の出迎えと、何時もながらの光景ながら有難い。
実家へと向かう一時間ばかりの車中での会話も『変わったことはないか?文旦の収穫はどうした・・・』とか、これも何時もながらのこと。これまたありがたいのは「車の洗車と墓掃除は済ませたから」と。正月用の買い物は翌日にしようと、真っ直ぐに帰宅。
従姉が来て老母の世話をしていた。母は一昨日から左膝の関節が痛いと、歩けなくなっていた。そればかりか、子どものようにイタイ痛いと騒ぐのだ。この日の晩飯はパス。羽田空港に在る「丸亀製麺」で、かけウドン&親子丼と云う重い飯を喰ってしまったのだ。〆て六八〇円であったか。親子丼390円のメニューを目にし、我慢ならずにオーダーしちまった。おいら、親子丼が好きなのだ!
翌三十日、正月の用意をする日だ。従姉が来て、注文しておいたお餅を引き取に行ってくれる。オイラと妹夫妻は、安芸市まで正月用品の着物に出掛けた。ス-パーマーケット・ランドにて年越しそば・野菜・しめ飾りなどを購入。それから寺尾鮮魚店に廻り、刺身(ヒラメ・ブリ)を買う。これは今夜の晩餐用だ。
最後に花店の「一圓」に寄り花を買うのだが、なんと殆ど残っていない。これじゃ、お墓に飾るだけでも厳しい。あらためて従姉に頼むことになった。午後からは、お札の張り替え、しめ飾りや鏡餅のお供え、床の間の軸の架け替えと・・・。そして、お墓に参って花を飾る。畑の蜜柑を若干収穫。こんなことをしている内に、晩飯の用意だ・・・。
今夜は、刺身と東京から持って行った「ハラミ肉」の焼肉がメインと簡単である。早々、肝心なのが「鮎飯」だ。先日の寄居・京亭の鮎飯にならって炊いてみた。濃いめに出汁をとり、鮎は焼かないで生のままで釜に入れた。親戚のKATUOも呼んで四人での夕食だったが、鮎飯は妹のとこへも届けた。この鮎飯、味は上々だったが、飯が固すぎ。前回の柔らかすぎを意識し過ぎたか?
そして大晦日を迎えた。この日は正月の準備と言っても、食い物の方だが。根菜の煮物、年越しそば・雑煮用の出汁を採り、大根・人参を花弁にする。斜向かいに住む従姉が、このひと月、体調が悪いと云うので、晩飯の菜を早目に作り、裾分けだ。菜は、ピーマン肉詰め・ハンバーグ&野菜天麩羅など。
親戚の男が魚釣りに行ってマグロの子供を一匹持ってきた。これを刺身と大根の粗炊きにする。年越しそばと、盛り沢山の菜で今年の喰い納めとなった。11月に吊るした干し柿を三十個ほど仕舞った。今年は暖かい所為か干し柿の出来栄えが今一つだ。
大晦日は、正月用の食い物の準備で終わったようなものか・・・・。こんなことで、一年が終わって、締め括っていいんだろうか?
そして元旦を迎えた。雑煮を準備し、神様仏にお供えをする。神様には、塩・酒・水を。仏様にはお膳を供える。老母は相変わらず寝たままなので、蒲団に入ったままで雑煮を食べさせた。「ありがとうありがとう、すまんねぇ」なんてこと言うので『つまんねえことを言うなよ』と叱る。
元旦・二日目と従姉や姪・甥が姿をみせてくれる。土佐ならではの「皿鉢料理」(仕出し屋に頼む)で一杯やり、あれこれとおしゃべりをして一日が暮れる。二日目の番は「スキ焼」をしたか・・・・。何れにせよ、連日の飯攻めだ。これが体に良いわけないな・・・・。正月に一升壜は一本半、缶ビールは一箱空いただけだ。親父が生きていれば、この三倍以上はいっただろうに・・・。
そんなことで、三日目の朝八時半に実家を後にし、高知空港へ。13時には自宅に着いた。アッいう間の年末始と云う次第。
今年の弁当については、後程!