オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

草刈

2012-07-18 | Weblog

7/18(水) 昨日の午後、高知から帰京して会社に顔を出した。夕刻からは、例の如くに安酒を飲みながらスタッフと雑談をする・・・変わらない日々と云うか、締まりのない暮らしと云うべきか。兎にも角にもoyajiは酒を飲むのであった。

高知では、着いた翌日の土曜日が雨。雨の合間を縫って畑の様子を探ると、草の伸びはそれほどでもない。スイカや瓜は植えたのが遅かった所為で延びが悪い。南瓜の方は何個か実をつけているが収穫までには至らない。溝を越えて伸びた蔓は柿木に這い上がり、実が二つぶら下がっている。大豆は葉を繁らしているが実の付きがよくない。

                   

深夜大雨が降る、凄い雨だった。翌日の川は泥に濁った水となっていた。今年は雨が多いとかで、鮎は捕れぬし植物の育ちも悪い。それでも翌日からは回復、降りそうな雲行きであったが持ち堪えた。草刈も順調に行き、無事終えた。

                    

                      山の方から、雨雲が迫る!

昨年植えた「晩白柚」の木は全く伸びていないが、今頃になって花の蕾をつけた。

                   

月曜、火曜と暑くなった。こんな暑さで労働をすると身が持たないが、前日の日曜日に粗方の作業は終えていた。

 

そして、水曜日の今朝。昨夜の酒の所為か、労働の余波か、目覚めても散歩に出る元気なし。いたし方ない、弁当を作ることとした。
とは云いながら、食材もなければ気力もない。ないない尽くしの中で取り掛かった。

メニューは「野菜煮」と「豚小間炒め」が先ず決定。迷いに迷った三品目は、揚げ物用の油が目についたことから、野菜の「掻揚げ」となった。

               

使った食材は、人参・シメジ・タマネギ・インゲン・オクラ・モヤシの野菜さんたちと、豚小間肉であった。三人分の弁当は、何時もどおりである。

                         

 

田舎にいると、飯を食う量が増える。年老いた両親の食が細い分だけ、私の食べる量が増えるのだ。月に一度の帰省なので、飯の準備をするとあれもこれもと作り過ぎる。それに加えて、従姉妹や妹が菜を持ってきてくれる。今回の頂き物のベストワンは、「猪&大根煮」この味が絶品であった。

 

 

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三つ子の魂・・・

2012-07-13 | Weblog

7/13(金) 夜中大雨となった。昨日、熊本から友人のTが上京し日比谷の名門ホテルに投宿した。熊本の雨が凄かったそうだが、彼が大雨を連れてきたのか?

スタッフと一杯やった後、Tのホテルを訪ねワインを飲みながら最近の様子など聞く。彼は地元では事業家として名を成したが、まだ一つやり残している仕事があるという。彼のことだから、それもやり遂げることであろう。九月、熊本は高森町に帰省して鶏や農業を始めるSEIさんのことなどを披露した。いつかどこかで、接点が生まれるだろうと期待している。

そして今朝、ワイン呆けした頭で台所にたった。散歩に出る元気はなし、せめて弁当でもと遅くなった時間ながら始めた。何時までも弁当から離れられない、三つ子の魂百までと云うところか?

今朝は、人参・シシトウ・オクラと油揚げの煮物。烏賊のバター焼き・シメジ・ピーマン添え、豚小間とタマネギの炒め焼きとなった。

              

ご飯が中途半端に残っている。これから炊きはじめると間に合わないので、残り飯は焼き飯とした。具は、タマネギ・ピーマン・ベーコン、塩コショウと醤油がひと垂らしで味付け。

                        

飯が少ないので、今日はKの弁当は勘弁してもらう。家人と長女の二人分の弁当となった。

                  

今夕から、高知に行く。何時ものように両親の飯作りと畑の草刈が待っている。庭の草も伸びているだろうし、池の掃除も欠かせない。火曜日に帰京するが、中三日で何処まで片付くか。天候が心配である。

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強風のため・・・

2012-07-12 | Weblog

7/12(木) 朝から風が強い、今にも雨が落ちてきそうな天候。お天気に負けて、散歩は中止とした。となれば、弁当作りしか用がない。悲しいかな、これがOyajiの現実なのだ。

