私はマンガを読みません。
そんな私に、夫や娘が「これなら読めるやろう」と、
薦めるものもありますが、手にとってはいません。
昔、母方の祖父母が書店を営んでいました。
古書、雑誌、貸本、そういったものを扱っていました。
私と弟は、月に一度、『小学○年生』をもらいに通っていました。
その時には、店番をするおじいちゃんの横に座り込んで、
貸本の気持ち悪いマンガを只読みしたものです。
雑誌は、
売れ残ったら返品するというのをずっと後になって知ったのですが、
おじいちゃんはマンガ雑誌を何冊か私のために残しておいてくれ、
小学○年生と一緒に手渡してくれました。
月に一度しか行かないものだから、
月刊で読みきりのお話は完結して読めるのですが、
前後編になっているものは半分しか読めません。
後編なら「前号のあらすじ」で推測することもできるのに、
なぜか、私が読めるのは前編ばかり。
そして、週刊の連載ものとなれば、泣きも笑いもできません。
しかし、私の想像次第で、どんな風にも締めくくれました。
小中学生だった私には、
続きを買い足して読もうという考えは浮かびませんでした。
そこで私に刻み込まれたのは、
『マンガは自分でお金を出して買うものではない』
という考えでした。
あるものなら読むけど、強い興味の的ではなかったので。
高校生になったら、友達はマンガを回し読みしていました。
私はそこにも入りませんでした。
幸い、それが友達を減らす原因にはならない、
個人の考えを尊重する風潮の学校だったと私は思います。
そんな私が、
お金を出してマンガを買ったことがありました。
夫と付き合っていた頃、
どんなタイミングだったか忘れましたが、
『有閑倶楽部』の1・2巻を彼からもらいました。
続きを読んでもいいかなと思ったので、3・4巻を買いました。
しかし、そこまででした。
結婚して数年間、
我が家には『有閑倶楽部』が1~4まで2冊づつありました。
娘の小学校の古本市に各1出品するまでは。
結局のところ、理由ははっきりしませんが、
私はまた、マンガを読まなくなりました。
うちにある膨大な(私が思うに)マンガは、
夫と娘が管理しています。
そして、彼らは仲良しです。
そんな私に、夫や娘が「これなら読めるやろう」と、
薦めるものもありますが、手にとってはいません。
昔、母方の祖父母が書店を営んでいました。
古書、雑誌、貸本、そういったものを扱っていました。
私と弟は、月に一度、『小学○年生』をもらいに通っていました。
その時には、店番をするおじいちゃんの横に座り込んで、
貸本の気持ち悪いマンガを只読みしたものです。
雑誌は、
売れ残ったら返品するというのをずっと後になって知ったのですが、
おじいちゃんはマンガ雑誌を何冊か私のために残しておいてくれ、
小学○年生と一緒に手渡してくれました。
月に一度しか行かないものだから、
月刊で読みきりのお話は完結して読めるのですが、
前後編になっているものは半分しか読めません。
後編なら「前号のあらすじ」で推測することもできるのに、
なぜか、私が読めるのは前編ばかり。
そして、週刊の連載ものとなれば、泣きも笑いもできません。
しかし、私の想像次第で、どんな風にも締めくくれました。
小中学生だった私には、
続きを買い足して読もうという考えは浮かびませんでした。
そこで私に刻み込まれたのは、
『マンガは自分でお金を出して買うものではない』
という考えでした。
あるものなら読むけど、強い興味の的ではなかったので。
高校生になったら、友達はマンガを回し読みしていました。
私はそこにも入りませんでした。
幸い、それが友達を減らす原因にはならない、
個人の考えを尊重する風潮の学校だったと私は思います。
そんな私が、
お金を出してマンガを買ったことがありました。
夫と付き合っていた頃、
どんなタイミングだったか忘れましたが、
『有閑倶楽部』の1・2巻を彼からもらいました。
続きを読んでもいいかなと思ったので、3・4巻を買いました。
しかし、そこまででした。
結婚して数年間、
我が家には『有閑倶楽部』が1~4まで2冊づつありました。
娘の小学校の古本市に各1出品するまでは。
結局のところ、理由ははっきりしませんが、
私はまた、マンガを読まなくなりました。
うちにある膨大な(私が思うに)マンガは、
夫と娘が管理しています。
そして、彼らは仲良しです。