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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いの全行程を示す聖なる幕屋  第26回

2016年07月12日 | 日記

ダニエル9章に出てくる70週の預言には、キリストが十字架に掛かって亡くなられる時についての預言が含まれています。イエス様は、A.D. 27年秋にバプテスマを受けられました。その時から3年半が経ち、キリストの死によって犠牲制度が終わるという事実についての預言が25-27節に記録されています。A.D. 27年秋から正確には3年半後のAD 31年春に、イエス様は亡くなられました。ここでみなさんにちょっと変わった質問をしたいと思います。ユダヤ人たちの祭りの中で春に開催される大規模な祭りがありますが、それが何であるかご存知でしょうか?そうです、過ぎ越しの祭です!したがって、コリント5章7節で、使徒パウロは、「わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ」。と記録しています。 A.D. 31年春、過ぎ越しの祭りの時に、あまりにも正確な時にイエス·キリストは過ぎ越しの小羊となられ、私たちのために十字架上で血を流し、贖いの犠牲を払ってくださったのです。どれほど驚くべき預言でしょうか!神様は預言者ダニエルを通して、イエス様がこの地に生まれる数百年前からご自身の御子が血を流して死ぬ日まで正確に預言しておかれたことを理解する人々は、ことに敬虔に、厳粛な気持ちで聖書の御言葉を開くようにされます。

 イエスは十字架につけられ、ご自身の額に、いばらの冠が突き刺さり、顔がしたたる血にまみれたその時、「(動物の犠牲の)いけにえとささげ物」をささげる制度と儀式が廃止されました。そして、ユダヤ人たちが旧約時代の間、守られてきた聖所に関連する儀式である祭りや新月の祭り、また祭りの時の安息日が廃止されました。なぜなら、これらのすべての儀式とユダヤ人が守っていた(祭り)季節は、イエス·キリストが人類の罪のために十字架で亡くなられ贖いの供え物となられるという事実を表象的に教えてくれる影にすぎなかったからです。

聖所で行われていたすべての儀式の原型であるキリストが十字架で子羊として死んでくださいました。ですから旧約時代の間に、この驚くべき出来事を予見する影として用いられてきた地上聖所の儀式はもはや意味がないものになってしまいました。パウロは、この事実を次のように記録しています。「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた…。あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある」(コロサイ2:14-17)。

 したがって、メシアの到来と死を表象していた旧約時代の聖所の霊的な意味を正しく理解する必要があります。でなければ、キリストの十字架が神様の道徳律である十戒を廃止したのだと誤解してしまうのです。十字架に示されたキリストの愛と恵みは、神様が道徳律に定められた十戒を廃止されたのではなく、むしろ十字架を眺めるクリスチャンの心をこの驚くべき愛と感動で満たします。それによって、戒めを守ることできるようにする能力の源泉となります。

 また、最後の日に、私たちは神の律法に基づいて、私たちのすべての考えと行為を裁かれるでしょう。「なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。たとえば、「姦淫するな」と言われたかたは、また「殺すな」とも仰せになった。そこで、たとい姦淫はしなくても、人殺しをすれば、律法の違反者になったことになる。だから、自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい」(ヤコブ2:10-12)。