心に書かれた律法
ローマ人への手紙1章1節~4節。
「兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。 わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである」。
律法の終わりとは何でしょうか?律法の目標達成、律法の完結ということです。律法に従えばその究極にイエス様が見えることです。イエス様が律法を完全に守られたから、イエス様を信じればそれでいいのではなく、律法に従えば、その終わりのところでイエス様が見えるということです。なぜでしょうか?イエス様の力によらないで、私たちの力では絶対に戒めを守ることができないからです。
ですから、私たちの心が変わらなければなりません。私たちの思いが主のみ前に屈服しなければなりません。聖霊のみ恵みによって、私たちの一つひとつの思いまで主のみ心、み言葉に服従しなければなりません。聖霊によって律法を守る経験をするべきなのです。そのためには、「神様!私には出来ません。でも、私が出来るように約束してくださったことを信じます」と祈る必要があります。私たちが心から信じて服従すれば、その服従を完全として受け入れて下さるのです。