弁当の準備に入った。冷蔵庫の食材をあれこれ吟味(と、云えるほどないが)し、キッチンの上に並べてみる。小松菜・シメジ・人参・タマネギ・ピーマン・インゲン・シシトウの野菜軍団、挽肉・鶏肉・烏賊・揚げ物などの冷凍食品。これらの中から今日の登板食材を定める。

メニューは、煮物と揚げ物、炒めものに決まった。煮物は、さつま揚げとインゲン・人参・シシトウの和風煮物。揚げ物は、鶏の唐揚げ。炒めものは、小松菜とベーコンのゴマ炒め。それに、もう一つ「挽肉のピーマン詰」となった。

                 

まずは、ご飯を仕掛けて煮物からスタート。鶏肉を解凍してタレと刻みニンニク・生姜に漬け込む。挽肉と刻みシメジ・タマネギを混ぜ込み、つなぎにパン粉を少々、日本酒を垂らして混ぜ込み、フライパンで炒める。

                     

小松菜とピーマンをレンジで1分ほど熱し茹で。ピーマンの中に挽肉などを詰め込み、油を落としたフライパンでひと転がし。残った油はそのままに、小松菜とベーコンを炒め、ゴマを振る。まあ、こんなことで菜が出来上がって行く。最後に、鶏の唐揚げとなる。熱い油の湯あみをし、ニンニクの香りが立ってなんとも旨そうだ・・・。

                 

今朝もお休みのはずの弁当が、三個出来上がった。私は、残った菜と炊き上がったばかりのホカホカの飯で朝食となった。旨くて美味くて、二杯飯となった。これじゃ、昼を抜いている意味がない・・・。

 

明日の夕方から、高知に帰る。月例のミカン畑に遊ぶ、であるが。心配は天候だ、今日あたりから大雨の予想だが・・・。畑仕事だけでなく川が増水すると、旬の鮎も捕れない。愉しみは半減する。

 

 

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夏が来た・・・

2012-07-11 | Weblog

7/11(水) 今週に入り本格的な夏がきたような天候だ。我が社の六階に居るメンバーは、電力節電だエコだとかと言ってエアコンを入れようとしない。私は「電気使わないと東電が潰れるぞ」と電力消費に積極的なのだが・・・。梅雨間の晴天でこれでは、本格的な夏が思いやられる。

今朝の散歩は、碑文谷公園とお手軽・短時間コースでお茶を濁した。朝から暑いのだ。公園に少しだけ在るバラの花がきれいだ。六時半のラジオ体操の時間が近づくと人出が多くなる。その前に退散し、今朝も弁当を作りとなった。

                

弁当の方は、長女が不要とのことで二人前となる。作る数が少ないと、力の入れようがない・・・。簡単に済ませることとした。

今朝のメニューは、「鶏肉と大根・人参の旨煮風」「エビとアスパラ・ピーマン炒め」「焼き鮭」と、至って簡略だった。お弁当が二つでは、こんなものか。K用のごはんの上に載せたのは「昆布とジャコの煮付」だが、昨日の朝に出汁を採った昆布を刻み、ジャコと佃煮風に炒め煮したお手製。Oyajiは、食材を無駄にしないのだ。

           

 

 「訃 報・・・・岩淵さん逝く」

一昨日、OB会のメールで「岩淵 清」さんの訃報を知った。春先に電話を貰い「奈加野で会いたいと、EIKO ママが言ってる。今度一杯やろうよ」そんな話をしていた。何時でもいいので連絡をください、と云ってそのままになっていた。まさか、岩淵さんが亡くなるとは思ってもいなかった。

岩淵さんとのご縁の始まりは、東京駅八重洲口のスナック「グリン」だった。大手町に在った資材局に勤務するようになった後、先輩に連れられて行った店がグリンだった。先輩が顔を出さなくなってからも、私はちょくちょくと行っていた。その店の、KIMIKOママや常連のママの友人中村さん達とすっかり仲良くなった。一番年下の私はやんちゃ盛り、三十数年も前のことである。

その店で、岩淵さんとも知りあった。同じ会社ではあったが、岩淵さんは当時、東京通信局業務管理部調査役だった。そして、EIKOママは、KIMIKOママの姉で赤坂で「トムの店」というスナックをやっていた。八重洲から赤坂へと流れて飲むことも多かった。何時しか、竹林の七賢人を倣った「竹林の五賢人、六賢人」とか称して、一緒に飲む機会が増えていった。私が幹事役でセッチングする店は、渋谷・奈加野が多かった。

