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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

天国、それは本当にあるのか?  第1回

2016年07月16日 | 日記

 1.再臨の約束

 天の国、来世の人生、天国に対する信心、そして天国の報償、堕落した地球の回復(救い)などは、クリスチャンにとって、とても切実なものです。天の国についての描写は、聖書にたくさん出てきます。私たちは、キリストが「またおいでになる」(使徒行伝1:11)と言われ、「用意されたすまい」(ヨハネ14:2)に、「あなた方を・・・迎えよう」(ヨハネ14:2)と言われたイエス様の約束を感謝しているものです。また聖書に教えられている言葉を一つひとつ繋ぎ合わせ、天国に対する総体的なイメージを構築することが出来ます。「死後に生命はあるのか、ないのか?」。「あるとしたら、その生とはどのようなもので、どこにあるのか?」。このような質問は、多くの人の心の中に存在しています。では、聖書にある天国の実体についての問題を、質問と返答といった形式で見ていきましょう。

 しかし、この問題を追究する前に強調しておかなければならないことがあります。それは、私たちが真実なクリスチャンであるとすれば、たとえ天国の報償が受けられないとしても、私たちを創造された神様を心から愛し、当然その方に仕えなければならないということです。救いや天国での報償欲しさに信じるという態度は、極めて利己的な初歩の信仰姿勢と言えます。

天国の報償は、成熟した信心を持ったクリスチャンが、熱心に神様を愛し、その方の恩恵と能力によって、神様の性質と品性に似た者とされる時、自然に得られるものです。成熟したクリスチャンは、たとえ、そのような報償がないとしても、神様を真心から愛し、罪の状態から新しく生まれ変わらせて下さった神様の恩恵に感謝し、また毎日の生活で神様と交わる喜びがとても大きいため、ただ神様に仕えながら信仰の歩みを続けていくのです。彼らにとって天国の報償は、結果ではあっても目標そのものではありません。

 あなたもそうでしょうか?天国がないとしても、神様を今のように熱心に信じますか?もう1度、自分自身に問いかけてみて下さい。自分が本当はどんな信仰を持っているのかを・・・。                                        

しかし、迫害や非難、嘲笑の絶えない苦難の人生を歩むクリスチャンにとって、「天国」に対する願望はとても切実なものであることも事実です。愛の神様を知り、私たちが存在する意味、人生の真の目的を悟ったことだけでもありがたいのに、さらに、天に行って愛する神様やイエス様と共に顔を合わせ、永遠に生きていけるという特権はどれほど素晴らしいことでしょうか!愛によって心が一つになった人々と永遠に共に過ごせるとは、どれほど素敵なことでしょうか!

このテキストの学びを通して、天に対するあなたの望みに火がつけられ、困難で辛いことの多い地上の信仰生活に、勇気と活力が与えられることを願っています。