オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

500円で・・・

2017-01-12 | Weblog

1/12(木) 昨夕、私より幾歳か若い友人のHAMANO君が人形町に寄ってくれた。会うのは二年ぶりくらいになろうか・・・。彼を含めて、津田沼の独身寮に暮らした6~7人で以前はよく会ったものだが、転勤や退職などで住・職の環境が大きく変わり、皆が顔を揃えることはもうないだろう。あるとすれば、俺の葬式(そんなものは止せと、言い残すつもりだが)がある時ぐらいだろうか・・・。

HMANO君と知り合ったのは昭和の47年か8年のことだ。独身寮の中でなく、江の島ヨットハーバーだった。この夏、ヨット部が主催する教室が二泊三日で開かれており、そこで同じ寮に居ることが分った。それ以来の付き合いなので、四十年以上になる。職種も職場が違う違うのだが、縁と云うやつは不思議なものだ。

一週間前、ローカーボのカウンターでハイボール飲っている時のことだ。居合せた常連の一人が、サラリーマンの小遣いついて話を始めた。小遣い銭の多寡についてだが。

独身の彼等は相当な額を消費しているはずだが、不自由を言い始めた。その時に『俺の友人で一日500円で賄ってる男が居るぜ』と。それなのに奴は不満も言わず、酒もタバコもやって愉しんでるよ、と口を挟んだ。要はお金の多寡じゃなくて、生き方だろうと・・・。

異口同音に「嘘でしょう! そんなんじゃ何もできない、飯もコーヒーも無理じゃない」と、信じない。本当だよ、じゃ来週奴を呼ぶから訊いてみなと、その場でHAMANOに電話を入れ、遊びに来るように約したのだ。彼から、日500円小遣いのことを聞いたのは二年前か。一緒に飲んでいた仲間も最初は信じられなかったが、その暮らしぶりを聞いて得心した。

彼は若い時から小ジャレタ男で、音楽も飲むものも拘りがあった。そんな男が500円暮らしを苦にしていない・・・。置かれた環境の中で楽しんでいた。曰く、ウイスキーや焼酎は業務用スーパーの4㍑ボトルを、タバコは安いのを二日に一箱。おまけに朝食の食パンまで安売りで買い置き、自分でトーストにすると云う。

ランチは、これも業務用スーパーのカップ麺などを買い置き、時たまコンビニでオムスビを一つ買うことがあるとのこと。そい聴きゃ、納得できる。が、感心するのは、その暮らしを嫌がってない、卑下などまったくしてないことだ。まあ、カミさんに絞り取られているだろうが、家族の状況を理解すればこそのことだ。

一番困るのは職場の歓送迎会などの飲み会だそうだが、こっちの方は、旅費日当を積みたてて対応しているとのことだった。

偉い 素晴らしい男の中の男そう誉めてやりたいネ。その彼が、仕事帰りの午後六時、人形町にやってきた。ジャケットにネクタイまで締めて。先ずは「うまし」で、刺身などを摘みに温めの燗酒で始まった。仕事のこと、家族のことetc、昔話に誰それの消息と話すことは決まっている。当然500円暮らしのことも訊くさ・・・・。

『お前さんさぁ、俺も〆ないネクタイまでしちゃってさ。どうみても500円亭主じゃねえよな』と云うと「このネクタイ、300円なんです!」ときたよ。参りました、降参  。僕は、彼の徹した姿に感心する、立派だと思う。俺なんぞは、とてもこんな暮らし方はできないだろうが、してみたいネ。憧れるよ。

500円は500円でも、オイラの場合いは五百円玉貯金だもな・・・・・。こんなの止めて、毎日HAMANOに一枚遣った方が生きるか?ご利益あるかも。

「うまし」から「高松」へ、高松では金魚割と小ソバを紹介した。そして「ローカーボ」へと。処が居たのは、うちのAOKIと近隣会社の若手NAKAE君だった。肝心の連中が居ない。ハイボールとワインを飲み、最終コースの「ちょっぷく」へ。ここでも白ワインを飲んでから、酒飲みたくなったら何時でも寄ってよと、帰路についたのであった。

                             

昨夜はちょっと飲み過ぎたか、今朝の目覚めは六時前。喉がカラカラに乾いていた(今夜からマスクしなくちゃ)。読みさしの文庫本が枕元に転がっていた、途中で眠ったのだろう。スタンドも点いたままだった。

