大阪梅田にはアリの巣のように伸びる地下街があります。
そのかなりの範囲を占める『ホワイティうめだ』が開業50周年だそうです。
現在、娘がその一角の婦人服店でアルバイトをしているので、
お祝いの紅白饅頭をいただいてきました。
腐っても関係者です。いえ、お饅頭は賞味期限内でしたよ。
50年、ほぼ私と同じ歴史を持つショッピングモール。
忘れられない思い出があります。
ちょうど30年前ということになります。
当時はまだ「うめチカ」と呼ばれていた頃かもしれません。
『お好きな車20台プレゼント』
確かそんなネーミングだったと思います。
開業20周年を記念して文字通りの大盤振舞いイベントが行われました。
仕事でも遊びでも毎日のようにその付近を通っていた私ですが、
そんなことには気にも留めずにいました。
ところが弟はしっかり応募用紙をゲットしていたのです。
とは言ってもぞんざいな扱いで紙はしわくちゃ、
期限ギリギリまで放っておいて滑り込みで応募したのでした。
ある日、自宅に弟宛ての電話がかかってきました。
母が取ったのですが、相手の話がよく分からず、私に回しました。
弟は不在だったのです。
どんな風に名乗られたのかは忘れましたが、
梅田周辺で働いている人が家族にいるか、という質問をされました。
さては、弟が通学途中か何かに落し物でもしたのかと思いました。
しかし、それはたいへんな電話だったのです。
応募したことさえ忘れていた懸賞に当選していたというもの。
先の質問は、関係者は応募できないため、その確認だったのです。
当選品の受け取り契約に後日当選者20人が集められました。
現在では、車が当たる懸賞応募には車庫の確保が条件となっていますが、
まだ、そんな固いことを言われる前です。
弟も免許取得年齢に達していなかったのですが、
最年少当選者は一桁の年齢だったと思います。
なんだかんだと説明があって、既定の書類に必要事項を記入して契約。
購入と同じですからね。
その後、当選者の集合写真を撮りました。新聞に載ったような気がします。
当日、学校があって行けなかった弟に代わって私が出席していたので、
当然、写真に写っていたのは私です。
駐車場はおろか、運転免許さえ誰も持っていなかった我が家は、
当選は嬉しいものの、ブツの処遇に困りました。
自動車修理工場を営んでいた親戚の下に納車してもらい、
その後すぐ売りに出すことにしました。
車体のどこかにイベントのロゴの入った準痛車、
大した金額では売れなかったように記憶しています。
売る前に、弟は一度だけその車に乗せてもらって近所を周ったそうです。
思えば、当選したのは弟だけど、
彼にその証拠となるものは何もなかったことになりますね。
ブルーのジムニーだったかな?