オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ピーマン肉詰め

2011-09-06 | Weblog

9/6(火) 朝方、随分と涼しく感じる。今日は暑くなるとの天気予報だったが、午前中から薄曇が続き過ごし易い。

今朝の弁当メニューは全く思い描けず、イメージ湧かずであった。取敢えず台所に立ち、冷蔵庫の中を探る。探りながら、本日のメニューを決めた。

先ずは「ピーマンの肉詰め」、そしてアスパラを発見したので「豚肉のアスパラ巻」となった。冷凍の鯖文化干しを一枚焼く。ポテト・人参・さつま芋のザク切りサラダ。最後に、定番の卵焼となった。

                         

                          つまんない姿だねェ

合挽きの肉とタマネギで肉詰めの具材を作る。タマネギを炒め、卵黄身とパン粉で挽肉を混ぜ合わす。ピーマン四個を割、炒めた具材を詰め、仕上げにフライパンで焼く。

                     

アスパラを茹で、薄豚肉で巻く、オリーブオイルを垂らしたフライパンで蒸焼く。考えてみれば、単純な調理である。味付けは塩胡椒がメインで、仕上げに醤油を少し垂らした。

                          

人参などの根菜も茹でて、塩をパラパラ。胡麻を振りかけた根菜サラダの出来上がり。

焼鯖と卵焼きを切り分けて、後は弁当に詰めるだけ。三人分のご飯を詰めた。と、ここでご飯が不足となった。小僧が朝ご飯で一杯食した、その分が不足となった。今日もレギューラー陣の四人分を作るのだが・・・。

取敢えず、三人分の弁当を先に仕上げた。後は、自分の分なので適当に考えることとする。

                       

さて、私の弁当をどうするか・・・。別に無くてもいいのだが・・・お菜が余る。これを使わなくてはと、冷凍ご飯で「チキンライス」を作ることとした。

ピーマン・人参・タマネギを刻み、鶏肉はと探すと・・・なんと、冷凍で残っていたはずのチキンがない。急遽、ベーコンとウインナーを使ったケチャップライスに変更となった。

一人分の別メニューを、しこしこと作る私であった。嗚呼・・吾は悲しき弁当オヤジ也。

                           

と云う、今日の弁当でありました。

 

  「横浜・関内から土佐へ・・・」

 昨夜は、横浜は関内の居酒屋に出没。夕方より関内にあるN社グループの某社を訪問。半年ぶりとなるか、「一向に仕事の発注が無いですね~」等と、呆けを噛ましながらPR。すぐさま近所の居酒屋へと移動する。

O社長・S部長・Y部長・I部長とメンバーは豪勢だが、飲む酒と肴は庶民派・・・勘定も庶民的は云うまでも無い。安そうなので、安心して馳走になった。

と、ここまでは良かった。話題が盛り上がり、話が高知工科大学に及んだ。最近高知へ行ってないと某社長。そんなことから工科大学にいるOB訪問が急遽決まった。行きがかり上、私も同行する破目に陥ったのは云うまでもない。

 そろそろ、仕事の注文があっても世間は許すだろう・・・。

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トンカツ

2011-09-05 | Weblog

9/5(月) 今日の弁当は「トンカツ」をメインとした。土曜日、佐賀の酵素豚肉が届いた。この中に美味そうなヒレカツ用肉があり、早速これを使うこととしたのだ。後は、小松菜と豚小間の煮合せ等。

トンカツの衣の残りパン粉と、刻みキャベツでオムレツ風卵焼を作る。トンカツは二度揚げをしてみたが、首尾は如何に?。オクラとさつま芋の素揚げも少々作る。なにやら彩りが淋しいと、ピーマンをオリーブオイルで焼いてみる。

                           

かくして、今日は四人分の弁当を用意した。

                              

  「土佐尽くし」

 土曜日の夕、「奈加野」にて土佐の食材「安田川の鮎」と「四万十川の手長海老」を食す会となった。会といってもHiroさん、H女史の三人、これに店主のオヤジが時折加わる。

川海老は素揚げが一番とのオヤジの言に従い、揚げて貰う。立派な鮎も炭火焼にしてもらい、これ等が運ばれて来るまでの間は、私が用意した「鮎寿司」と「鮎甘露煮」、「南瓜煮」をつつく。

揚物も焼き物も、料理人が作ると流石に綺麗に仕上がった。一段と味が上がるような気になる。

                       

                      手長海老に箸が・・             鮎寿司は喰われ・・

春先は富山のホタルイカ・白海老・鱒寿しなど頂き、夏の終りには鮎など食す。そんな席を三人で持つのが定着しつつある・・・。

座も仕舞い頃になり帰ろうとするとが、店主のオヤジが暇な所為か私の側から離れぬ。こっちも持ち込みで勝手な振る舞いばかり。一人残って、暫しオヤジの相手をしてからのご帰還となった。

 しかし、我侭を聞いてくれる店があるのは便利なものである。「奈加野」のオヤジ殿にも感謝・感謝!