 

さあ~弁当だ、今日は二人分。何にしようかと考えながら台所へ。先ずは煩く纏わり付くネコのミーコに餌を、そして水を代えてやる。

野菜は「ホウレンソウ炒め」に「豚バラの白菜挟み煮」、揚げ物は「ホタテと小椎茸のフライ」、自家製西京漬け焼(昨日は粕漬けだ)と、卵はてっとり早くスクランブル風に、フライで使ったパン粉・溶き卵・小麦粉の残りをチジミ風に焼き、朝の遊びはお仕舞となった。

                 

 

 

 

 

 

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港・横浜・・・

2017-01-11 | Weblog

1/11(水) 昨日の午後、横浜は関内駅からすぐの処に在る某社を訪問。久々の面会となる社長から、最近の事業動向を聞き、弊社の「ICT教育ニュース」のPRなど。につづいて、かつての仲間のことや来し方行く末について談笑するうちに時間が過ぎていった。

社長の名はHASEさんと仰るが、横須賀の研究所でご一緒した。後輩のKATUTA君やTERASHIMA君の動向を問われ『先月、KATUTA君が上京したので一杯やりましたよ』と応え、両君の様子を話して笑い話となった。こんなこと話していると時間が尽きない。

携帯の音で、次の約束時間を過ぎているのに気付く始末。HASEさんとの面会後、関内駅改札でK大兄と待ち合わせていたのだ。とんだ失態であった。早々に暇乞いをして、駅へと駆け付けた。

酒場が灯を点すまでの一時間ばかりを、港を散策することに。日本大通りから大桟橋へと向かった。ランチや観光船の繋留する波止場から、大型の客船が留る大桟橋に至ると、瀬戸内のクルージングに出向するニッポン丸の姿が在った。大桟橋をひと回りしながら、港・横浜の風景を楽しんだ。

ニッポン丸と向こうのビルの谷間に、丁度夕日が落ちる時刻と重なった。金色に輝く夕日が眩い、そのシーンを狙ってシャッターを押す姿を散見する。釣られて私も一枚・・・・。

                  

港を経た向こうに”みなとみらい地区”が、ランドマークタワーや、何度か泊ったことがある三日月形のホテル「インターコンチネンタル(前は違う名だったが)」を眺め、船のデッキ風に設えた大桟橋の板張りの上をゆっくりと歩き、港の風景を楽しんだ。

                  

最後にこのホテルに宿をとったのは、親父が上京した時なので七・八年前のことか。三年前か、隣のイベントホールでの展示会の挨拶後、このホテルの中華レストランでランチを摂った時はスタッフのITO嬢が一緒だった。一番最初に使ったのは、広告会社に出向していた折に部のメンバーを招集し、会社の在るべき姿をディスカッションした時なので四半世紀が経つ(斯様に生真面目な時代もあったのだ)。

海を隔てた光景を前に、来し方の四半世紀の時の流れを反芻していた・・・・・。

夕暮れの中、「少し陽が延びたようだね」と呟く大兄とともに、今宵の酒場を求めて馬車道へと向かった。口開けの客としてカウンターに腰を落ち着け、ぬるめの燗酒を口にしながら森羅万象を拝聴する・・・・・。気持ちのいい、午後から宵であった。

 

そんな爽やかな前夜の所為か、今朝と云うよりは夜中に目覚めた。どこぞの役所を、かつての上司や部下と訪問し、陳情なのかクレームなのかを伝えに行っていた。侵入者を遮る如くに、玄関入り口に什器類が積まれている。何故か灰皿が置いてあった。タボコを吸っていた私一人が遅れ、狭い役所の事務所内で先行した皆を追っていたが、みつからない。そん夢から醒めたのが午前三時過ぎとは、時計を見るまで知る由もない・・・・。

目覚めた以上は仕方ない、枕元に置いていた文庫本を手にした。今、読んでいるのは京極夏彦の新シリーズ「書楼弔堂」なる文庫本。京極の本は文庫でも厚い、この厚さが読むにいいのだ。時間を要する、時間潰しには持って来いながら、文章展開がいい。

そんな次第で、台所に入ったのは六時。今日は残りご飯があるので「焼き飯」、菜は「豚ヒレ肉のソテー」、これにマッシュルームとシメジのオリーブ炒めを添える。

                         

野菜は「ブロッコリ&スナップ」、小松菜と土佐天の煮物。自家製「ギンダラの粕漬け焼」、小松菜の卵とじ胡麻炒め。以上であったが、弁当は今日も一つである。嗚呼!