私が通信局の係長として転勤した先が、岩淵さんがいた業管部だった。転勤前に、岩淵さんが「ここ(業管部)だけはないだろう」と言っていた部であったが・・・。労務担当調査役であった岩淵さんに、同じ課の新米係長として随分とお世話になることとなった。ひょんなことから、酒場で知り合った仲が長い付き合いを頂くこととなった。

葬儀などは済んだと記された訃報を前に、ご自宅に連絡をすべきか迷っていた。死因は記されてなかった。処が昨夕、郷里の先輩で東京OB会の会長をされているUさんが、人形町に見えた。隣の蕎麦屋「高松」で酌み交わしながら、岩淵さんのことを話した。岩淵さんは、第二の職場を退職された後、日比谷や港地区のOB会事務局に勤めていた。

『彼は立派だったよ、ガンで入院し、出た後は最後まで日常を変えたくないと普通に事務所に出てたよ。潔く往生された』と、話してくれた。これを聞き、岩淵さんらしいなと、納得した。春先に電話を貰った時には、ご自分の病気は分かっていたのかもしれない。連絡を待ったばかりに、永の別離となった。

今頃は、十三年前に逝ったKIMIKOママと出会って「アリさんも、そろそろ来るころだね」と、話しているだろうか・・・。岩淵さんのご冥福を祈る。

 

 

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散歩&弁当

2012-07-09 | Weblog

7/9(月) 何でこんなに早くから目が醒めるのよ?と云いたいぐらいに早くから目覚めた。時計を見ると未だ4時だぜ、夜明け前だ・・・。布団の中で暫く時間を潰す。

5時過ぎに散歩に出た。昨日までとは違って上天気の爽やかな朝、気持ちよく歩く。今朝は、目黒通りを越して田向公園~円融寺のルート。途中の桜並木の下、「クチナシ」の香りに誘われて目を移すと、舗道沿いにクチナシの植え込みが続いていた。何度も歩いているルートなのに初めて気付いたか?

                               

戻りは、立会川に続く緑道を経由した。一時間弱の散歩、とても気持ちのいい朝であった。

帰宅してから弁当を作ることとした。時間はタップリとあるし、使いたい食材もあった。

今朝の弁当は、北海シマエビとズッキーニのトマトソース煮。人参とシメジ・ピーマンも入る。シマエビの皮を剥き、オリーブオイルとニンニクでソテー。トマトを加えて塩胡椒の味付けし、他の野菜が入り煮込む。

                 

北海シマエビは、札幌のT女史から先週末に届き、土曜日に同じ調理方法で試し済みである。これが届くと、思い出すのは過ぎ去りし日、尾岱沼で食した時のこと。小さな観光船で湾に出、新聞紙で包んだこのエビを食べながら見た青い空、大きく広がった帆の打たせ船のゆったりとした姿である。

他の菜は、豚小間肉とチンゲン菜の焼肉のタレ炒め。人参とジャガイモ・ブロッコリーの温サラダである。

                    

以上、三品が今日の弁当メニュー。弁当休止の舌の根も乾かぬ内から、弁当から離れられぬOyajiであった。

                         

 

 

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久々の横須賀

2012-07-08 | Weblog

7/8(日) 週末、久し振りに横須賀を訪れた。生命農法研究会でお会いしたSeiさんに会うことと、もう一つ、横須賀時代にお世話になった横塚さん(元関東自動車・横須賀工業クラブ事務局長)の墓参であった。

横塚さんは、八年前のこの月に亡くなられた。そのことを知ったのは、半年も過ぎてからのことであった・・・。この時も久し振りに横須賀を訪れ、何度か連れていってもらった小さな店から、ご自宅に電話を入れて亡くなられたことを知らされたのである・・・。

坂道にある花屋で小さな花を求め、横須賀中央駅の直ぐ前の高台というよりは崖の上と云うべき場所に在る、日蓮宗「龍本寺」に参った。墓参は一年ぶりであろうか、久方の無礼を詫び頭を垂れた。

                           

墓参の後、待ち合わせたHIROさんとその店を覗いた。なんと未だやっていた。7~8人も入れば満席となるカウンターだけの鄙びたと云うよりは萎びた店である。店主の婆さんは、誰ぞとカウンターに腰を据えて飯を喰っていた。

