*165*はこうやって・・・

よく噛んで、ゆっくりたっぷり食べつくす
*165*の日々です

嫁 姑 小姑

2016-03-21 16:16:42 | 
叔父が亡くなりました。
上から男5人女1人の6人兄妹の長男だった父は、
既に他界して10年以上になりますが、
次に父を追いかけて行ったのは四男に当たる人でした。
せっかちな人です。
一時は癌との闘病の話を聞いていたのですが、
数年前の親戚の法事で元気な姿を見ました。
しかし、再び癌が転移しているのがみつかったそうです。

数日前にインフルエンザが治ったばかりの私は、
お通夜に行くのは控えました。
そう遠くはありませんが確実に大阪よりは寒い場所であったこと、
参列するには仕事を早退しなければならないことが理由です。
本葬の日が私は休日だったので、その日だけ出席しました。
お通夜には従弟妹のほとんどが集まったそうで、
できれば私も顔を出したかったのですが、仕方ありません。

父たちの唯一の妹である叔母に出合いました。
その叔母は末っ子で、長男の父よりも私に年齢の近い人でした。
一緒に暮らしていた時期もあり、歳の離れた姉妹の様でもありました。
私がどっぷり50代になっているのですから、
叔母は年金をもらう世代です。
開式前の僅かな時間、叔母と話をしました。

かつて、母と祖父母、そして嫁入り前の叔母とは、
一言でいうと昼ドラのような壮絶なバトルを繰り広げていました。
事の発端は父が母と結婚しようとした時です。

看護婦のような卑しい仕事の女を○○家の長男の嫁にはできん!

祖父はそう言ったそうです。
戦前は名の通った家だったようですが、
その頃には見る影もなく借家に雑魚寝の家族。
残り火のプライドがそんな暴言を吐かせたのでしょう。
聞いた母も、大人しく引き下がる女性ではありませんでした。
今もそうですが、とことん負けん気の強い人です。
祖母も穏やかな口調ながら自分の考えを曲げる人ではありませんし、
叔母はと言うと、それはやはり自分の母親の味方です。
動けなくなるまで働き続けた母が、
祖父母の終末の生活に貢献したことは言うまでもありませんが、
叔母も当時はそれを認めようとはせず、酷い言葉を掛けた…

隣の席に座る叔母が私にそう言ったのです。
叔母の口からそんな言葉が聞けるとは思ってもみませんでした。
私も、母の受け取り用にも問題があったことに気づいていました。
時間と経験が私達を少し引き寄せたような気がしました。

数日後、母の老人ホームへ行く道すがら、
その時叔母から聞いた携帯番号に電話をかけてみました。
母に対して言いたい放題だった若さを悔いる叔母。
私もそんな叔母に感謝を示しました。
しかし、私は母にこのことを伝えることはできません。
実は叔母に一番言いたかったのはそのことだったのです。
母は、過去の恨みを流し去ることのできない人です。
申し訳ないけれど、叔母の気持ちは私で止めさせてもらいました。
本当にありがたいけれど…

箱入り娘のまま結婚し専業主婦となった叔母は、
今では8人の孫を持つおばあちゃんとなり、仕事もしているそうです。
コメント
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