                            

 

 

 

 

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陽気よし・・・

2017-01-10 | Weblog

1/10(火) この三連休、日曜日は午後から雨となり寒かったが、概ね陽気よし。夏の最中、今年の冬は寒いとかの長期予報だったように記憶するが、気配は未だない。暖かい所為か、私が百個ばかり吊るした干し柿の出来栄えがよくない。甘味が少ないのだ。

おまけに、干し具合がよくなと従姉が捨てようとしていたのだ。百個の渋柿の皮を剥いて干す、指を柿渋で黒くしながら悪戦苦闘した俺の苦労も知らないでだ。丁度帰省中だったので、慌てて回収して吊るした。干し具合は十分とまではいかないが、それなりの干し柿に仕上がってはいる。その証拠に、干し柿好きな「ちょっぷく」のYAMAちゃんに揚げると喜んで食べていた。

天気が良いと、陽当たりのいい事務所はポカポカになる。これに暖房が入るので、ワイハにいるような気分だ。移転祝いに頂戴した胡蝶蘭が目の前にあるので、まさに南国気分といいたいところ。これで売り上げが上るようならノー天気オヤジは完全にボケるな。敢えて、俺のボケ防止の為に売り上げを抑えているのかも?

そんな与太はさておき、先週末、金曜日の午後、TUGAWAさんと二人で黒田君の墓に参った。雑巾まで持参したが、お寺の水汲み場にあった。墓を拭き、花を飾り、ワンカップを供え、線香を灯して掌をあわせた。ご遺族による三回忌は、親族の都合で年末に済ませたとのこと。この日は、二人での三回忌である。

                                            

寺を後にし、バスで夕暮れが迫りつつある渋谷に出た。井の頭線沿いの焼き鳥屋に入り、黒田のことや森羅万象に触れながらしみじみハイボールを飲んだ。俺たちが元気である限り、一月七日の前後にはこんな儀式がつづくことだろう。願わくば、この儀式につづくメンバーがないことだ。

 

日曜日、碑文谷公園であった”どんど焼き”に火が点くの見てから、奈加野の店主と平和島に向かった。謂わずと知れた舟遊びである。この日が最終戦になるので、荒れないだろうな?なんて喋りながら。競馬の金杯は、外れた。今年も博打の勝ち目はなさそうだが、YOSHIO曰く「今年は二人とも運気が良い!」と。どこぞの八卦見が書いたものでも見たか、当たるも八卦当たらぬも八卦。悪いと言われるよりは気分がいい、そんなとこだろう。

生まれて此の方、八卦見の世話に三・四度なったが、悪いと言われたことはただの一度もないのだ。所詮千円札一枚の運勢なんだ、こうして生きているだけで、善しとすべきだろう・・・・・。これ以上求めちゃ、バチが当ると云うもんだ。

平和島では五レースから十二レースまで参戦したが、獲れたのは最初の一レースだけ。俺の運などは、こんなものだろう。店主の方は、ご丁寧に全部外したとボヤキ こんな塩梅で、優雅な三連休となったが。老母からの電話「あたしは長くなさそうだから、遺言で言っておきたいことがある。一度戻ってきてちょうだい」が。

一週間前に帰京したばかりなのだが、こんなことだ。仕方ない、週末にでも帰省するかと思っていたら、夕方になって従姉からの電話「伯母さんは元気、元気。昨日、親戚が来て長々と話したのでだれた(疲れた)がよ」とのこと。毎度のことで疲れるが、かといって心配は心配だ・・・・。

 

優雅な連休明けの今朝の弁当は、一つ。家人の分だけなので、軽めにする。

                            

「ホタテ&椎茸のソテー」と「ホウレンソウの胡麻和え」、鮭焼きと、ホウレン草の出汁巻卵。それに前夜に炊いた「大根煮」を添える。以上である。

                          

今日の午後。横浜に在る某社・社長を久々に訪ねる。初夏に会社が事業統合されるとの案内を貰ったので、それへの挨拶など等、この訪問後は、横浜在住のK大兄にお会いして新年のご挨拶と新年会か?