「なんだい、未だ潰れてなかったか?、生きてるじゃあねえか」と伝法な口を利いて、後で顔出すよと一先ず去った。横塚さんに連れられ、或る時は仲間を連れてこの萎び果てた店で何度飲んだことか。

瀬井さんが仕事を切り上げて来てくれ、三人で焼き鳥をつつきながら飲み始めた。最近の様子や、これからの計画、ブルガリアのバラの谷から日本にやってきたバラの話、と尽きない。

婆さんの店に行こうと、河岸を変える。駅前の裏通り、人通りはまばらだが居酒屋・スナックと飲み屋が軒を並べる様は、昭和も30年代の趣である。その通りから更に路地を入った処が「かすみ」だ。何だか乙女のようなイメージがする店の名だが、戸口を引けばビックラコ、いきなり玉手箱を開けたようなものさ。

相も変らぬ佇まい、この店は30年代を更に遡った昭和の20年代がこんな風か?残念ながら映画の中でしかしらない、その頃はまだお乳しか飲んでないし、酒場も知らない。

『それじゃ待ってるからネ』とか、さっきは調子のいい返事をした婆さんだが、私のことが暫くは分からなかった。それでもいいさ、私には分かっている。いろな思いでもある。

ちょくちょく顔を出したのは十数年も前のこと、それに今日はスーツじゃなくてアロハを着て口髭まで生やしたオッサンである。簡単に分かっちゃ、直ぐに御用にならぁな。それじゃ、オウムの高橋だ・・・。と、訳の分からんことを腹の内で呟いた。

飲む内に昔話に花が咲き、横塚さんが何時も飲んでたウオッカのこと、この店から横塚さんの自宅に電話して、奥さんから亡くなったことを知らされた時のこと・・・漸く思い出したようだ。

究極は、後輩で部下だったkatutaが、婆さんにやり手婆あ宜しく、近所のロシアンクラブやフィリピンパブに2500円だか3000円にしろと交渉させ、一緒に飲みに行ったことまで思い出していた。(僕は一緒じゃないよ、断っとくけど)

すっかり気分が良くなり、松山にいるkatutaにまで電話し、大笑いとなった。滅多にやらないカラオケまでガナル、そんな一夜であったが・・・善い供養となったろうか?

婆さんの歳を訊けば八十五とか、家庭のこと家族のことは前から聴いている。それでも胡瓜やトマトを作り、幸せだそうだ。この夜、客は他に来なかったが、婆さんは元気だった。

俺達も元気に暮らしたいものだ。外に出ると、また雨が降り出していた・・・。

 

 

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雨音が・・・

2012-07-06 | Weblog

7/6(金) 目覚めたのは5時ごろか、少し明けて寝た窓越しに雨音が聞こえる。雨が降っていた。今朝は散歩の後、時間があれば弁当作りのつもりでいたが、外の様子からすると弁当作りに一直線か・・・。

昨夜の残りご飯があるので「炒飯」弁当とした。具は、エビ・タマネギ・ピーマン・人参・シメジである。塩胡椒と中華スープの元で味付けする。

                          

菜は「野菜のカレー煮」である。カレー煮は、人参とジャガイモ・タマネギをメインに出汁を兼ねた鶏肉を気持ち使う。他には、鯖の文化干し、冷凍シューマイであった。

                    

まぁぁ何れも手早く仕上がる物ばかり、随分と早くから弁当が出来上がった。弁当に詰めてみて、スペースがあれば卵焼きでも追加しようと、今朝も三人の弁当を用意する。

                         

詰めて見ると、丁度いい塩梅であった。


糠漬けを始めたので、塩味の利いた茄子・胡瓜を朝から食している。毎朝糠床をかき回し、誰も喰わないので一人淋しく喰っている。塩分の摂取過多だろな・・・。今朝は、人参の漬かり具合が程よかった。

 

昨夜は新宿・歌舞伎町の某所にて八丈会。Tさんが先月で退職、その慰労会も兼ねて、8月の青森行きの打ち合わせ。今さら青森への関心は薄いが、他のメンバーとの兼ね合いもあり意見は差し控えた。

                    

K氏の二次会への誘いを截ち、渋谷・宇田川町へ。「奈加野」のオヤジから前夜に電話もらっていたので顔を出す。ミャンマー募金BOXに小札一枚を入れ『増えてないぜ!』と催促する。と、「千円札がこれだけあって、軽いと持っていかれると困るな?硬貨が余っているので重くしよう」と、なった。

