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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

モーセの信仰より学ぶ 第9回

2015年07月18日 | 日記

 

   心に書かれた律法

 

ローマ人への手紙1章1節~4節。

「兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。 わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである」。

 

律法の終わりとは何でしょうか?律法の目標達成、律法の完結ということです。律法に従えばその究極にイエス様が見えることです。イエス様が律法を完全に守られたから、イエス様を信じればそれでいいのではなく、律法に従えば、その終わりのところでイエス様が見えるということです。なぜでしょうか?イエス様の力によらないで、私たちの力では絶対に戒めを守ることができないからです。

ですから、私たちの心が変わらなければなりません。私たちの思いが主のみ前に屈服しなければなりません。聖霊のみ恵みによって、私たちの一つひとつの思いまで主のみ心、み言葉に服従しなければなりません。聖霊によって律法を守る経験をするべきなのです。そのためには、「神様!私には出来ません。でも、私が出来るように約束してくださったことを信じます」と祈る必要があります。私たちが心から信じて服従すれば、その服従を完全として受け入れて下さるのです。