横浜と云えば、松の内が明けた八日、郷里の大先輩・藤谷敏郎さんが暮に急逝したとの葉書が届いた。年末に急性肺炎で亡くなったとのことだが、元気な姿で一献交わしたのは秋口のことだった。それだけに驚いたが、落ち着いた頃合いに先輩方と墓参することになろう。 合掌。

 

 

 

 

 

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命日

2017-01-06 | Weblog

1/6(金) 早や週末を迎へ、未だ松の内ながら正月気分などはとうにない。明日、七日は黒田陽一郎君の三回忌となる。彼が亡くなって早や丸二年ということだ。元気な男だった、夕方になると湯呑茶碗に酒を汲んで飲みながら仕事しでいたが、大酒のみではなかった。彼がいなくなって、会社に置いてある酒が全く減らないのだ。減らないのも困りものだ。

その黒田の三回忌を、一日早くHIROさんと二人でやる。午後、成城学園から歩くと二十分ほどの処にある寺に参る。墓を浄める雑巾は持った、お線香も有る。酒はワンカップがいいだろう、これと花は成城学園の駅前で整える予定だ。

チームをまとめて何かをなすと云うタイプじゃなかったが、行動力旺盛で機微の判る男だった。それがクライアントからの信頼と、好感を得ていた。可笑しく、面白い男だった。そして何よりも潔い男だった。

踊り場にいると思った頃に、彼に言ったのは『子供も大きくなるだろう、五十代なっても同じことをやってるのか。オーダーされたものじやない、自分たちが発信するビジネスを考えろよ。何時かそうなろうぜ。』だったが、あまりにも早く逝った。

君が居た事務所は、よんどころなく去年の晩秋に移転した。君が座っていた席もなくなった。君が大きくしたした仕事は、今もつづいている。今日の午後、その担当の方が新事務所を視察がてらに来社するとのことだ。君の命日を明日に控え、これも何かの因縁か、否、命日を明日に控えているからこその来社だろう。君はお客さんに好かれたからね・・・・・。

                                                        

そんなことで、今日の午後、一年ぶりに黒田君の墓に詣ります。

 

今日の弁当は、牛小間煮(焼き豆腐・糸蒟蒻・タマネギ・白菜)、シャブ豚肉のポン酢和え、ギンダラの照り焼き、卵のスクランブル風。

                       

以上である。ご飯は福井産米を土釜で炊いた。

                     

 

 

 

 

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仕事始め&飲み初め

2017-01-05 | Weblog

1/5(木) 昨日は平成29年の仕事始めの日。かといって、感慨もなければ意気込みもない、365日のうちの一日にすぎない。仕事始めと云うやつを、かれこれ46・7回はやってきたのだ。厭きもせずにと言われさうだが、正直言って厭きたな!創造や発見のある日々とは遠くなってしまった。それが現実だ。

そんなことを云いながらも、社内の年始会では、スタッフに今年の抱負などを語って貰う。矛盾しているように思えるかもしれないが、そうではない。若い人たちには夢や希望、目指すべきものが必要だから。それを聞き、目標を再確認させて背を押すのはオヤジの務めだ。

昨夕の年始会でもそんな話を聞いた。一人一人が語ったことがどれだけ実現できるのか、したのか、それは年末の納会で訊くことになるが、真摯に取り組む者への実現の為のサポートは惜しまない。しっかりとしたプロセスがあれば良い結果が生まれる。プロセスのない結果には、本当の果実は稔らない。

今年、社内における私自身の役目は「ただただ、見守る」それだけだ。必要なことはこれまでも散々伝えてきたと思っている。大人に対して、これ以上箸の上げ下げまでを云うのは失礼だ。夫々の自主性、主体性、創造性に委ねるのみ。

そんな訳で、今年はこれまで以上に社内に居ないようにする。さて、老兵はどこへ行くか・・・・。

正月らしく目出度い話ではないが、毎年頂く年賀状。この中に「今年をもって、賀状は失礼させていただく」というものが時々ある。今年は特に多かった。さほどの年齢でもない方の中にも、そう云うものが出てきた。加齢でとか、ボケがはじまりとか、或いはそろそろ始末を付けるためにとかある。そういう方に、こちらの一方的な思い(私の場合、生存証明書代わりなのだが)で賀状を出していいものか?其処が悩ましい。

翻って、己がそうした場合いはどうなのか。年賀状頂き、様子を知って喜びはするが、申し訳ないの思いが募るだろう。楽しさと申し訳なさ、合い半ばか?