どこぞから、10円硬貨を山のように引っ張り出してきた。しょうがない、入れようとBOXの半分ぐらいまで10円玉で埋めた。「これくらい重ければ、持ってかないだろう」と云うことだが・・・。それでも、硬貨が2千円分ほどにはなったか。

どうせ青森に行くなら、弘前・田舎館村のKawasakiさんに会って来たいのだが・・・。青森でも8月は暑いぜ~。

 

 

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連日の弁当

2012-07-05 | Weblog

7/5(木) 今日も弁当を作ることとなった。明け方より目覚めていたが、散歩に出る元気がなかった。致し方なく、弁当作りに向かった。

昨夜、平成に年号が変る前の上司・同僚との久々の懇談会。新橋のとある店で、昔話や近況の話に花が咲き盛り上がった。集まったのは、在京6人のメンバーであったが、最年長のY理事(当時の肩書き)は今年で喜寿、U部長は古稀になられるとのこと。

                       

M課長が、自作のトマト・胡瓜を持ってきてくれた。無農薬の丹精された野菜を収穫してきたとのこと。新鮮なこのトマトを早速使わせてもらう。胡瓜は、昨夜のうちに一つだけ糠漬けにした。

                          

鶏肉のトマト煮を作る。シメジ・モロッコインゲン・人参が入り、ニンニクとオリーブオイルを使った。

                          

他には、ホーレンソウとハム・・卵の炒め物。小エビとシメジ・アスパラ・モヤシ・ピーマンの炒め物となった。

                          

これで、三人分の弁当が完成となる。最後に、琵琶湖で産湯を使ったAoki君が持参した、地元琵琶湖産の稚鮎の甘露煮をご飯の上に載せた。

                   

右の写真は、高知の道の駅「ヤッシーパーク」で買った“ヤマモモ”である。関東でも街路樹などとして見掛けることがある。子どもの頃、木に登って採ったものである。渋谷の奈加野のオヤジや店長の郷里の先輩に届けようと、とってあったが果たせない。焼酎付けにすると綺麗なので、その予定。

 

今夜は八丈会。会長的存在のTさんが、先月Nグループの会社の社長を退任されたので、今回はその卒業祝いと云う趣旨。八丈島に行く会なのだがここ何回かは、行き先が違った。今年は、青森に行くそうだ。暑いね~・・・。

 

 

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弁当

2012-07-04 | Weblog

7/4(水) 今朝は駒沢公園までのコースを一時間弱の散歩。雨上がりの緑道を行くと、風が吹き抜ける度に雨粒がぱらつく。今の季節、咲く花も少ない。それでも早朝に歩む緑の小道は気分がいい。

                     

途中、妊婦の散歩連れに出会う。思わず自分の腹に目が下りた、ご愛嬌とは云いがたい。

五時過ぎに家を出たので、帰り着いてからも時間はタップリとある。それに、散歩に出かける前に炊飯器を仕掛けておいた。夏場の趣旨に反し弁当を作ることとした。

弁当は暫く休止の誓いにも拘らず、早々に弁当を作ることになったが、何事にも柔軟性が大事。朝令暮改と変更・変心は世の習い、臨機応変、三つ子の魂百までも、である。

実は、昨夜のうちから弁当作りを目論んでいた。早めに地元駅について、線路沿いに帰宅のすがら閉店間際の総菜屋の呼び込み「全品半額・半額です」の声に引かれて、トンカツを買った。この店は、8時過ぎが2~3割、8時半から閉店の9時までは5割引セールなのだ。

この半額トンカツで「カツ煮」を作ろうと目論んでいた。会社の隣のソバ屋「高松」のカツ丼やカツ煮が滅法旨い。この旨いカツ煮をイメージしながら弁当の菜にしようと云う次第。

                        

トンカツは有るし、後は出汁の加減だけである。作り方は至って簡単なのだ。カツ丼弁当にする手があるが、家人は嫌がる。そこでカツ煮なのだ。となれば、他の菜も欲しい。

「根菜の煮物(大根・人参・椎茸)」と「ミートローフとシメジ・ピーマン炒め」「鯖の燻製焼」をお供にした。鯖燻製は、会社のU老がご推奨する酒悦製である。U老が、騙されたと思って一度食べてみたら、とくれた代物。

              