 

 「一升餅」

 そして日曜日、長女の娘が1歳を迎えた。未だ何も分からずヨタヨタと歩くばかりだが、お祝いに「一升餅」を背負わせることとなった。背負って歩くと、一生喰いはぐれ無いなどと云うが・・・。

             

背なに風呂敷で包んだ一升餅を背負わされ、ヨタヨタと二・三歩。歩んでは転がる。とうとう泣き出してしまった。大人たちは大笑いだが、赤ん坊には気の毒・・・。でも、可笑しかった。

 

 

 

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2011-09-03 | Weblog

9/3(土) 土曜日、深夜に目覚める。昨夜の酒は程ほどのつもりであったが、「高松~ちょっぷく」へと、二軒で安酒をスタッフと交わしたのが利いていたのか。本を読みながら、うつつで朝を迎えた。

起き抜けに家人にビールを買いに走らせ、鮎の開きを焼き、チリメンジャコで気付けの一杯。それから、今夕のHiroさんとの一杯用の肴を準備した。肴は「鮎」料理だが、自分で「鮎寿司」と「鮎甘露煮」を作る。

会場は、渋谷『奈加野』である。ここに全て持ち込み、鮎と手長海老は店で焼いて貰うつもりだが・・・。店主がなんと云うか?
 「Ariちゃん、やりすぎだろう」か、「これじゃ、商売にならんよ」と云うか、楽しみである。

                          

持ち込むのは、鮎と手長海老だけではない。田舎で取れた南瓜を煮付けた、これも持参。それに加えて、T女史からのメロンもデザートとして。更に、U老ご推奨の「焼き芋焼酎」も持ち込む。店主の呆れた顔をが浮ぶようだ・・・。

メロンは、T女史がHiroさんにも食して貰いたいと思っているはずと、慮った。それに、焼芋焼酎は、先日店主が人形町に御目文字の際に話題となった品。全てに意味がある、私からすればだが・・・。

南瓜は、田舎の畑に私が作った『鉄兜』という種類。これも是非に食して欲しいのだ・・・。面取りをして、丁寧に煮上げた一品である。

ビールの肴を準備しながら、ご飯を仕掛ける。甘露煮用の鮎を解凍して、素焼きにする。寿し用は、背割り・腹割と試しながら塩~酢~柚酢と下拵え。寿し飯には、大葉と生姜・胡麻、柚酢と「てまいら酢」を使う。

                     

一方で、甘露煮を進める。酒を煮立て、素焼きした鮎を入れる。砂糖を少々・地蜜(日本蜂)を加え、醤油とで煮付ける。(今になって、木の芽を入れれば良かったと気付く)

                          

鮎寿しも甘露煮も味見をしていない。どう仕上がっているのやら・・・。上手くいってなくとも、天然鮎の焼き物がカバーしてくれるだろう・・・。

                          

 以上、鮎すし六本と甘露煮4匹が出来上がった。食材を提供してくれた妹夫妻・従兄弟に改めて感謝しよう

朝のうちはそんなことで時間を潰した。午後は会社に出て、二週間ぶりにトイレ掃除を済ます。そして夕刻、渋谷「奈加野」へと出撃。

 

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手長海老

2011-09-02 | Weblog

9/2(金) 昨夜田舎から送った川魚が届いた。安田川の「鮎」と四万十川の「手長海老」がメインで、鰻が一匹分であるが・・・。何れも妹夫妻が用意してくれた代物。

手長海老は、姪の嫁ぎ先の実家が四万十川で川漁師をしており、其処から届いた物とか。川漁師は誰でも出来るものでなく、代々引き継がれる権利があるそうな。面白いのは、姪の嫁ぎ先の義父は銀行を退職後、川漁師を始めたという経歴とか。

今朝は、その手長海老の小ぶりを「掻揚」にする。牛蒡・人参・タマネギをスライスして手長海老と一緒に揚げる。

                        

そして、鶏肉と大根・人参・万願寺の煮物。冷凍のブリの塩焼きとなった。

                        

次女が、昨夜に帰ってきたので彼女の弁当用(オムスビ)に鮭を焼き具とする。お菜も持参して欲しい処だが、要らないと云う。オムスビは鮭と梅干の二種。

                   

弁当は、家人とK君自分用の三人分を用意したが、私は今日も昼は外食となりそうだ。昨日の弁当も夜の酒の肴と化したが・・・。(行きつけのソバ屋『高松』で、奈加野の店主、U老と弁当をつつくこととなった)

                         

朝のデザートは、札幌のT女史が贈ってくれたメロン。これが私の帰省中に沢山届いていた。色艶といい香りといい申し分なし。

                                 

それにしても、こんなに沢山送ってくるとは。T女史はメロン農家の後妻にでも納まったのではないか・・・・と、気を廻すこととなる?(余計な勘ぐりをするなと、叱られるか)

 朝から充実した食生活であった。

鮎と手長海老の大は、明日夕に「奈加野」に持ち込んでHiroさんと食す予定。それに、先日失敗の「鮎寿し」にも再チャレンジを試みる所存。

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今日の弁当は・・・

2011-09-01 | Weblog

9/1(木) 今日の弁当は「焼肉」と「焼き鯖」、それに「マカロニサラダ」と定番の卵焼きとなった。残念ながら、今日から長女は夏休で弁当は不用とか。三人前の弁当となった。