年末のひと時、疎遠な方の顔を思い浮かべて。或いは頂戴した賀状を見ながら、その方のことを、その当時のことや現在の姿を思い浮かべる・・・・・、一年の風物詩とも云えるのだが。

 ― 飲み初め -

社内での軽い新年会の後、界隈の店にご挨拶がてらの飲み初めとなったが。処が店が開いていない、市場の初競りは今日なので魚を扱う店が開いていないのは判る。処がそういう店でなくても開けてないのだ。暮れは遅くまで開けたらから、正月はゆっくりしようと云うのか?

我がパトロール範疇の店で開いていたのは「ちょっぷく」だけだった。そんな次第で、折角新年の挨拶を、と思いながら果たせたのはYAMAちゃんとこだけだった。

新年と云うので、頼みもしないのに日本酒を散々振舞われた。そうこうする内に悪徳ちゃんが姿をみせ、ローカーボのマスターまでやってきた。ちょっぷく助っ人隊の面々と一緒に新年会もどきとなった。

                      

珍しく日本酒オンリー、白ワインはチェイサー代わりとなった。盛り上がっていたが、門限の22時を過ぎた頃合いには退散した。帰宅は23時過ぎか、冬の夜風が寒かった。街が賑わいを取り戻していないこともあるが。

 

では、今日の弁当だが。今朝は残り飯があったので「焼き飯」にしようと・・・。処がいつの間にか「炒飯」になっていた。鮭入りの炒飯である。

                            

菜の方は「豚ロースの粕漬け焼」「ヒレ肉とホタテのフライ」「シャブ用豚肉の素揚げ(ポン酢味)」と「パスタ&野菜(タマネギ・キャベツ・パプリカ・スナップ)のサラダ風」、以上である。

                          

本日と明日は二人分のお弁当だ。よかった

                         

 

 

 

 

 

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弁当事始め

2017-01-04 | Weblog

1/4(水) 今日が今年初の弁当作りとなる。斬念ながら、その記念すべき事始めの弁当が一つとは・・・・。とは云いながらも、事始めの弁当である。

今日は年末に頂戴した福井産のお米を炊くことにした。敬意を表して土釜にて炊く。初めての米は水加減の塩梅が難しいのだが、そこは長年の勘と云うやつで・・・・。

                             

菜の方は、年末に買ってある牛小間、これを炒めることに。付き添いは、スナップエンドウとタマネギで、これを塩胡椒で炒めた。旨い牛小間は塩胡椒でいいのだが、今日のやつは値段の割には旨味が少ない(日山も味を落としたか?)。そこで、取って置きのプルコギのタレを使うことになった。不思議なことにこいつが入ると、どんな肉でもOkの味になるのだ。

魚系は自家製の粕漬け「ギンダラとホタテ」を、アルミホイルに包んでフライパンで蒸し焼きにした。後は、定番の卵焼きを出汁巻風に。そして昆布佃煮をお供にする。

                              

以上であるが、ご飯の方は炊きあがりを見て水が多かったかと思いきや、混ぜて暫くするといい塩梅であった。味の方は、コシヒカリの割にはあっさりとしている。家人曰く「福井のコシヒカリは冷めた後で粘りがある」とのこと。彼女の地元だからね!