変り映えもしない、そんなラインナップの弁当作りである。実に簡単に出来上がった。今日はKにもカツ丼弁当を持参することとした。私は、今朝の散歩で妊婦の腹を見て我が腹に目が行くような体たらく、当面は昼飯は抜きの日々である。

                                   

 

 「昔話で花を咲かそう・・・」

今夕は、26・7年前に職場を同じくした方々と会う。本社でユニホームの調達などを担当していた頃なので、昭和も終ろうと云う60年代に職場を共にした、上司や同僚である。

この中のお一人、Yさんとは仕事が異なる、行官庁から見えた方である。来られた当初は、隣のシマに一人で待機して居られた。私たちの部門で飲み会をやる時は声を掛け、すっかり仲良し組みとなった。

我々が「役人は・・・云々」と言うと、『電電の方が役人よりずっと官僚的だよ』と具タ例を挙げて訂正された。洒脱さと洞察力、分析・提言・行動の大人であった。私たちは、その人柄に惹かれて、一層親しくなった。その後、電話業務抜本改善チームのトップを務められた。現在は、地元でシルバーボランティアをされながら悠々の日々とか。

今回の呼びかけをしてくれた先輩のMさんは、百姓仕事で忙しいとか。退職後の野菜作りが嵩じて、講師役だった農家から助っ人を頼まれて本業になりかねないような様子。情熱・実践・緻密・戦略と三拍子・四拍子が伴った凄い方である。「仕事が出来る人」という言葉がピッタリのMさんである。私が今の仕事に就いてからも、幾度お世話になったことか。

歌と酒を嗜む部長だったUさんは、数年前に大病をされたと聞く。すっかり快復されているようなので、美声が聴けるかもしれない。この他、同郷で大声が特徴のIさん、「花のニッパチトリオ」と勇ましく六本木辺りを徘徊していたT君が、今宵のメンバ-。

残念なのは、トリオの一角を占めながら、鳶に油揚げを攫われ役だったK君が松山市と遠方のために来れないとか。

またしても、昔話で花が咲くか・・・。夏場の花の少ない時期、せめて昔話で花を咲かそう。

 

 

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朝の散歩

2012-07-02 | Weblog

7/2(月) 今朝から、弁当作りを休止して散歩を再会した。此処のところ歩いてないので新鮮な気分である。雨は上がっているだろうと思って外に出ると小糠雨。

時間を間違えて四時過ぎに目覚めたままで過していた。時間はタップリとあるので体操などをして様子見をする。暫くしてから歩き出す、一寸肌寒いくらいの気温、初日の今朝は45分程の散歩で切り上げた。

散歩中に考えたのは、昨夜の鶴田君の奥様のお通夜のシーン。人伝に耳に入ったのは、ガンで入院し、一ヶ月ほどで亡くなられたとのことである。彼の自慢の奥様であったが・・・。

話は飛ぶが、通夜の後、学生時代からの腐れ縁が続いているHosokawaがこの近辺住んでいるはずと携帯に連絡した。処が、全く違っていたばかりか「さっき富山から帰ったとこだ。オヤジが二週間ほど前に亡くなり、その後始末やお寺さんとの往き。葬儀は身内だけで済ませた」と云う。

Hの親父さんとは、一度だけ顔を合せている。入学する一年生ばかりの下宿。そこにHを伴って来た。入学式に先立ち、早やめに下宿入りしていた私は名主面で親子を迎え、二十歳前ながらも一緒に酒を飲んだ。(二度か、Hの結婚式で会っているはず)

その時の親父さんの顔をだけは記憶にある。近年は介護が要る暮らしながら、昨年には米寿を祝ったと聞いていた。私の親父と同い年、仕事も同じで田舎の郵便局長をされていた。

確かに時代は、時は流れている。我々は、私は、何処に、どう流れて行くのか・・・命あるものは、容あるもの総べて消滅するはずだが・・・。

粉糠雨に冷えた体を風呂で温める。時間はまだまだ有ると、弁当は作らないが、お菜を作ることにした。トンカツ、豚肉と椎茸カツを作り、人参とポテトの素揚げ。キャベツを千切りにし、卵焼きを作った。後は勝手に持ってけ、である。

朝食用にハムと目玉焼きを用意して朝の活動が終わった。
今日は、7月の第一月曜日で30分早出の日、会社の全体ミーティングである。今月で、28期の決算となる。どう云う結果か?訊くな・・・。

それにつけても、弁当写真がないblogというのは面白くない、気が抜けている!

 

 

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