オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

誕生日

2021-08-05 | 弁当

8/4(水)八月四日といっても、既に日付変更線をまたいだ深夜。と云うことは、五日になっている。が、眠れぬままに起きているので気分は四日である。

タイトルを「誕生日」としたのは亡母の誕生日が八月四日だったことに因む。

亡くなって丸三年を月末に迎えるが、存命であれば九十八歳を迎えた。「百までは生きろよと」言ってきたが・・・。

仏壇に朝のお供えをし、母の誕生日を思いながら「母はありて子あり、父ありて我あり」か!。などと当たり前のことを思いながら不出来な子を育んでくれたことに感謝の念を強くした。

生前にはそんなこと思いも考えもしなかったのに不思議なものである。それだけこっちも老いたのか、彼岸に渡る日が近づいたと云うことかもしれないな。

ここ数日、その両親が残した古家の掃除や庭の樹木の手入れに汗を流している。普段使わない二階も掃除機をかけ雑巾がけまでした。のろのろとやるんで時間ばかりを要したが。布団を干し、窓ガラス・テラス・網戸も綺麗にしたので、いつ来客があっても大丈夫だ。

中庭の樹木の剪定は庭師を頼んだが、これが多忙でお盆過ぎにならないとこれないとのこと。

致し方ないので気になった枝だけ応急措置で自分で刈ったが、これが大事だった。脚立・長梯子をかけての作業になるのだから。へっぴり腰で脚立や梯子に載り二日がかりで一本だけ剪定らしきことをやった。お陰で庭師のありがたさ、時間の掛かりようと手間賃の高さにも納得した。

両親が残した家なので私は疎かに出来ない。捨てるわけにはいかないが、何れは負の遺産である。実家が残っているので帰ってくる、来ざるを得ない。

何も持たない、これが一番いいのかも知れない。在るが故に捨てられず、縛られている。田舎者の宿命か?。自縄自縛と云うやつだねぇ~。

然し、物事を否定的に考えても仕方ない。有るがままを受け入れて楽しむ!。掃除も剪定も、田舎暮らしも、全てを受け入れて楽しむに如かず、か!。

と云うことで、一昨日は自家製の「塩漬け筍と切り干し大根の煮物」自分で捕った川海老のから揚げ、糠漬け、妹が届けてきた鮎の塩焼きなどと田舎ならではの食生活。十二分に楽しんでいるか・・・。

               

話が母の誕生日から思わぬ方向に行ってしまったが・・・。

今一番の困りごとは雨が、雨が降らないこと。梅雨明け前、雨雨雨で参ったのに、その雨が待ち遠しいのは植物たちのためだが。こちらは二週間以上もカンカン照りです。

今度、雨が降ったら報告します・・・・。

 

 

 

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