                             

と、斯様な次第で今年の初弁当は淡々と出来上がったのである。

 

 

 

 

 

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年末始の過ごしかた

2017-01-04 | Weblog

平成29年1月4日(水) 年末始の休暇もあっと云う間に過ぎ、今日から仕事始めとなった。齢を重ねるごとに、正月と云う改まった気分にならないのはなぜだろう? 多分、いい加減に時をうっちゃっている由であろうが。

今日の弁当事始めの前に、如何に優雅なる年末始を過ごしたか、面白くも無かろうが紹介する。

仕事納めの翌日、12/29日の夕方の便で帰郷した。16時15分発のANAは、16:30分に出発と例によって遅れての離陸。夕闇と云うよりは、闇の迫った高知空港には妹夫妻の出迎えと、何時もながらの光景ながら有難い。

実家へと向かう一時間ばかりの車中での会話も『変わったことはないか?文旦の収穫はどうした・・・』とか、これも何時もながらのこと。これまたありがたいのは「車の洗車と墓掃除は済ませたから」と。正月用の買い物は翌日にしようと、真っ直ぐに帰宅。

従姉が来て老母の世話をしていた。母は一昨日から左膝の関節が痛いと、歩けなくなっていた。そればかりか、子どものようにイタイ痛いと騒ぐのだ。この日の晩飯はパス。羽田空港に在る「丸亀製麺」で、かけウドン&親子丼と云う重い飯を喰ってしまったのだ。〆て六八〇円であったか。親子丼390円のメニューを目にし、我慢ならずにオーダーしちまった。おいら、親子丼が好きなのだ!

翌三十日、正月の用意をする日だ。従姉が来て、注文しておいたお餅を引き取に行ってくれる。オイラと妹夫妻は、安芸市まで正月用品の着物に出掛けた。ス-パーマーケット・ランドにて年越しそば・野菜・しめ飾りなどを購入。それから寺尾鮮魚店に廻り、刺身(ヒラメ・ブリ)を買う。これは今夜の晩餐用だ。

最後に花店の「一圓」に寄り花を買うのだが、なんと殆ど残っていない。これじゃ、お墓に飾るだけでも厳しい。あらためて従姉に頼むことになった。午後からは、お札の張り替え、しめ飾りや鏡餅のお供え、床の間の軸の架け替えと・・・。そして、お墓に参って花を飾る。畑の蜜柑を若干収穫。こんなことをしている内に、晩飯の用意だ・・・。

                       

今夜は、刺身と東京から持って行った「ハラミ肉」の焼肉がメインと簡単である。早々、肝心なのが「鮎飯」だ。先日の寄居・京亭の鮎飯にならって炊いてみた。濃いめに出汁をとり、鮎は焼かないで生のままで釜に入れた。親戚のKATUOも呼んで四人での夕食だったが、鮎飯は妹のとこへも届けた。この鮎飯、味は上々だったが、飯が固すぎ。前回の柔らかすぎを意識し過ぎたか?

そして大晦日を迎えた。この日は正月の準備と言っても、食い物の方だが。根菜の煮物、年越しそば・雑煮用の出汁を採り、大根・人参を花弁にする。斜向かいに住む従姉が、このひと月、体調が悪いと云うので、晩飯の菜を早目に作り、裾分けだ。菜は、ピーマン肉詰め・ハンバーグ&野菜天麩羅など。

親戚の男が魚釣りに行ってマグロの子供を一匹持ってきた。これを刺身と大根の粗炊きにする。年越しそばと、盛り沢山の菜で今年の喰い納めとなった。11月に吊るした干し柿を三十個ほど仕舞った。今年は暖かい所為か干し柿の出来栄えが今一つだ。

大晦日は、正月用の食い物の準備で終わったようなものか・・・・。こんなことで、一年が終わって、締め括っていいんだろうか?

そして元旦を迎えた。雑煮を準備し、神様仏にお供えをする。神様には、塩・酒・水を。仏様にはお膳を供える。老母は相変わらず寝たままなので、蒲団に入ったままで雑煮を食べさせた。「ありがとうありがとう、すまんねぇ」なんてこと言うので『つまんねえことを言うなよ』と叱る。

元旦・二日目と従姉や姪・甥が姿をみせてくれる。土佐ならではの「皿鉢料理」(仕出し屋に頼む)で一杯やり、あれこれとおしゃべりをして一日が暮れる。二日目の番は「スキ焼」をしたか・・・・。何れにせよ、連日の飯攻めだ。これが体に良いわけないな・・・・。正月に一升壜は一本半、缶ビールは一箱空いただけだ。親父が生きていれば、この三倍以上はいっただろうに・・・。

そんなことで、三日目の朝八時半に実家を後にし、高知空港へ。13時には自宅に着いた。アッいう間の年末始と云う次第。

今年の弁当については、後程!       

 

 

 

 

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