2.律法の歴史
アダムとエバは創造されたときに神様の法についての知識を持っていました。彼らは律法の要求に対してよく知っており、その教訓が彼らの心の中に書き記されていました。しかし、アダムとエバが罪を犯すと、キリストはご自分の命を人類のための贖いの供え物として捧げる贖いの計画を樹立されました。こうして、キリストの死を予表する動物の犠牲制度が定められたのです。しかし、神の律法が犯されていなければ、人類には死というものがなかったのであり、したがって、救い主の必要性もなかったのです。したがって、犠牲を捧げる必要もなかったのです。
アダムは子孫に神様の律法を教え、律法は続く世代を通して伝えられていきました。しかし、人類のための偉大な救いの計画が立てられたにも関わらず、それを受け入れる人々の数は極めて少ないものでした。犯罪により世界は非常に極悪になったため、世界を洪水によって再び清めるしかありませんでした。洪水の後、律法は、ノアの家族によって保管されました。しかし、再び人口が増加し、人々が神様の律法を無視する生活を続けました。それで、神様はアブラハムを選んで、彼に割礼の儀式を与えられました。この割礼は、その身に受ける者が神様にのみに仕え、献身するという誓いの表れでした。
しかし、アブラハムの子孫もやはり、その誓いを守れなかった結果、最終的にはエジプトで奴隷生活の苦痛を経験しました。エジプトで奴隷生活中に、彼らは神様の律法に関する多くの知識を失ってしまっただけでなく、エジプトの異教から多くの影響を受けることになりました。それで、主はモーセを通して彼らをエジプトから呼び出した時、主はシナイ山に臨まれ、すべての民が聞く中で、ご自身の律法(十戒)を自ら二つの石板に刻まむことによって神様の法の知識を彼らに教える必要があったのでした。
今日では、ある人々は、十戒は、シナイ山で、イスラエルの民のために制定されたものと考えています。自分たちはユダヤ人ではないので神様の戒めを守らなくてもいいと言います。本当にそうでしょうか?聖書は、モーセがシナイ山で十戒を受けるはるか昔、すなわち、ヤコブを通して、ユダヤ民族が形成されるさらに前から、すでに戒めと、律法が存在したことを証明しています。 「アブラハムがわたしの言葉にしたがってわたしのさとしと、いましめと、さだめと、おきてとを守ったからである」(創世記26:5)。そのことは、シナイ山で、イスラエルの民に十戒が与えられる前の場面でも確認するすることができます。 「そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよ」(出16:4)。
もしアダムが受け、ノアが保管し、アブラハムに言われた神様の律法が継続してよく守られていたならば、割礼の儀式は必要なかったでしょう。もしアブラハムの子孫が割礼として表されていた契約を守っていれば、彼らは偶像礼拝に加担せず、エジプトでの奴隷生活という苦痛を経験しなかったことでしょう。そして神がことさらシナイ山で律法を宣言し、石の板に刻んで民に与える必要もありませんし、モーセも付加的な内容が盛り込まれた儀式の律法を記録することもなかったのです。