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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

モーセの信仰より学ぶ 第3回

2015年07月12日 | 日記

    霊的な戦いの武器

 

次にコリント第二の手紙10章3節からお読みします。

「わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。私たちはさまざまな議論を破り・・・」。

私たちが自分の心の中から湧き上がってくる誘惑や、悪魔の試みや挑戦の誘惑、これらのすべてのものと戦うことは、肉に従って戦っているのではないとパウロは言いました。私たちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。私たちはさまざまな議論を破ると言っています。

10章5節、「神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ・・・」

皆さん!これは霊的な闘いであり、その武器は目に見えるものではありません。これは神様の武器であり聖霊の武器です。私たちの中にあるすべての考え、思いまでも捕らえて集中させ、イエス・キリストのみ前に服従させる力です。「神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ」るようにするものです。神様の御心にかなうようにしてくれるのです。

10章6節、「そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである」。

主のこの強力な武器は、私たちの中に入って来て、私たちのすべての衝動を制御して、私たちの考えとすべての願いを掴んで服従させるので、私たちの感情、考え、意志、欲望、希望、計画、すべてのものが本当に主のみ前に服従し、屈服させられるのです。そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのであると言われています。つまり、神様の民の心が、完全に主に屈服して服従するようになった時、イエス様はこの地に審判を下し、義人を迎えるために、この地に再臨なさることが出来るのです。

神様のあがないのみわざ、神様のみ子が屈辱の道を歩み、十字架に架けられ、完成されたこのあがないの働きはどれほど強力なものでしょうか?それは、罪を犯して滅びて当然の人間を、立ち上がらせ、罪に勝利させ、永遠のみ国に至らせるものなのです。これこそが福音の力です。

イエス様は罪人の身代わりとして、十字架のあがないのいけにえとなられました。私たちと同じ堕落した肉の性質を持って来られて、私たちと同じように、いやそれ以上に強い誘惑を受けられましたが、罪は犯されませんでした。神様のいましめを完全に守られました。

しかし、問題があります。私たち人間もそのように出来るのでしょうか?どうでしょうか?神様が私たちを義とされる時、主ご自身も義となられると言われています。神様が私たちを赦し、私たちの服従が全うされ祝福されるだけではありません。「ああ、神様は正しいお方だ!主の十字架と福音はこんなにもパワフルだ!神様が戒めを与えられたのは、この宇宙の安全と平和のためだったのだ!主が正しい!」。このような叫びが全宇宙に上げられるのです。