第5部:聖所を通して知る聖書の真理
1.地上の聖所と儀式律法の廃止
私たちは、ダニエル9章で聖所に関連する非常に重要な預言を見ることができます。その預言は、ダニエル9章24節から始まる預言ですが、その預言の中にイエス様が十字架で亡くなられたことにより、地上の聖所制度が廃止されることが記されています。「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう」(27節)。この預言は、前に確認したように、イエス様が十字架につけられた時、地上聖所で行われていた動物の犠牲制度がその終りを告げるという意味です。
神様は祭事制度の終わりを知らせるために、キリストが十字架で亡くなられた瞬間、聖所の中の幕を、超自然的な力によって二つに引き裂く驚くべき事件を起こされました(マルコ15:37,38、ルカ23:45、46参照)。「イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」(マタイ27:50,51)。イエス様が十字架の上で死なれたことで、これ以上動物の血が流される必要がなくなりました。その理由は、キリストの血によって新しい契約が批准されたからです。イエス·キリストが十字架にかかられたことによって、モーセが祭事について記録した証書である儀式の律法は、もはや必要がなくなりました。
聖書を学ぶ上で必ず理解すべきことがあります。それは律法には2種類があるという事実です。一つは、神様がシナイ山で宣言された石の板に刻ざまれた十戒です。神様はこれを聖所の中にある契約の箱の中に保管するように命じられました。そして、もう一つはモーセが季節と聖所祭事について巻物に記録した儀式律法です。したがって、キリストの十字架によって廃止された律法について話すとき、私たちは、モーセが記録した儀式の律法を廃止されたと言わなければなりません。
ところが今日では、この問題に対する一つの大きな誤解が、数多くの一般信徒だけでなく、聖職者にまで広がっています。つまり、キリストの十字架が神様の律法である十戒を廃止したと信じ、そのように教えているのです。しかし、私たちがよく知っているように、十戒には祭事制度や儀式に関する条項が含まれていないのですから、十字架が十戒を廃止しなければならない理由は全くないのです。
それにもかかわらず、そのような間違った教えを信じる人々は、自分たちの考えを証明しようとしてコロサイ2章14節を利用します。「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた」。この聖句から明らかに、十字架によって廃止されたものがありますが、それは(儀式)の「証書」です。儀式の証書とは、モーセが巻物に祭祀制度について記録した「証書(巻物)」のことを指し、十戒は2つの「石の板」に神様が刻んで下さった道徳律を指します。
彼らは十字架によって十戒が廃止されたと信じているので、「救いは十字架の上で行われたので、神の戒めは、もはや従わなくてもよい。戒めに従うことを強調することは、律法主義者だ!」と言うのです。しかし、キリストが十字架に死なれた事実は、律法を廃するためではなく、律法の意味を完成させるためであったという事実を見落としてはいけません。
クリスチャンの信仰や十字架の恵みは、律法を廃するのではなく、むしろ十戒に従順に従うクリスチャンになるように私たちを助けてくれるということを周知しなければなりません。神様の律法である十戒が廃止されたと信じているクリスチャンが不従順と堕落の生活に陥ってしまう理由は、彼らが神の道徳律(十戒)を無視する生活によって、クリスチャンの信仰生活のガイドラインを失ってしまうからです。