オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

我、復活す

2019-02-16 | Weblog

2/16(土) 木曜日、風邪の症状で臥せっていた私だったが、翌、金曜日の昼には立ち直っていた。気力と云うよりもバカは風邪をひかない、例え罹っても軽いという言説を地でいったのである。

と云うことで、午後には人形町へ出かけてYOSHIOとコーヒーを飲み、不動産屋のマッチャンから店舗の最終見積もりになるであろう資料を受領した。そして、横浜は桜木町駅で待ち合わせのKISHIMOTO大兄と合流して野毛の酒場で一献交わした。

野毛の飲み屋街を歩き、「津軽」なる小体な店に入った。カウンター八席の店ながら落ち着いた雰囲気で感じがよかった。女将さんの勧めのままに津軽の酒を頂きながら大兄と歓談した。 かつて同行した弘前のこと、岩木山が望めなくて残念だったと言うことを聞きながら・・・。

                

またしても、大兄にご馳走になった。毎回のことであり、恐縮するばかりである。今度、熱海の梅園に梅を見に行きましょうと約したが、実行するなら来週か再来週のことになる。

「津軽」を出てから、私が行く予定の店「サムズ バー」を探して歩く。二度ほど商店の人に尋ねて探しあてた。大兄は店に入らずに帰るという。或いは行きつけの池袋に足を延ばしたのか?。

独り、階段をおりて店のドアを引いた。この店で、ふた昔以上前に仕事で旅を一緒にしたKUBOさんとその仲間のライブがあるとFBで知り、顔を出すことにしたのだ。事前の連絡なんかはしてないが・・・・。

サラリーマン時代、社会貢献事業の一環として、耳の聞こえない人たちに音の世界を体験してもらうために、骨伝導ヘッドホンを開発して音楽会などに招待していた。そのヘッドホンと聴覚障害のレベルに合わせるためのヒッチィングという事前の仕事を、音の専門家であるKUBOさんたちにお願いしていた、。全国展開をしていたのでチームとして各所に出向いたのである。

             

それから四半席になるが、職を離れてから顔を合わせる機会がなかった。が、何年か前にFBでつながった。

          

狭い店に入ると、草臥れた皮ジャンにハット姿ながら、向こうもすぐに分かったようで挨拶を交わし、当時のことなどになったのである。そしてステージの開始となり、彼らの(高校の先輩、後輩の三人)演奏と歌を聞いて一時間近くを過ごした。

               

日ノ出町駅から京急線、横浜から東急線に乗り換えて、帰宅は22時30分近くになっていた。居眠りをして一駅乗り過ごしてしまったせいだ。、帰宅すると長女がいて「財布抜かれなかった」と、からかわれてしまった。前科者だからネ・・・。

昨日はそんな一日を過ごし、風邪のことなどすっかり忘れてしまった。そうそう、昨日の朝も弁当を作ったのだ。牛炒めや温野菜、タラコや卵焼きなどであった。

       

 

そして今朝は、義母の食事の用意をし、自分用に小鍋の湯豆腐で大根千切り、ホウレン草などを加えた鍋。ご飯の代わりに缶ビールとなった。

                

午後からは白金台のJIN先生宅で、オヤジの料理教室である。今年初の集まりだが、FUJIKURAとマッチャンが欠席。今日の生徒は五人である。ちょっと寂しい限りだが・・・・。

 

 

 

 

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