第3部:聖所第一幕屋の経験
1.聖所第一幕屋と神聖
聖所制度が、私たちに教えているもう一つの重要な真理があります。人類を救う贖いの働きは、神様が人間の罪を許されることによって、すべてのことが終わるのではありません。赦された罪人が再び神様と共に永遠に生きることができるようになるために回復される過程がまた必要となります。これがメソジスト教会の創始者であり、偉大な改革者であるジョン·ウェスレーが叫んた聖霊の実です。彼は聖霊の実である、変化した聖なる生活こそ救いの必須要件であると聖化の教えを説教しました。聖化に関するジョン·ウェスレーのこのような教えは、実は聖所にも表されています。神様は私たちの救いがどのように行われるか実物教訓をお与えになりました。聖所制度は人類の贖いのためにイエス·キリストが、過去にどのような働きをしておられ、現在はどのようなことをしておられるかを教えてくれる青写真です。つまり神様は、贖いの実物教訓として、救いの青写真として聖所制度を私たちにくださったのです。この制度は、聖所の外庭にある祭壇でイエス·キリストの十字架で行われた犠牲と贖いの死を示します。そして聖所の外庭を過ぎて入ることになる聖所の第一の幕屋は、贖いの働きの第二の局面として、イエス様のとりなしの働きと人類によういされた救いの恵みを分け与えてくださる働きを紹介しています。
新約聖書が述べている神聖(聖なる)
まず、新約聖書がクリスチャンの聖なる生活についてどのように述べているのかを説明し、次に、聖所制度がそれに対してどのような実物教訓を与えているかどうか見てみましょう。使徒行26章18節には、次のように述べられています。「それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである」。ここで私たちは神を信じて聖別された(聖なる者とされた)人々という言葉にを注目して見る必要があります。神様のみ言葉は、聖書全体66巻を通して、聖化、すなわち、聖なる生活と変化した従順の生活を、救われるすべてのクリスチャンが必ず経験しなければならないとする過程であると紹介しています。「...神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、」(Ⅱテサロニケ2:13)という言葉は、私たちがよく耳にしている言葉はないでしょうか!クリスチャンの聖なる清い生活を強調しながら、使徒パウロは、エペソ教会の信徒たちに次のように述べています。「キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。」(エペソ5:26,27)
ところで、クリスチャンの聖さとはどのような状態をいうのでしょうか?ある人々は聖さを不思議な気持ちや恍惚感のように理解していますが、聖書は神の言葉に完全に従う状態をクリスチャンの聖さであると記録しています。イエスは、「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネ14:15)。と言っておられ、使徒ヨハネも「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない」(ヨハネ5:3)。と言われました。