焼肉は先週に使った残りの肉、約300gと付け合せにピーマン・シメジ・長ネギ少々。鯖も冷凍の文化干しを一枚。サラダはマカロニと人参・オクラを少々、塩胡椒とオリーブオイルで和える。

                           

お菜はこれでお仕舞いの予定が、チョッと淋しいと卵焼きが追加登板となった。

                           

久し振りの弁当作りのようだが、飯作りは田舎でもやってきた。だが、弁当作りとなると一味違いがあるように思う。何となく力が入るのだ・・・。

Kと自分用は「焼肉丼風」の仕上げとなった。この方が、肉がたっぷりと入る。多分、Kは舌舐めづりをすること間違いなし。それくらい旨いはずだ 

                            

処が昼前、友人のO社長からTelあり。「近くまで来たので、お昼でもどう?」であった。否応もない、弁当はお預けとし二人でランチを摂りながら、あれこれと仕事の話や世間話となった。

お預けとなったmy弁当は、今夜の酒の肴か?(朝に、味見をしておいて良かった・・・)

 

 

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草刈&鮎寿司

2011-09-01 | Weblog

9/1(木) 早や九月となった、今年も残り四ヶ月である。なれど、我が暮らしには何の進歩もなしとは情けなやである。

さて、先週末から昨日にかけての郷里での暮らしだが、これも何時もと同じことの繰り返しだが、一つ違ったのが30日(火)夕方より母校・中芸高校のY校長や校友会の会長・事務局長・同期生との交流会を持ったことである。

在京の同窓会代表幹事を仰せ付かりながら、何の役にも立てないでいる。責めて母校や郷里との情報・意見交換でも行い、情報提供でもできたらいいが、との思い。

奈半利町の「長門すし店」にて懇親会、校友会の会長はこの町の町長をしていた。杯が行き交い、酔った・・・。(奈半利町は、TVでも何度か紹介されている土佐黒潮鉄道ごめん~なはり線の終着駅の町である)

日曜日は蜜柑畑の草刈。妹の亭主で、同級生のHirokatuが途中から手伝ってくれた。暑い最中で、おお助かりであった。帰省中はず~っと暑かった。流石に南国と妙な感心をする始末、それぐらい暑かった。クラクラするような暑さであった。

                              

                           草刈前の状態

              

            手入れ後の畑        無花果に袋掛けを・・     鳥が食べ尽くす無花果

 

              

            シンボルの栗木           栗の下で焚き火           阿寒湖のマリモのよう

畑は、栗の木・枇杷の木・無花果・ソルダムが各一本、柿の木が五本ほどと梅が三本、各種の蜜柑が三十本ほどであるが、何れも大した収穫はなく、ハクビシンや鳥の餌となっている。今年の南瓜だけは豊作だったようで、一本で十五個ほどの収穫。これだけは鳥も獣も取っていかないようだ。

綺麗になった畑で一服する。秋には焚き火で焼イモをして遊ぶ。今年は例年になく柿の実の付きがいい、ヘタ虫に食われずに持ち応えるか?であるが・・・。

                          

                    未だ青い柿           無花果の向うは故郷の山

月曜日の夜中、母が体調を崩して大騒ぎをする。この日、高知市内の病院で予約検診があった。午後1時半の予約が、受診できたのは何と5時前。チョッと酷いのじゃないかと、某院長に文句を付けたかった・・・。そんなことや待合室の冷房で冷え込んだ所為もあったか。

この夜は明け方まで眠れず。翌朝には落ち着いていた容態が、午後になり再び悪化。町の医院へと運び点滴となる。老人が居ると云うことは、こんなことの繰り返しであろう。近所に住まう妹夫妻には、感謝するばかりである。

今回の帰省では、「鮎寿司」を作ろうと思っていた。従兄弟の鮎捕り名人のHiromichiさんが、立派な鮎を届けてくれたので、帰京する前日から仕込み等。昨日の朝早くから、鮎の姿寿司に取り掛かった。

                        

                     格好だけは様になっているが・・・    

処が、失敗!ご飯の炊き方が悪かったこと、鮎の酢への浸け方も悪い。七匹、一年ぶりの鮎寿司は、相当感を鈍らせたようだ。上手く仕上がれば東京への土産にと思っていたが、幻となった。

姿・容はそれなりだが、飯の具合・鮎の香りがしない。それでも、一応は妹夫妻・従兄弟に配り味見を願った。(鮎だけは立派だったのに!)

このリベンジは、今週末東京にて再チャレンジである。今度こそ、だが・・・?

帰京前に畑に行く。幼木の蜜柑の根本を覗くと何と「カミキリ虫」に襲撃されているのを発見。全ての木の根本をチェックしてみると四本が被害を受けていた。宿命とは云いながら・・・。

                        

 何れにせよ、手立てをするのは次回となる。無農薬栽培なるか、はたまた・・・?

                          

                             この木です

 

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